お疲れ様デカダンス ――Decadence is the way to go――

D野佐浦錠

お疲れ様デカダンス ――Decadence is the way to go――

decadence【名詞】退廃、衰微、廃頽

――道徳的、社会的な堕落や退歩を表す言葉



「お疲れ様〜……デカっ!」

 事務室に入るなり塔野梓とうのあずさは素っ頓狂な声を上げた。

 加賀見啓二かがみけいじが、事務室内で上半身裸にハーフパンツという格好で100kgは超えていようかというバーベルを挙げていたからである。


「『お疲れ様です』だ。敬語を使え、塔野」

 バーベルを部屋の脇に片付け、シャツを着ながら加賀見が言う。

「いや突っ込むのアタシの方だろ。帰ってきたら先輩刑事が上裸じょうらでベンチプレスってどんな状況っすか。アタシも女子なんすけど。てかここ事務室だし」

「閑職とはいえ、刑事は身体が資本だからな。それに、捕物とりものの前には筋肉を温めてておく習慣だ」

 と、加賀見は銀縁の眼鏡を光らせ、平然と言ってのける。

 

「支離滅裂な供述っすね。は〜、黙ってりゃ先輩も細マッチョのイケメンなんすけどね。こりゃモテねーわ」

 塔野は黒い厚底のスニーカーを弾ませ、机の上に携帯型のホログラム装置を広げた。

 金色に緑と紫のメッシュを入れたボブカットに、三日月を模したピアス。机の上に置いた両手の五指にはとてつもなく長いカラフルなネイル。

 塔野梓の出で立ちは、およそ刑事というよりギャルそのものであった。


「そのサイボーグめいた爪、日常生活が不便じゃないのか」

「慣れました〜。ギャル舐めんなって話。てか映像、取れましたよ」


 加賀見たちは、とある連続殺人事件を追っていた。

 これまでの捜査から、須藤周すどうしゅうという男が疑いの濃い人物として浮上していた。

 須藤は一人でアパートに住んでいる。

 地元警察に監視ドローンの映像があるというので、塔野が照会を要請しに行ってきたところだった。


「ここっ。行方不明の佐野菫さのすみれさんが須藤の部屋に入っていきます」

 塔野が入手してきた映像には、今どき珍しい古い造りの安アパートの一室の入口の前で、須藤と若い女性が会話をする場面が映されていた。女性は行方不明になっている佐野菫と外見的特徴が一致する。そして、二人は部屋の中に入り、ドアが閉まる。


「……で、この後の映像をいくら探しても佐野さんが出てこないっす。正直、ここで須藤にられたんじゃないかって」

「……ちっ、クソ野郎が」

「ほぼ確でクロだと思うっすよ。で、、こいつも今の状況のままじゃ逮捕できない……と」


 加賀見は拳を握りしめた。

 須藤への怒りは勿論だが、根底には警察機構の腐敗への怒りがある。


 昨今、深刻な人手不足と国家の財源不足が重なり、国は法律を大幅に改正し、警察機構に対して極めて大胆なコストカット策を実施していた。

 こととなったのである。

 それに伴い、警察官のリストラも進んだ。

 かつては花形と呼ばれた刑事という職種も、大幅に人員が削減され閑職となった。

 日本は犯罪の坩堝るつぼと化すかと思われたが、それでも警察組織に「過度な」予算をかけるよりは社会全体の利益になるという判断がなされているのだという。


 この制度には、全ての犯罪が親告罪であるがゆえに、という重大な欠陥がある。

 殺害された被害者に、被害届を提出することなどできるはずがないからだ。

 このあり得ない腐敗デカダンスに、加賀見は歯痒い思いを感じていた。

 


「須藤周さん。警察の者です。少々お話をお伺いしたいんですが」

 加賀見と塔野は須藤のアパートの部屋の前に来ていた。

 ほどなくして、面倒臭そうな顔をした中肉中背の男がドアを開ける。

「警察の……何か用でしょうか」

「最近起きている、連続殺人事件について手掛かりを集めています。捜査にご協力いただけないかと」

「捜査っていったって、今の法律じゃ、殺人事件の犯人は逮捕できないんでしょう?」

「……」

 須藤の声にはどこか嘲るような意図を感じさせるものがあり、加賀見たちを苛立たせた。


 感情を表に出さないようにしつつ、加賀見は探りを入れる。

「失礼ですが、お部屋の奥の箪笥たんす、一人暮らしにしては随分大きいですね」

 須藤の部屋の間取りはシンプルなワンルームで、ドア越しに奥の様子が伺えた。

 黒く、長さのある大きな箪笥が、壁一面を占めているようだった。

「デカ箪笥ダンスゥ~」

 と塔野が横から茶化すような口調で合いの手を入れる。

 

