第2話 人間

 行く宛も無く歩いているものだとばかり思っていたが、そうではないと知ったのは、彼女がある建物の前で立ち止まった為だった。


「探してみましょう」


 建物の出入り口で立ち止まった少女を、自分は眺めていた。

 彼女は瓦礫をむんずと掴み、脚を踏ん張っているように見える。しかしそれを動かしている気配はない。


「ん……むむむぅ……っ」

「何をしているの」

「見てわかるでしょ……動かそうとしているの……っ」


 ――動かそうとしている。


 脳内でその言葉を反芻してから、自分は首を傾げた。

 動かすことに、「動かそう」などという意思が必要だと思ったことはない。障害物があるということ自体、ほとんど意識していないのかもしれない。


「あなたも手伝ってくれない? 2人で力を合わせれば……!」

「どこに動かしたい」

「スーパーに入りたいのよっ」


 一度手を離し、肩を上下させた少女は再び瓦礫に向かっていく。自分はそれを一瞥してから、瓦礫に手をかけ上へと登っていく。


「ちょ、ちょっと? 何をしているの?」

「君はそれを動かせばいい。残りは自分がやる」

「へ?」


 ぽかん、という顔でこちらを見る少女の視線を無視する。細長い瓦礫を片手で掴むと、陥没した道路目掛けて放り投げる。

 コンクリートに突き刺さったことを確認してから、次から次へとそれを繰り返していく。

 ――開いた口が塞がらない少女を尻目に。


「あ……あ……」


 ようやくまともな音を口から発した少女は、自分を見てわなわなと唇を震わせている。瓦礫は少女の掴んでいた一つのみになり、もはやぐるりと迂回すれば通れるようになっている。手の砂埃を払い少女の元へ戻ると、彼女はやがて言い放った。


「あなた、すごいわね……!?」

「すごい」

「そうよ! その華奢な腕のどこからそんな力が出てくるのよ!」

「華奢な腕」


 己の腕に視線を向ける。ゆったりとした黒の袖に隠された腕を、自分で目にした記憶はない。

 ふと、興味が湧いた。よくよく考えると、自分の体をまじまじと見たこともなかった。

 その場で服を掴み、一思いに脱ぎ始めると、少女は「何をしているの!?」とこちらへ駆け寄ってきた。


「ここ、外よ! 外!」

「外だからなに」

「女の子は脱いだらだめなの!」


 ――女の子。


 ぎゅ、と自分の体を抱き締める少女。懸命に私を隠そうとしているらしいその仕草。

 自分よりもよほど華奢な少女のその体は、やけに温かいと思った。


「自分は女性」

「そうでしょ? わたしにはそう見える……わ……」


 少女の焦燥感滲む声音が、不意に途絶えた。

 それに違和感を覚え、視線を向ける。彼女は自分の肩付近を見ていた。視線を送ろうとするが、自分からは視認することができない。服を片手に持ち替え、手で探るように触れる。


「……」


 そこには、凹凸があった。不自然な凹凸。辿るように指先でなぞっていけば、鎖骨に沿うように続いている。うなじまで一周しているらしいそれを確かめてから、少女の背中越しに腕も確認する。


 手首の内側から脇まで、一直線に引かれた凹凸。これはおそらく――一度切開された痕跡。


「……そうなのね」


 少女の眉が、下がった。

 私の手を掴み、建物の中へと入っていく少女。きょろきょろと辺りを見回し従業員用らしき個室を見つけると、その中に自分を押し込む。


「見てあげる。全部脱いでいいよ」

「……わかった」


 女性と呼ぶには目立った膨らみが無く、男性と呼ぶには貧相に見えるその身体を全て曝け出すと、彼女は隅々まで確かめた。「ここも」「ここにも」と指先で辿られる度、凹凸の感触がありありと伝わる。


「……全身、至る所に。これじゃあ、まるで――」


 ――まるごとみたい。


 少女の零れ落ちるような呟き。それは自分の中で、やけに腑に落ちるものだった。

 自分が純粋な人間ではないのなら。何者かによって、作り変えられたというのなら。

 ――記憶が無いのも、不自然ではないのかもしれない。


「……きっと重い病気だったのね」

「……」

「あなたはえらいわ」


 少女の手がゆっくりと、自分の頭を撫でる。その穏やかな微笑みを正面から見つめながら、髪越しのその感触に疑問を抱く。

 ――胸の中心が。


 やけに、ざわつく気がする。


「……」


 これは、なに――そう問いかけるために開きかけた口は、不可解な低い音を耳にしたことで停止した。

 何かが締め上げられるような、聞いた記憶のない音。少女の首を締めたときの唸りにも似ていた。


「……あぅ」


 その直後、少女が自身の腹部を押さえた。困り眉をして自分を見るその視線は、僅かな躊躇いを滲ませているように見受けられた。


「……とりあえず、服を着て。目的を済ませましょう」

「目的」




「食料の調達よ」




 カートにありったけの保存食を詰めることをしばらく繰り返すと、随分な量になった。生物なまものの大半は黒く変色していたが、缶詰やシリアル類などは大した損害を受けることなく残っている。これだけあれば、数カ月はつだろう。


「うーん……これでも一ヶ月くらいかしら」


 しかし、少女の概算は違ったらしい。腕を組み頭を悩ませるその様子に疑問を抱き、自分は素直に口を開く。


「体格の割に食事量が多い」

「え? わたしは普通よ。だってあなたが居るじゃない」

「あなた」


 どうやら自分のことを言っているようだが、自分と食事という行為は、特別結びつかない。数秒思案してから、再び素直にそれを述べる。


「空腹は感じない」

「え?」

「食事は必要ないと考えられる」


 歪な沈黙が流れた。少女と見つめ合ったまま自分が一度瞬くと、少女は自分の体をゆっくりと見下ろしてから、やがてカートの中の缶詰を一つ、手に取る。


「今すぐ食べなさい」

「なぜ」


「わたしが許せないの! その様子じゃ、しばらく食べていないのでしょう?」


 何故か怒り心頭の少女は、プルタブを開けると適当な深さのある皿にラップを敷き、缶の中身を丸ごと入れた。黄色のその果実は確か、パイナップルと呼ばれる。


「はい、あーん」


 フォークでパイナップルを切り分けた少女が、自分の口元にそれを持ってくる。閉口したまま意図がわからずにいると「早く口を開けるの!」と言われ、指示のままに薄く開く。

 その隙間に捩じ込まれるように、汁の滴る果実が入ってきた。


「……」

「はい、もぐもぐ」


 フォークを引き抜いた少女が、その場で実演するように口を動かす。見様見真似で動かすと、口の中でじゅわりと液体が広がっていく。

 甘みと酸味を舌が感知する。砂のざらつき以外を感じたのは、一体いつ以来だろうかと漠然と考える。しかしやはり、思い出すことはできなかった。


「美味しい?」

「……」


 発声機能が口内の異物によって妨害される。質問に答えるため、体の内部へそれを送り込む。


「味に特段の興味はない」

「人間の三大欲求をそんな評価で片付けちゃだめよ」

「人間」


 人間と自分を形容されたその事実に、違和感を覚えた。

 自分は、人間と呼べるのだろうか。記憶がなく、食事を必要とせず、おそらく排泄も不要であろう自分は。




 ――本当に、人間なのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る