ドキュメンタリー映画「我が故郷を救った英雄へ愛を込めて」注意:原題は共通語翻訳が難しいため改めて別題が付けられています
今村 悟史
場面1 プロローグ
古びた没入型映画が上映されようとしている。
これは百年前に公開されたドキュメンタリー映画だ。
多次元境界戦争で運用された生体兵器LSシリーズ。
その中でも次元破壊兵器として恐れられた第一世代。
LS-1-βの貴重な姿が映った映画だ。
***
映画が始まった。
没入型映画で感覚が全て塗り変わった後、まず真っ先に感じられたのは冷たい風だった。
次いで、視界が回復すれば広がるのは、満天の星々に彩られた夜空。足元はきめ細かい砂が覆い尽くし、ここが砂漠の夜なのだと分かる。
しかし砂漠にはあり得ないほどの湿った空気が、まるで海の中にいるのだと錯覚させる。
海流ではない、肌を突き刺すほどに冷たい風に、美しい音が乗った。
しゃらしゃらと高音がいくつも奏でられ、時に重なり、時に密やかに、時に大胆に響く音。
音の出所を探そうとすれば、呆気なく見つかり、随分と近くにいたのだと分かる。
視線を向けた先には、二人いた。
両者が異なる星の種なのは一目見て分かる。
美しい音を奏でているのは、記憶が確かならトゥルカシア人だ。
つるんとした皮膚と、凹凸のない顔。魚類のフォルムを立たせた彼らの見目は、近隣の星々の人々とは共通点があまりなかった。
その人は背丈があまりなく、全体的に丸々とした体つきなので、おそらく子どもなのだろう。よくよく見れば、頭部には未だピンク色の突起が生えていた。
かの星人に備えられた首にいくつも刻まれた特徴的なエラから、美しい音が奏でられていた。
このトゥルカシア人の子どもが、喋り続けている。とめどなく、きゃらきゃらと楽しそうに体を揺らし、相手に何かを一所懸命に伝えようと美しい声で話し続けていた。
その子どもの話を聞いていた相手は、すでに絶滅寸前にまで数を減らしていた、銀河系地球人類種だ。
この砂漠と海を混合した星の中で活動するためにか、口元は無骨な機械のマスクで覆われている。
赤い戦闘用スーツに身を包み、翼のように背面にはボンベとその補助器具が取り付けられていた。
地球人類種の体つきは成長しきっておらず、少年か少女か一見すると分からない。
黒く短い髪と、何色も混ざらない黒目が特徴の地球人は、トゥルカシア人の子どもの目線までしゃがんでいた。
子どもは地球人を何度もトゥルゥと呼ぶ。複雑で美しい旋律だが、その言葉だけは聞き取れる。
トゥルゥと呼ばれた地球人は、お喋りで興奮しきった子を嗜めるように、エルゥとくぐもった声で呼びかける。
両者は笑いながら、慈しみながら、互いを見つめていた。それは二人だけの、まるで子どもの悪巧みを彷彿とさせる、微笑ましいやり取りだと思われた。
その他愛もない、幻想的とも思われる光景が続く。
誰かが右横に立った。
首を右へ動かせば、そこには大柄で少し老いた雰囲気のトゥルカシア人がいる。
あの子どもとは大きさが違う上に、丸々とした柔らかい雰囲気はない。だが、隣に立ったトゥルカシア人の一番の特徴は、首元を覆い尽くす機械の存在だろう。
子どもにも見られた特徴的なエラは、そのほとんど全てが無骨な機械が備え付けられていた。
「二人のやりとりを微笑ましく思う人もいるかもしれない」
その機械から、連盟共通語が紡ぎ出された。
合成音でありながらも、腹の中で激情が渦巻いているのが感じ取れるほどに感情が雄弁だった。
しかし、それ以上に感情を表すのは、重なる音だ。
子どもとは違う低さで、幾重にも音が奏でられる。
先ほどのはしゃいでいた子よりも単調な言葉は、それでも合成音など鼻で笑うほどに、彼の苦悩を見事なまでに示していた。
「この映像は、数百年前のトゥルカシアの戦いの後に撮られた貴重な記録映像だ」
それでも、言語として聞き取るのならば、機械が紡ぎ出す共通語の方が耳は拾いやすい。
「少年の名前は公式記録によれば、エルゥカ・ナトリク。トゥルカシアの戦いで、その戦局を変えた奇跡の子」
