第四話 無力感


 あの日から、私は“人間”が怖くなった。

 何をしでかすか分からない、理屈の通じない生き物。

 それが“人間”なんだと思った。


 学校の机に触るのが怖かった。

 自分のノートや教科書を家で使うのもためらった。


『もし、あの机に唾を吐かれてたら』

『もし、あの机がトイレ帰りの靴で踏まれてたら』


 考え出すと止まらなかった。

 逃げ場なんて、どこにもなかった。



 その後も、リエさんへの嫌がらせは続いた。

 通りすがりに蹴られたり、髪を引っ張られたり。

 椅子から引きずり落とされることもあった。


 教室には四十五人いた。

 でも、誰も止めなかった。

 ――私も。


 私はただ、見ていることしかできなかった。

 怖くて、声が出なかった。

 “あのとき”が焼き付いて、何もできなかった。


 ――私は、どうすればよかったんだろう。


 昭和の中学校――教師は生徒のいざこざにほとんど介入しなかった。

 「生徒同士で解決しろ」――それが当たり前の時代だった。


 私は、初めて"外の世界"で“無力感”を知った。

 あの時の感覚は、今も鮮明に残っている。



 ……秋の風が吹くたび、あの日の昇降口を思い出す。

 あの時の私はただの傍観者だった。

 けれど、あの光景を見た私の中では、確かに何かが壊れた。

 そして、それは今も直らない。

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