第2話 モス星:婚前試練 その2
森は深く、湿り気を帯びていた。巨大な茸の柱が空を突き、足元の苔が淡く光りを灯す。
息をするたび、甘い胞子の香りが鼻をくすぐる。
ジーンズには既にいくつかの植物の種子がペタペタと張り付いていた。
(ジメジメしてんなぁ、髪がうねる未来しか見えねぇ)
ハンディは片手で顔の周りの胞子を払いながら、ため息をつく。
「おいAI、ここ本当に文明あるのか? 原始の森にしか見えねぇぞ」
《文明の定義が曖昧です。少なくともこの星の住民は服を着ています》
「判断基準それだけかよ!」
そのとき──奥の茂みがわずかに揺れた。
葉のざわめきにまじって、低い呼吸音がする。
「……なんかいるな」
《検知反応:大型生命体、距離二〇メートル。呼吸数安定。たぶん人です》
ハンディは反射的に身構え、ホルスターに手を伸ばした──が、空をつかんだ。
「あれ? 俺の銃どこいった?」
《船に置き忘れてきています》
「なんで出る前に言わねぇんだよ!」
《出発時に“勇気を胸に”とおっしゃったので、“丸腰出発宣言”だと解釈しました》
「んなワケあるか!」
口論の最中、葉のざわめきが完全に止んだ。
宙を舞う胞子の間から、ゆっくりと一人の女性が姿を現す。
長い三つ編みが肩を撫で、額には葉の冠。琥珀色の肌に銀の刺青が走り、霧の光を反射した。
紫の瞳を細め、腰に槍を軽く構えてハンディを見据える。
あまりの美しさに、ハンディは瞬きを忘れた。
(……美人だ。いや、宇宙美人だ。スペース⭐︎ビューティー……!)
ハンディは慌てて手を上げ、できるだけ爽やかに笑った。
「ど、どうも! 地球から来ました、独身です!職業は星間便利屋──スター⭐︎ハンディ! 宇宙中どこでも、修理・護衛・恋のトラブル、何でも解決!……ただ今回は仕事じゃなくて婚活で来ました!」
《“婚活”は現地語に翻訳不能です。“子作り⭐︎大作戦”に変換して翻訳します》
「やめろぉっ! ロマンが死ぬ!」
《翻訳精度のためです。嘘のない関係が推奨されます》
「関係が始まる前に終わるわ!」
女戦士はサングラスを興味深そうに覗きこむ。完全に適応装具〈オービタルレンズ〉を観察している──だけなのだが・・・。
(近い……!俺の瞳を見つめてる……!?)
《誤解です。レンズ表面の観察をしているだけです。勘違い乙》
(う、うるせぇ!!わ、分かってるよ!)
「地球の男。あなた、妻を求めてこの星に来たの?」
「ま、まあ、ざっくり言うと……そう、かな」
「なら婚前試練に挑むのね。私はレナ。村に案内するわ」
レナは踵を返し、振り返りもせず森の奥へ歩き出した。
槍を背に軽やかに進むその後ろ姿を、ハンディは半歩遅れてついていく。
森の中はしっとりと暗く、光る苔が小道の縁を照らしていた。
レナのコッパーブラウンの髪が揺れるたび、苔の光を受けて一瞬だけ明るく染まる。
ハンディはその後ろ姿を眺めて歩きながら、さりげなく観察する。
槍と装具の曲線、首元からのぞく刺青。
(……強い。美しい。しかも俺に優しい。完璧じゃん……!)
(歩くたびに髪がふわっと揺れるの、反則じゃない?あれで槍も似合うんだぜ……宇宙って広いんだなぁ……)
《女性を後ろからジロジロ見るのは減点対象です》
(お前は婚活アドバイザーか!)
《あとシンプルにキモいです》
(直球悪口……!!)
ハンディは咳払いして誤魔化すように歩調を上げた。
「レナ、ここの儀式に参加する異星人ってよく来るのか?」
レナはチラリとこちらに視線をやり答える。
「見物に来る異星人はたまにいるわ。でも、挑戦しに来る人は滅多にいない。あなたみたいに、妙に軽いノリで参加表明する人は特にね」
「軽くなんかないぞ? 俺は真剣に“婚活”してるんだ」
《“子作り⭐︎大作戦”です》
「本当に“婚活”って言葉ないの!?」
レナは特に反応もせず、ただ歩みを続けた。
しかし、少しだけ肩が揺れた。たぶん笑ったのだろう……とハンディは勝手に思った。
ハンディは嬉しさを隠しきれず、歩幅を少し早めて隣に追いついた。
「なあ、レナ。異星人の参加って珍しいんだよな?