地球人がエルゥと呼ぶ子の正体が分かる。
何が奇跡なのだろうか、どんな特別な子なのだろうかと、きっと興味を抱かせる内容だろう。
だが、この大人のトゥルカシア人の紡ぎ出す言葉は、酷く疲れてた色を纏っていた。
「そしてもう一人は、LS-1-α」
対して、地球人に向ける音はさらに複雑だ。
先ほどまでの単調な旋律ではなく、わざと濁り、しかし感極まった感情を抑え込むような変化を見せる。
「その名前に聞き覚えがある人は多いだろうが、多次元境界戦争で活躍するLSシリーズの第一世代。つまりは、多くの世界を消した次元破壊兵器そのものだ」
未だ決着のつかない、長く長く行われている多次元境界戦争。
何が理由で、何の意図があって勃発したのかも不明の、異なる次元同士の争い。
その戦争で活躍した、銀河系地球人類種をベースに改造された生体兵器。
それがLSシリーズだった。
類希なる兵器としての最高傑作の1体は、この少年か少女か分からない人物だと、
彼は告げる。
この大人のトゥルカシア人は、憧憬の目でもって、エルゥカとLS-1-αを見つめていた。
「LS-1-αは、多次元境界戦争の一端だったトゥルカシアの戦いの際、我らが故郷の星を滅ぼすために派遣された」
話続ける彼は、自らの衣服を掴み、苦々しい雰囲気で過去を語る。
「だが、彼女はエルゥカと出会い、彼の言葉に魅了されたと言われている」
変わらずエルゥカの話し声が聞こえる。
何が楽しいのだろうかと不思議に思うほど、少年は爛漫に跳ねては、LS-1-αに話しかけている。
それを生体兵器であるLS-1-αは、ずっと微笑みながら聞いていた。
「彼女は、エルゥカ少年の言葉を惜しみ、星を滅ぼさなかった。第一世代が派遣されたにも関わらず、星が存続したままトゥルカシアの戦いは終息。まさに奇跡と呼ばれた」
奇跡の意味が分かる。
滅びるはずだった故郷は、たった一人の少年に救われた。確かにそれは奇跡に相応しい。
だが、とトゥルカシア人は更に苦悩を顕にする。
「奇跡の代償として我々が差し出さねばならなかったのは、この言語だった」
彼は自らの首元を覆う機械に触れる。
何度も共通語がそこから出ている今なら分かる。あの機械は翻訳機なのだ。
「たった数百年で、我々はあの言葉を、発声を失い、我々を形作る歴史を埋もれさせた」
子どもと大人が奏でる旋律の違いが、成長によるものではないのだと理解する。
子の感情が明け透けな、そして幾重にも音が重なる言葉。それ対して、彼が機械を通す前の言語は、ゆったりとし溢れる音は少ない。
これは、時代の対比だった。
時代の断絶を表すかのように、エルゥカとLS-1-αが話しながら離れていく。
変わらず聞こえてくるエルゥカ少年の言葉は、楽しそうで無邪気だ。
風が砂を運び始める。たった1共通カウントにも満たない間で渦潮のような嵐となり、少年と兵器の姿は消えていった。
砂嵐が消えて、砂漠は沈黙する。
もう、あのきゃらきゃらと笑う子どもの声は聞こえない。
残されたトゥルカシア人は、少年たちが消えた方をしばし見つめ、そしてその視線を空に向ける。
「この映画は祈りだ。いつか伝わってほしいと願う、祈りだ」
彼は静かに空に向かって祈る。
彼につられて天へと顔を向ければ、星々が動き、文字となった。
それは共通語として広く普及されているものではない。彼らトゥルカシアの言葉なのか。
まるでこれから映画が本当に始まるのだと言わんばかりの、表示。
一体、どのような意味なのかと疑問を抱いた直後、隣の彼は文字を読み上げる。
その低く、いくつも折り重なった音は、無粋なエラー音で消される。
彼の首元の機械は、その音を言葉として認識できないようだ。
だからこそ、この静かな空間に似つかわしくないほど場違いな音が響いた。
映画のタイトルは分からないまま、不躾な音が思考に引っ掻き傷を残して、砂漠の夜は闇に包まれた。
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