第3章

01

「休み?」

 放課後、リリヤを訪ねてきたヘンリクはマティアスの言葉に眉をひそめた。


「はい、姉は昨夜から熱を出しまして。今朝はだいぶ下がったのですが念のため休ませました」

「治療師には診せたのですか」

「いいえ。原因は過労なので、休養が一番大事だと判断しました」

 そう答えてマティアスは声をひそめた。

「姉の話では、昨日王宮で魔力を使いすぎたとか」


「――はい、リリヤ嬢には失せ物探しをお手伝いいただきました」

 ヘンリクはそう答えると頭を下げた。

「負担をかけ過ぎてしまい、申し訳ありません」


「学園以外で魔術の使用は禁じられているはずでは?」

「ルスコ教授の同席、指導の上行っております」

「教授がいたのに、熱を出すほど姉に無理をさせたのですか」

 マティアスはその目に不快の色をにじませた。

「正式に婚約した訳でもないのに、姉を連れ回し過ぎではないでしょうか」


「それについても、申し訳ございません」

 ヘンリクは頭を下げた。

 リリヤが精霊と交流できることは家族にも伝えていない。

 その力がラウリの呪いを解くのに必要なのだが、事情を知らなければいくら王太子とはいえ、婚約前の令嬢を連れ回しているのはマナー違反だろう。


「王太子殿下はリリヤ嬢のことをとても気に入っておられ、一日でも早く婚約したいと思っております」

「それは免罪符にはなりませんよね」

「……おっしゃる通りです。昨日は無理をさせてしまったと、殿下も反省しておりました。今後は気をつけます」


「よろしくお願いいたします。姉は殿下にとって特別でしょうが、私たちにとっても大切な家族ですから」

 ヘンリクを見据えてマティアスは言った。


「姉は慣れない貴族の生活に馴染もうとずっと努力しているんです。これ以上負担をかけないで頂きたいですね」

「――承知いたしました」

 ヘンリクはもう一度頭を下げた。


  *****


 夕陽の差し込む教室は、見覚えがあるけれどひどく懐かしいような、不思議な感覚を覚えた。

(えーっと……あれ、何してたんだっけ)

 椅子に座り、机の上に置かれた通学バッグをぼんやりと眺めながらリリヤは思った。


 夕方の教室。

 片付けられた荷物。

 紺色の制服。

(ええと……そうだ、施設に帰るんだ)

「リンちゃん!」

 立ち上がろうとすると、ガラッとドアが開く音がした。


「面談終わったよ! 帰ろ!」

「……由香?」

「どしたの? ぼんやりして」

 同じ制服を着た黒髪の少女が歩み寄ってくると首を傾げた。

「待ちくたびれて寝てた?」


「あ……そうみたい」

「お腹空いたね、早く帰ろ」

「うん」

 バッグを手に取るとリリヤは友人と校舎から出た。


「面談はどうだったの?」

 駅への道を歩きながらリリヤは友人に尋ねた。

「このまま頑張れば志望校に入れそうって」

「え、良かったね!」

「へへ。リンちゃんは? 進路決めた?」

「んー私は殿下と結婚すると思う」

「結婚!? え、でんかって……誰?」


「え? あ……れ?」

 リリヤは友人を振り返った。

「あれ? ここ……私……」


「そうか、十代で結婚か。リンちゃんはもう、遠い世界の人なんだね」

 ゆらりと友人の姿が歪んだ。

「もっと一緒に遊びたかったのに。寂しいな」


「――由香!」

 手を伸ばした先で、悲しそうな顔の友人が消える。

 真っ白な光がリリヤを包み込んだ。


  *****


 リリヤが目を開けると、レースをふんだんに使ったベッドの天蓋が見えた。

「――ゆめ……」

 向こうの世界の夢を見たのはいつぶりだろう。

 学園に入ってからは見ていなかったように思う。


「何であんな夢を……」

 暑さを覚えて前髪をかきあげ、額が熱を帯びているのに気づく。

「……そう、か。昨日……」

 王宮で精霊の石探しをした。

 かなりの魔力を使ったらしく、家に帰ってから熱を出してしまったのだ。


 朝になってかなり熱は下がったが、学園を休むよう家族に言われてベッドに横になっていた。

 けれど夕方になり、また熱が出できたようだ。


(……なんであんな夢を見たんだろう)

 ぼんやりと今見ていた夢を思い出す。

 学校の帰り道、友人と進路について話していた。

(進路……結婚……ああ、そうか。殿下に……)


 昨日、王宮で精霊の石探しをして。

 それから王妃様からお茶に誘われ、その後ラウリと二人で会話をした。


(あれって……好きって、やっぱりそういう意味なのかな)

 ラウリの言葉を思い出す。

(告白されたのなんて……初めてだ)

 好意があることには気づいていたけれど。

 それがどういう種類のものかまでは分からなかった……いや、考えようとしなかった。


 嬉しいような恥ずかしいような。

 心の奥がむずむずする。

(うう、次からどんな顔して殿下と会えばいいの)

 リリヤは枕に顔を埋めた。



 そのまま、また眠っていたらしい。

 ドアをノックする音が聞こえてリリヤは目を開いた。


「気分はどうかしら」

 母親と、その後ろから父親、そしてマティアスが顔を覗かせた。

「……大丈夫です」

「顔色は悪くないわね」

 ベッドサイドへ歩み寄ると、母親はリリヤの額に手を当てた。

 ひんやりとした感触が心地よい。


「熱はまだあるわね」

「明日も学園を休ませた方がいいだろう」

「いえ、明日にはもう大丈夫だと思います」

 父親の言葉にリリヤはそう返した。


「無理はしなくていい」

「そうよ、長引いたら大変だから明日も休んだ方がいいわ」

 両親の言葉にマティアスも頷く。

「姉上は夏休みの間も忙しくて疲れが溜まってるだろうから、ちゃんと休まないと」


「……そうかな」

 リリヤは自分を心配する家族に、心がじんわりと温かくなるのを感じた。


  *****


 翌日、すっかり熱は下がったものの念のためリリヤは学園を休んだ。

 午後、マティアスが書いてくれた前日の座学ノートを読んでいると、母親と大きな花束を持った侍女が部屋に入ってきた。


「王太子殿下からお見舞いよ」

「お見舞い?」

「花と果物ね。これはお手紙よ」

 リリヤは母親から封筒を手渡されると、中に入っている綺麗な装飾が施されたカードを開いた。


『無理をさせて申し訳なかった

 珍しい果物が手に入ったから送る

 それを食べてゆっくり休んでくれ』


 流暢な字で書かれた言葉は簡素なものだったが、それでもラウリの優しさが伝わってくるようだった。


「いただいた果物はあとでお茶の時間に出すわ」

「はい」

「それからね……もう一通、手紙が届いているの」

 言いにくそうに、母親は別の封筒を差し出した。


「宛先は旦那様だけれど、リリヤへの招待状ね」

「招待状? どこから……」

「教会よ」


「教会?」

「あなたは洗礼を受けていないから、向こうから催促が来たの。最近は洗礼を受けない人も多いから、今更かと思っていたのだけど……」

 母親はため息をついた。

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