第九話 沈黙の理由
リエさんはいろいろな理由で責められていた。
自分もやられたから。
悪口を言っていたから。
性格が悪いから。
けれど今思えば、どれも本当の理由ではなかったのだと思う。
理由なんて、あとから作られたものだ。
いじめを正当化するために、みんなが口にした“言い訳”のような言葉。
誰もがその言葉を信じたふりをしながら、
心のどこかで――自分が標的にならないことに、ほっとしていた。
教室の隅で、彼女たちの笑い声が響くたび、
私はその音が、どこか遠くの世界から聞こえているように感じた。
笑いというよりも、空気を切り裂くような音だった。
窓の外では、冬の日差しが白く傾き、
教室の床に長い影を落としていた。
その光の中に立つリエさんの姿は、いつも小さく見えた。
彼女が下を向くたび、髪が顔を隠し、
声がその奥に吸い込まれていった。
私は、何もできなかった。
ノートをめくる音の向こうで、誰かが小さく笑う。
そのたびに胸の奥が冷たくなるのに、
言葉は喉の奥で凍ったままだった。
「見なかったことにする」――それが、いちばん楽な生き方だった。
あの頃の私は、ただ、毎日をやり過ごすことで精一杯だったのだと思う。
当時も今も、あの沈黙が正しかったのかは分からない。
声を上げたところで、何が変わっただろう。
けれど、あのとき一度でも名前を呼べたなら――
その一言が、少しだけ何かを変えていたのかもしれない。
そんな後悔が、今も胸の奥でかすかに疼く。
◇
進学の時期になり、リエさんは他のメンバーと違う高校を選んだ。
それは偶然ではなく、恐れと距離を取るための選択だったのだろう。
今になって思う。
リエさんの選択の裏には、怖れと後悔の両方があったのかもしれない。
なぜなら、かつていじめる側にいたのは、リエさん自身だったからだ。
誰かを傷つけた手が、めぐりめぐって自分を叩く――
そんな形で、あの日々は終わっていった。
けれど、本当の終わりは、きっとあの時ではなかった。
いじめる側も、いじめられる側も、
みんな心のどこかで同じ沈黙を抱えていた。
「何も言わなかった自分」を許せないまま、
大人になっていったのだと思う。
それぞれが胸の奥で、小さな音を立てながら。
時折、あの頃の夢を見る。
放課後の教室、窓際の席、白い光。
誰かの笑い声が遠くで響き、私はまた言葉を失っている。
目を覚ますたび、胸の奥でその音が静かに揺れる。
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