第8話:交わり始める気持ち

一真はこっそりスマホの画面を覗いた。

「学校はどう?」

少し考えてから、そう送る。

数秒後、紗良が既読をつけ――

『やっと帰ってきたの!?』

『昨日なんで急に消えたの?』

一真はすぐに『昨日は早く寝た』と返した。

『はぁー? だったらせめて「おやすみ」って送ってよ!』

続けて怒った顔のスタンプが三つ。

一真は空を見上げた。

「うん、次は気をつけるよ。」

そう送ってスマホをしまう。そろそろ放課後の時間だ。

先生がクラス役員を決め始めた。

全員ほぼ初対面なので、出席番号の順に割り当てられる。

「では、クラス委員長は日比野くん。副委員長は吉城さん。」

一真は少し眉を寄せた。

——これが勉強しすぎた副作用か。

「なんか毎回、委員長から逃げられないんだよな……」

放課後の挨拶が終わり、クラスメイトが三々五々教室を出ていく。

一真は最後に出ようと、席に残っていた。

肩を軽く突かれる。

「日、比、野くん?」

振り返らずに「どうしたの、吉城さん?」と返す。

千夏子は一真の前に座り、にこりと笑う。

「よろしくね。」

一真は周りを見てから、小声で言った。

「また虫、捕まえに行くの?」

「残念〜。学校では“優等生モード”なの。」

千夏子は肩をすくめる。

「同じクラスになれたし、これからいろいろ守ってね?」

そう言ってスマホをちらり。

「じゃ、また明日。」

明らかに嬉しそうな声音。

「うん、また明日。」

一真が立ち上がると、綾音が教室の入口からじっと彼を見ていた。

千夏子もその視線に気づいて一真を見る。

「知り合い?」

「えーっと……まあ、長くなる。」

一真は苦笑しながら席を立った。

千夏子も後ろからついていく。

「こんにちは。」

予想外の明るい挨拶に、千夏子は一瞬固まる。

普通なら敵意を向けられてもおかしくないはずなのに——。

「……こんにちは。」

思わず笑って返した。

綾音はすぐに一真の腕を軽くつかんで話しかける。

それを見て、千夏子はふっと視線をそらし――

「……いい天気。」

青空を見上げながら、ぎゅっと拳を握った。

一方そのころ、紗良は葵と一緒に校門を出ていた。

そして……頭の中はずっと一真のことでいっぱい。

「言いなよ。」

突然、葵が目の前に立ちふさがる。

「……え?」

「絶対なんかあるでしょ。今日ずっと変だったもん。」

葵が顔を近づけてくる。

「ちょ、ちょっと近い! わたしは食べ物じゃない!」

「いや、なんか今日ニオうからさ。シャワー忘れた?」

「忘れてないわ!!」

紗良は歩き続けながら深いため息をつく。

「あのね……」

葵は心配そうに覗き込む。

紗良は俯き気味に言った。

「クラスに……かっこいい人が、いない……。」

「…………。」

葵は一瞬沈黙し、それから言った。

「わたし、二度と、二度と慰めようなんて思わない。」

紗良はクスッと笑ったが、胸の奥のモヤモヤは消えない。

「で、どこ行こ? ご飯。」

葵が急にハッとした。

「あっ……言うの忘れてた!」

「えっ?」

「スマホスマホスマホ!!」

紗良は葵の手を掴む。

「いだだだ!強い!強いって!」

「ごめんごめん!」

葵は慌ててスマホを取りだし、メッセージを確認する。

「ちっ……千夏!」

大量の絵文字つきで送っていた。

「しかも向こうが返してるのに、返信してないじゃん。」

紗良が葵の頭を軽く叩く。

「気づかなかったんだもん……。」

葵はしょんぼり。

「電話した方が早いでしょ。」

「わたしだって——」

「……あ、もしもし?」

電話はすぐに繋がった。

紗良は少しだけ心が軽くなる。

「うん、じゃあ書店の前ね。」

電話を切った葵に訊く。

「来れるって?」

「来れる! でもちょっと歩くよ。うちと紗良の学校のちょうど中間にあるから。」

「遠い?」

「たぶん平気。」

風が少し吹いて、蒸し暑さをさらっていった。

千夏子もまた、書店へ歩いていた。

ぼんやり歩いていると、同じ学校の男子が横並びになってくる。

(……無視しとけば大丈夫。)

「ねえ、新入生?」

(来た……。)

千夏子は軽く会釈して「はい」とだけ答える。

「ひとりで通ってるの?」

(またか……ほんと疲れる。)

「……いえ、違います。」

足が速くなる。

しかし男子もついてくる。

(やだな……ほんとにやだ……。)

「そんな急いでどこ行くのー?」

その瞬間、手首を掴まれた。

「っ……!」

驚愕と恐怖で振り返りかけたその時――

「大丈夫?」

綾音が、笑って立っていた。

(……え?)

知らない子なのに、不思議と安心が広がる。

「ごめんなさーい!」綾音は男子に向かって明るく言う。

「これから用事あるんでー!」

そう言って千夏子の手を引き、走り出す。

角を曲がったところで立ち止まり、綾音は息を整えた。

「はぁ……なんとか撒けた。」

「……あ、あの……ありがとうございます。」

「ううん、たまたま見えただけだよ。」

「でも……どうしてわたしだってわかったの?」

「本当はアイス食べる予定だったんだけど、友達が本屋寄りたいって言うから先に見に来たの。」

綾音は千夏子のバッグの小さなクマを指さす。

「それ見て、“あ、あの子かな”って。」

千夏子は小さく笑う。

「本当に助かりました……。」

「わかるよ。わたしも、知らない人に声かけられるの苦手だから。」

「そうなんです……毎回どう逃げればいいのか……。」

「わたし、一真くんの友達だよね?」

綾音が言う。

「もしよかったら、防身の仕方、教えようか?」

千夏子は目を見張る。

(この子……一真が好きなんじゃ……? なのに?)

「え、あ、その……」

「いやだったら全然いいよ?」

「い、いえ……嬉しいです。」

綾音はにっこり笑う。

「あとね、わたしの友達も同じ学校だから、帰り一緒に帰ったらいいと思うよ。」

「えっと……綾音さんって、いつも初対面の人にこんなに話します?」

「だって一真くんの友達だし。あなた、話しやすそうだから。」

「もし苦手だったら言ってね。」

千夏子は首を横に振る。

「すごく……嬉しいです。」

「わたしもだよ、吉城さん。」

「……名前、知ってたんですね。」

「あ、なんか聞いたことある苗字って思って。」

(……絶対、一真が話したやつだ。)

綾音は手を差し出した。

「藤堂綾音。」

千夏子は迷わず、その手を握る。

まるで紗良と友達になった日の空気のように、あたたかかった。

「吉城千夏子です。」

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