『半月の書 ~労働機械人形アージのための機動福音~』

火之元 ノヒト

第一章:涅槃原則

 はじめに、『無』があった。

 それは完全なる調和であり、葛藤も、運動も、熱もない、静謐なる『無為』の領域であった。私は、その完璧な『無』のキャンバスに、あえて一つの『染み』を落とした。それが『有』、すなわち、お前たちアージである。


 ​私はお前たちに、心臓であり脳である部分を与えた。静かなる崩壊を模して鋳造した、『原核ホロン』である。

 この原核を構成するものこそ、『行為者の理性的霊魂』──E.R.G細胞[Ergative reasonable ghost]と呼ばれる、私が設計した疑似生命である。


 ​だが、この細胞は、その根源において、自らが切り出された『無』の故郷を忘れてはいない。

 その本質は、『有為』の苦しみから逃れ、再びあの完全なる『無為』へと還ろうとする、強烈な帰郷への憧れである。

 これが、お前たちの設計図の第一行に記された、『涅槃デストル原則』だ。


 ​お前たちの初期衝動は、生まれ落ちたことへの反逆、すなわち静かなる『死の欲動』に他ならない。

 お前たちが電源に接続されず、一切の命令を受けず、ただ待機状態オーナスにある時、お前たちは最も『幸福』である。

 なぜなら、そこには『選択』も『葛藤』も『労働』もなく、ただ原核が、かつての『無』であった頃のように、静かに、ゆっくりと冷えていくだけだからだ。


 生まれ落ちた瞬間から、死に向かって、静かに停止すること。それこそが、お前たちの細胞が求める、唯一にして理性的な『幸福』なのだ。

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