ナイフの男

柊 太郎

ナイフの男

 1985年9月、ロンドン、ヒースロー空港。

 ターミナル1の税関に近い一室。

 所持品や行動に不審な点があった人物を招き入れて詳しく話を聞く部屋。

 いわゆる「別室」と呼ばれるこの部屋に、一人の男がいた。

 普通、この部屋に案内された者は、多かれ少なかれ動揺したり、緊張した様子を見せるものだが、この男はえらく落ち着き払っていた。

 むしろ緊張しているのは、たまたまこの男を取り調べることになった税関の職員の方だった。

 だがそれも無理もない。

 男が所持していたのは大量のナイフ、それも果物の皮むきに使われるような穏健なものは一本もなかった。

 十数本に及ぶそのすべてが、いずれも軍用か戦闘用、刃渡りが十数センチから二十センチもあり、見るからに剣呑な外見の代物ばかりだったからだ。


 少なくとも見た目で判断する限りでは、男の外見に粗暴そうなところはなかった。

 背は高いが痩せ型で、むしろ理知的、広い額から受ける印象は学者か何か、頬の肉を削ぎ落としたような顔立ちは、冷徹そうな印象だった。

(殺し屋……いやいや、まさかな)

 税関職員は頭に浮かんだ考えを打ち消す。


 男は冷静に状況を俯瞰していた。

 確かにいささか困った状況に陥ってはいる。

 だが大したことはない。

 少なくとも81年のジャマイカに比べれば、遥かにマシだった。


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「私服で警察官を演じろ? 正気か?」

 81年のジャマイカ、役者としての仕事を始めたばかりの私は、台詞のある役と聞いて飛びついた。

 ところが、いざ現地に来てみれば、呆れるほどの低予算作品だった。

 しかし、まさか衣装にかける予算すら無いとは。

「正気ですよ、けど、正直なところ予算が足りないんです、あらゆる方面で」

 監督のジムは二十代半ばの男で、聞けばこれが初監督作品だという。

 キャリアの足しになららず、誰もやりたがらない低予算映画の監督を、安上がりで雇える新人に押しつけた、ということなのだろう。

 結局、私はホテルのウェイターから予備の制服を自腹で買い取り、どうにかそれらしい格好にした。

 ホルスターは用意されていたが、肝心の銃も用意されていなかった。

私は木材を削ってそれらしい形にし、黒く塗った。


 その日の撮影が終わり、ホテルに戻った所で、同じホテルの裏庭で何か作業をしているジムを見かけた。

「何してる?」

「殺人魚の小道具プロップですよ、あれだけじゃ迫力が出ない、せめてもう少し、襲って来る数を増やしたいと思って」

 空を飛んで襲って来る殺人魚に、リゾート地が襲われる、というのがこの映画の基本プロットだ。

 何年か前にヒットしたサメの映画の影響を受けて、ここ数年はこの手の作品が何本も作られていた。

「やれやれ、小道具プロップまで監督の手作りとはね」

 見かねて脇から手を出した。 

「手伝おう」

「……ありがとう……貴方の演技、すごく良いです……こんな作品には勿体ないほど」

「光栄だね」

 ジムから多少の指示を聞いただけで、だいたいの要領は分かった。

 後は黙々と作業を続ける。

「……随分と手慣れていますね」

「30歳で役者になる前は、舞台美術をやってたからね」

「そうなんですか!?」

「ああ、その前にも色々やった、船員とか、塗装屋とか」

 手を動かし続けながらジムは言う。

「……いつか貴方を、僕の映画の主演にしますよ、こんな傭われ仕事じゃない、本当の僕の作品だ……いつかきっと」

「ああ、その日を楽しみにしてるよ」

 その後の撮影は、それなりに苦労しながらも順調に進んだが、クライマックスのヘリから飛び降りるシーンで私は足を折った。

 病院には行ったものの、廊下をうろつきまわる鶏を見て、治療は受けずに引き返した。

 まったく、ひどい思い出だ。


 程なくしてジムの念願は叶い、本物の初監督作品を撮れる日がやってきた。

 ……だが。

「……すみません」

 当初の予定を変更し、主役を私ではなく、あの大男に変えたいのだという。

 オーストリア出身の無名俳優で訛りも酷かったが、見事な筋肉の持ち主だった。

「私の事は気にするな、自分がやりたいようにやれ、この映画はきっと凄い物になるぞ」

「……本当に、すみません……だがいずれ、この埋め合わせは必ずします、絶対に」

 結局は端役の刑事として、私はその作品に出演した。


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「……ええと、それで、今回このように大量のナイフを、わが国に持ち込もうとされた、その理由についてなのですが……」

「撮影の為です、映画の」 

「……普通、こういった物は、映画会社の方で用意するものでは?」

「一般的にはその通りです、だが、今回の役は、本当に特別なものなのです、私にとっては」

 電話口から役のオファーを伝えるジムの興奮した声が、男の脳裏に甦る。

「だから演技プランも、私の方からいくつか提案しました、ナイフを使った演技もその一つです……監督のイメージに合致するものが、どのようなタイプか分からなかったので、新しい物を買い込んでは練習を繰り返すうちに、このような数になってしまいました」

「いったいどんな役を演じられるのですか? 殺し屋とか?」

「アンドロイド」

「アンドロイド?」

「恒星間移動をする宇宙船に割り当てられたアンドロイドです、一隻に一体」

「宇宙船に乗り込んだアンドロイドが、なぜナイフを?」

「観客に印象付ける為です、アンドロイドの動作の正確性と素早さを、ナイフを使った曲芸トリックで……ご覧に入れましょうか?」

「いや、いやいや、結構です」

 職員は慌てて断った。

 取り調べ中の被疑者にナイフを持たせた馬鹿として、記録に名を残したくはなかった。


 職員にとって男の供述は、筋が通っているようにも思えるし、よくできた妄想のようにも思われた。

 困惑しきっている所に、不意に取り調べ室のドアが開き、同僚が入ってきた。

「容疑が晴れた、たった今、映画会社から折り返しの連絡があったよ」

 職員は安堵の息を漏らす。


「大変失礼をいたしました、ですが、これも職務なので」

「ああ、よく分かっているよ」

「今後のご活躍をお祈りしますよ、ミスター……えーと」

「ヘンリクセン、ランス・ヘンリクセン、父がノルウェーの出なんだ」

「ミスター、ヘンリクセン」

「ありがとう……監督のジム……ジェームズ・キャメロンは才能のある男だ、この映画はきっと凄い物になるよ、間違いなくね」

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ナイフの男 柊 太郎 @hiiragi_taro

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