「結構降ってますね」


 窓の外を見て驚いた琴音に声をかける。

 琴音が怜に話しかける前から降っていたが、勉強に集中していて気づいていなかったようだ。


「そうだねえ……」

「どうされましたか」

「傘、忘れちゃった」


 この時期は急な雨が多い。今回のものはいつもよりも雨量が多そうである。


「和美さん、忘れ物の傘一つ借りてもいいですか」

「え、いいけれど……相合傘しなくていいの?」 「しませんよ一彗さんみたいなこと言わないでください」


 そもそもそういう風ないじり方をするのは、ある程度仲良くなった男女に対してではないだろうか。

 この喫茶店の恋愛脳は一彗だけでよいのだ。


「悪いよそんな、駅近いし走ればいいから」

「徒歩十五分は遠いですよ。また返してくだされば良いですから」

「でも……」


 琴音は申し訳なさそうな表情で、頑なに断っていた。

 それを見かねたのかカウンターから和美が顔を出してきた。


「他のお客様にも行っていることだから、構いませんよ。怜くんと帰ってあげてください」

「その必要ありますか?」

「怜くんが傘回収して明日持ってきてくだされば、お嬢さんも楽でしょう?」


 琴音は 次にいつ来るかわからないし、和美の言うことも最もではある。

 仕方ないので、「分かりましたよ」と和美に伝え、忘れ物の傘を一つ取りに行った。


「じゃあ行きますか」


 和美に挨拶をし、琴音と共に店を出る。

 冬も近く、店の外はかなり暗かった。

 琴音を一人で 帰らせるのも危険だったかもしれないので、怜が一緒の方が良かったのかもしれない。

 そこまでを和美が考えていたかは不明ではあるが。


「すみません。こんなことになってしまって」 「大丈夫だよ全然、一人で帰るのも寂しいしね。というか!」

「何ですか急に」


 やや不機嫌そうな表情で、琴音は傘の範囲のぎりぎりまで怜に詰め寄ってきた。


「その話し方だよ。店の中だったら敬語って言ってたじゃん。普通に話してくれていいんだよ」

「えぇ……」


 つい最近まで関わりのなかった異性に、気の置けない男友達と同じ対応をするわけにはいくまい。


「そういうことなら貴女もでしょう?高校の人もこの辺りにいるかもしれませんし、戻したらどうですか」

「やだよ。というかむしろこっちがデフォルトだし」


 学校では絶対に口にしないであろう子供のような言葉遣いで琴音は断言した。


「でもなあ、結構続けてきて、学校の方の性格も自然に出せるようになったからなあ。素の性格とかわかんなくなってるかも」

「大変ですね」


 今の姿と学校の姿は、正反対と言っていいほどかけ離れている。そんな二つの振る舞いを一日の中で使い分けるのにはそれなりに苦労しているのだろう。


「そっちこそ自分見失ったりしないの?学校と結構違うけど」

「僕は目上の人に丁寧に接してるだけなので、性格が変わったりはしてないんですよ」


 同世代のバイトの人にはそれなりに緩い態度で接している。それこそ友達と同じように、それなりに気安い仲ではあると思っている。


「そうなんだ。……違うとか指摘したけど、学校での君あんまり知らないんだよなあ」


 それはそうだろう。

 首をこてりと傾げて、怜の顔をまじまじと見てきた。


「関わりませんし、関わりたくないですしね」

「ほーん人権侵害だよ」

「良くも悪くも衆目を集めるんで、離れた方が楽なんですよ。貴女の周りは厄介ですからね」


 彼女の影響力を目的にそばに寄ってくる人たちは 彼女の周りに悪い虫がつくこと嫌う。学校内での琴音は、恋愛対象というよりは一種の崇拝する先と化してしまって いるのだ。

 それが琴音にとって良いものかどうかわからないが。


「勝手に集まってくるんだから仕方ないじゃん。ほんとに仲良い人は少ないよ」

「そうなんですか」

「だから仲良くしようね。厄介な人が周りにいない私と友達になるんだよ?」


 笑みが浮かんだ整った顔は、その辺りの男なら簡単にやられてしまいそうな破壊力だ。

 ただ怜の中では、少しだけ負の感情が勝ってってしまった。


「考えておきます」




 ■■■




 その後も他愛もない話をして、駅に着き、琴音の最寄り駅に近づいてきた。


「 そういえば家どこなんですか」

「え? ――だけど」

「ああ、それなら家まで送っていきましょうか。僕の定期の範囲内ですし」


 それを聞いた瞬間、琴音の顔は少し寂しいような悲しいような、暗い表情になったて、その後、慌てたように怜に言葉を返してきた


「 いやっ、そこまではいいよ、大丈夫大丈夫申し訳ないし」

「本当ですか?」

「そうそう。住んでるところ駅から近いから」


 そう言うことなら無理強いをすることもないだろう。琴音から傘を受け取った。


「じゃあ今日は色々とありがとね」

「ええ、では」


 扉から出ていく琴音を見送って、怜は小さく息をつく。


 少しの違和感に気づくには、二人の関わりは小さすぎた。

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