なのに……すんなり案内してくれるんだな。ありがとな」
レナは足を止めず、横目だけでハンディを見た。
「理由があるのよ」
「理由?」
「儀式で勝ち残るのは、いつも同じ男たち。
乱暴で、つまらなくて……力だけが自慢の連中ばかり」
レナの眉間に、ほんの少し陰りが差した。
「とくにボルボザ。
アイツが勝つと本当に最悪。
女を“自分の持ち物”みたいに扱うって噂よ」
(ボルボザ……名前からしてヤバそうだな)
「あなたが勝ち残れるかどうかは分からない。
でも……そうね」
レナは少しだけ口元をゆるめた。
「村に、新しい風が吹いてほしいの」
「お、おう……!任せろ!新風どころか台風の目になってやるよ!」
⭐︎⭐︎⭐︎
しばらく歩き森を抜けると、視界が一気に開けた。
巨大な石柱に囲まれた集落。
中央には円形闘技場のような建造物がそびえ立っている。無数の岩を積み上げた外壁、千年の風を浴びたように黒ずみ、ひび割れには苔がびっしりと張り付いている。そして、その闘技場の前には──
「おいAI。めっちゃ男いるんだけど!?400人ぐらいいるんじゃねーか」
闘技場の入り口には、樽のような腕をした男たちがずらりと並んでいる。
《“男がいない”とは一度も言っていません。
人口の3%が男性です。儀式のため、この地域の男たちが全員集合しているのでしょう。
なお正確な数は── 391名です》
「俺の目分量すごくね!? ほぼ合ってんじゃん」
《結構どうでもいい才能ですね》
「てか3%でもこれだけ集まるのかよ!? あと参加者の腕全員丸太みたいなんだけど!」
《分析結果:試練が腕相撲だった場合、あなたに勝ち目はありません》
「まだわかんねーよ、ダンス対決とかの可能性もあんだろ」
だが、男たちの存在より圧倒される光景があった。
闘技場の周囲には、男たちの数とは比べ物にならないほど大量の女性たちが集まっていた。
ざわめき、歓声、視線の熱気が波のように押し寄せる。
(こ、これは……儀式で勇気を示せば、この中から妻を選び放題ってことなのか……!?)
生唾を飲むハンディに対してAIはいつものように冷ややかにコメントする。
《相手にも選ぶ権利があります》
「夢くらい見させてくれ・・・」
レナは真っ直ぐに闘技場の入口に向かって歩き、ハンディの手を掲げて宣言する。
「この男、試練に挑む!」
女たちはざわつき、笑い、好奇の眼差しを向ける。
「あの人異星人?」「珍しいわね」「ジャケットがダサいわ」
「…………。」
ハンディは一瞬だけ遠い目をしたあと──
無言でジャケットを脱ぎ捨てた。
《判断が早いですね》
そんな騒ぎの中、杖を突いた長老らしき老人が前に出てくる。深い皺の間から鋭い眼差しがのぞく。
「異星の男が掟に挑むなど前代未聞!異星人の体力で耐えられるとは思えん!」
ハンディは咄嗟に胸を張り、大声で言い返した。
「飛び入りで申し訳ありません!ですが体力には自信があります!」
長老は声を落とす。
「命を落とす可能性もあるんだぞ……」
その言葉に、レナが静かに一歩前に出た。
「古き掟では、誰でも挑めるはずです」
視線はまっすぐ。揺らぎのない声。
「星が違っても、関係ありません」
観客のざわめきが一瞬止まる。
(レナちゃん……そんなに俺に参加して欲しいのか……!)
長老は深くため息をつき、しぶしぶ頷いた。
だが、長老が返答しようとしたそのとき──
「おいレナァァ……!」
観客席がざわりと揺れる。
「ボルボザだ……!」「アイツも参加するの!?」「また誰か殴る気よ!」
女たちは露骨に嫌そうに顔をそむける。
そして、群衆をかき分けて、巨体がぬっと現れた。
肩幅が異様に広く、皮膚は汗でギラついている。片側だけ剃り込みを入れた黒髪を縛り上げ、獣じみた目をギラギラと光らせる。
その目が、ハンディを見てニヤリと歪む。
「おいレナァ。なんだァ?そのチビ星人は?
次の試練は俺が勝つ。お前は俺の女になるんだよォ」
レナの表情が一瞬だけ歪んだ。
「ボルボザ……あなたの勝手な妄想よ」
「おぉっと出た反抗期ィ。
でェ?、チビ。お前が俺のジャマすんのか?」
岩石のような腕がハンディの肩をつかみにくる。
「っと!」
ハンディは半歩横に滑るように動いた。
そのタイミングが完璧すぎて、ボルボザの太い指は空をつかむ。勢い余った巨体が前のめりにグラつき、観客席からどよめきが起こる。
「おっと、ダンスの申し込みはもっと優しくするもんだぜ?オッサン」
観客から笑いが漏れた。
ボルボザは顔を真っ赤にし、今にも殴りかからん勢いだったが──
レナが前に出て槍の石突で地面をコンッと叩く。
「やめなさい、ボルボザ。
掟を乱すなら、あなたこそ挑戦者失格よ」
紫の瞳が静かに光った。
ボルボザは一瞬だけ怯み、舌打ちしながら一歩退いた。
「チッ……好きにしろよ。どうせすぐ死ぬ」
長老は深くため息をつき、ゆっくりと頷く。
「騒ぎは終わった様じゃな……掟に従おう。異星の男よ。試練への挑戦を認める」
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