第2話



訓練指導が終われば、トリスタン副長は見習いたちと共に食堂に来る予定。

そら女たちは張り切るし、紅も差しちゃうし、ミスをするほど緊張するわけである。


訓練に参加しない見習い騎士たちは二日分の休暇が出ているのに、女たちは全員出勤してきた。トリスタン副長を拝見できるチャンスがあるのに、休んでられっか、という話である。

もちろん、エリカも例外ではない。

もう一度、トリスタン副長に会いたかったのだ。




そして、調理場から空腹を刺激する香ばしい匂いが漂う頃。

ついに訓練を終えた見習い騎士たちが、トリスタン副長らを囲むようにして食堂へやってきた。


誰かが「来たわ!」と言った声に反応して、調理場から食堂全体が一望できるアーチ形の窓へ、女たちが一斉に顔を向ける。

縦に並ぶ木製の長テーブルに向かって歩く群衆の中央にいる人物、トリスタン・カルゼルクに、思わず目を奪われた。


ブーツは黒いズボンの裾まで被り、白いシャツは前ボタンが上から二つまで開いていた。騎士団の軍服である紺色のジャケットには袖を通さずに羽織っている。

肩まで届く波打つ金髪は無造作に頭の後ろでひとつに結ばれ、こめかみから崩れた毛束が螺旋階段のようなカーブを描いて緩やかに落ちる。その髪は目じりに斜めに入った古傷を僅かに隠していた。

背が高く、立っているだけで場の空気を支配するような圧倒的なオーラは、見るもの全てを惹きつける色男のそれだった。


深みのある青い瞳が一瞬食堂へ向けられると、頬を緩ませていた女たちはすかさず手を振った。

肘と腕力で互いを押し合う先輩方に後ろに押されたせいで、エリカは手を振ることもできず、仕方がないので仕上げの調味料を入れたばかりのスープをかき混ぜることにした。

表情には、緊張と期待の色が浮かんでいる。


(あとで近くに行けたらいいのだけど…)


女たちは出来上った料理を配膳し始めた。


トリスタンにお皿を渡すという幸運を見事、公平なあみだくじで勝ち取ったのは、一年前に新人として入ったメアリー。

抽選の結果を知った時は静かにガッツポーズを決め、覚悟を決めたような勇ましい顔をしていたメアリーが、いざ配膳となると今にも泣きそうな顔をしている。

その姿を、調理場からそっと覗いたエリカは、思わず小さく噴き出してしまった。


(メアリーのあんな顔、初めて見たわ)


配膳が終わり、見習い騎士の一人が代表して食前祈祷を捧げると、食事が始まった。

いつもは腹をすかした獣のような勢いでご飯を貪る見習い騎士たちが、トリスタンがいるというそれだけの事実のお陰で、それなりの知性と教養のある青年のようにして食べている。


「副長は普段、どのような訓練をなさっているのですか」


誰かが尋ねると、スープを一口飲んでいたトリスタンは、淡々と、しかしわかりやすく説明を始めた。


見習い騎士は一言も聞き漏らすまいと耳をそばたてるが、憧れの人を目の前にしているせいか、顔は赤くなり、口は乾き、手はそわそわと震えている。

真剣な表情なのにぎこちなく、まるで大型犬に怯む子犬のようだ。


「あの子たちもなんか可愛いわね…」


調理場では女たちが体を寄せ合いアーチ窓から覗いていた。ある女はレシピ本に副長の横顔のデッサンまでしている。


「何を話してるかわからないけど、口を動かしてるだけでも絵になるんだねぇ…」


食堂係の仕切り役、ミモレがため息交じりに零すと、皆がうんうんと噛み締めるように頷く。


その時、トリスタンの手からスプーンが落ち、首を両手で押さえながら苦しみ始めた。


「副長!」


叫ぶ声が飛び交い、食堂はたちまち騒然となった。騎士たちが一斉に周囲を囲み、必死に声をかけている。

エリカはその隙間から、息を呑んでトリスタンを見つめた。


口元は腫れ、赤い斑点が広がっている。唇は紫色を帯び、呼吸をする度に喉の奥からシューシューと乾いた音が漏れる。顔も青白くなり始めていた。

エリカはほとんど反射的に、自分の鞄を置いている調理場の端へ駆けた。


だが手が届かぬうちに、吠えるような雄叫びが響き渡る。

今度は何事かと慌てて食堂を覗けば、奥の出入口から、黒髪黒目の容姿に山賊のような恰好をした男たちが一気に侵入してきていた。

剣を片手に構え、見習い騎士たち目掛けてふるっている。


(うそ…!)


苦しむトリスタンに皆が狼狽える中、一瞬の隙に奇襲を受けたのだ。




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