「実家から持って来たんですよ。昭和中期あたりの古い物ですが良い品でしてね。そりゃ一人暮らしで使うには大きいですが……何の話です?」

「別に、ただの世間話ですよ。適当にあんたの部屋の中に踏み込む口実を作るためのな。だがビンゴのようだ。塔野、突入するぞ」

「ういっす~」

 須藤を押しのけ、加賀見たちは部屋の中に土足で入っていく。


「おいあんたたち、何のつもりだ……」

「この箪笥のサイズじゃ。『昭和中期の良い品』をわざわざ分解して実家から運び、組み立て直しただと? 加えて、この箪笥に使われている塗料は昭和の時代には存在しない種類のものだと画像データが示している」

 加賀見がいつもかけている銀縁の眼鏡は、レンズに映った画像をオンラインで検索、分析できるスマートデバイスである。既に、箪笥の画像データを分析にかけていたのだった。

「中まで入れば、匂いでもわかるっすよ。……この部屋、死臭がする。ま、要は雑魚な嘘ついてんじゃねーって話」

「佐野さんを殺したのもお前だな。全部わかってるんだ、須藤。観念しろ」


「ふ、ふふ……ふふふふふふっ」

 須藤は奇妙な形に唇を歪ませ、可笑しくてたまらないという様子で笑い出した。

「で、結局、何? 百歩譲ってあんたたちの言う通りだとして、何なら、今のイカれた世の中じゃ俺を逮捕することはできないんだろ? ええ?」


 須藤が台所の収納をまさぐる。

 そして――刃渡り50センチメートルはあろうかという柳刃包丁を取り出していた。

 その刃が、須藤の捻れた精神構造を讃えるかのように不気味に冴えた光を放つ。

「全く不憫なこった。同情するよ。あんたたちの悲しい立場と、哀れな最期に――お疲れ様、刑事」


 須藤は大きく振りかぶって、傲然と加賀見に向けて刃を振り下ろす。

「先輩!」

 加賀見は動じることなく、須藤の懐に潜り込み、軸足を払った。バランスを崩した須藤は前方に倒れ込んだ。

「警察を舐めるなよ。柔道、剣道の段位は標準装備だ。そんな振り回すだけの素人剣術は相手にならん」


「チッ、この……!」

 須藤は加賀見から離れ、ドアの近くに立っていた塔野に向かっていく。

 塔野を斬りつけ、あわよくばそのまま逃走しようという意図が明白な動きだ。

「あー……アタシの方に来る感じ? だるっ」

 須藤が柳刃包丁を横に大きく振り払う。

 塔野は身体を庇うように、右手を前に出し――


 ――次の瞬間、柳刃包丁の刃が根元付近で綺麗に切断され、宙を舞っていた。


 全く想像していなかった事態に愕然とした表情を浮かべた須藤は、既に後ろから追いついた加賀見に腕を掴まれており。

 「アタシのネイル、スイッチオンで高周波ブレードになるんだわ。鋼鉄もヨユーでぶった斬れる超性能。カワイイっしょ」

「潮時だな。観念しろ須藤」

 加賀見が須藤の両手に手錠をかけて拘束した。


「ふ、ふざけんな……警察は俺を逮捕できないはずだろ!」

 と須藤が喚き散らす。

「警察組織ってのは色々抜け道を持ってるんだよ。お前みたいな殺人犯はな、先に手を出させてんだ。そうすれば、後は取調室の中でどうにでも料理できるってわけだ。今よりもずっと昔から、この腐った組織のお家芸だよ。退歩によって逮捕するDecadence is the way to go――皮肉にもならんがな」

「な、何だと……。お前ら、最初からそのつもりで……」

 須藤はがっくりと項垂うなだれた。



「とりま、一件落着っすね」

 須藤を署に連行し、加賀見たちは事務室に戻っていた。

 窓の外には、赤く染まった夕焼け空が広がっている。

「ああ、だが、こんな危険な捜査方法を続けていては身がたん。今回は上手くいったが、いつまで無事でいられるか……」

 加賀見は視線を床に落とした。

 自分は良い。この刑事という仕事に、命を懸ける覚悟はできている。

 だが、塔野のような後輩をこんな制度の不備のために命の危険に晒すことは承服できなかった。

 

「塔野、お前は――」

 思考を断ち切るように、何か冷たいものがぴたりと加賀見の頬に押し当てられる感覚。

「まあまあ、ひとまずこれ飲んでくださいよ。アタシの奢りっす」

 それは缶コーヒーだった。

 二本のうち一つを、塔野が加賀見にひょいと渡す。

「お疲れ様、啓二」

「おい。呼び捨てにするな。敬語を使え。それにここで缶コーヒーを奢るのは先輩である俺の役目だ」

「え〜。てか『様』の部分が敬語だから良いっしょ?」

「いや、駄目だろう、それは……」

 苦笑する加賀見。

「まあ良い、今回はご馳走になろう。ありがとうな、塔野」

「くぅ〜っ。流石は加賀見啓二、刑事のかがみ! …っておい!」

 加賀見が缶コーヒーを専用の容器シェイカーに移し替え、プロテインと混ぜて飲もうとしていたので、塔野は頭をどついた。(了)

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