突撃

 琴音と婦人が喫茶店を訪れてから数日後の話である。

 喫茶店の定休日である水曜日の翌日に、学校で少しだけ事件が起きた。



 とある休み時間、いつも通り本の世界に耽っていたところに、衝撃が走った。

 ――物理的に。


 振り返ると、先ほどの衝撃は、琴音が怜の座っていた椅子に足をぶつけたものだったと分かった。


「申し訳ありません……大丈夫ですか?若峰さん」


 いつも行っている貴族令嬢のような立ち振る舞いで、周りからは御嬢様やご令嬢などと呼ばれている。

 そんな琴音が、いかにも申し訳なさそうな表情でこちらを見ている。が、目が全くと言っていいほど笑っていない。



「……うん、特には。古谷は大丈夫だった?」

「はい。すみません、私の不注意が原因で邪魔をしてしまって」


 間違いなく故意だが、本人としてはこのまま通したいようである。


「……いや、別にいいよ」

「本当にすみませんでした。……(では、また)」

「分かった。……は?」


 機械的に返事をした後、琴音の潜めた言葉をかみ砕いている間に、琴音は皆の輪の中に戻っていた。

 後ろの方から琴音を心配する女子生徒の声が小さく聞こえた。


 彼女の表情は、間違いなく怒りだった。

 大方、定休日を教えたことを怒っているのだろうが……。騙された時点で諦めてくれればよかったのにと思ってしまう。

 色々と面倒なことになった。




 ■■■




 学校が終わると職場に行った。

 部活や習い事などもしていないので、定休日と土日以外はシフトを入れるようにしている。

 基本的に何かをやっていないと落ち着かない性分なので、入りたいと思える時に入れるこの仕事は嫌いではない。



「あ、若峰」

「井上さん。前に忙しいって言ってませんでした?」


 バイトの先輩である大学生の井上いのうえ一彗いっせいがロッカー室にいた。

 彼は少し前に怠けていたツケが回ってきたと愚痴をこぼしており、最近は見かけなかったのだが……。無事に解決したのだろうか。


「あー、……まあ貯めてた分は終わったから」

「じゃあ先の分まで終わらせてから入ってください。どうせまた数か月後には焦りだすんでしょう」


 一彗は定期的にシフトを全く出さない期間がある。毎日の継続的な勉強が苦手で、いつも後回しにしてしまうのだろう。


「期限に追われないとやる気出ないタチなんだよ。そっちこそ毎日毎日勉強もせずに労働に励みやがって」

「僕は先輩と違って毎日やることやってるのでいいんです。成績も割といいですし」

「お前もどうせ、大学生になったら遊び惚けるに決まってるわ」


 彼曰く大学では真面目に学習をしている方が異端らしい。その場合、勉強くらいしか取り柄のない怜はどう過ごせばよいのかと思ってしまう。

 大学は人生の夏休みだとかなんだとか聞いていたので、少し楽しみではあったのだが、この人の話を聞くようになってからだんだんと興味が薄れていくのを感じていた。


 一彗が出て行ったあと、制服から従業員のユニフォームに着替えて客席に出――ようとした。


 教室の一言から思考の候補には上がっていた出来事が、案の定実際に起こってしまったようである。

 昨日と同じテーブル席に、琴音が座っていた。


 琴音はこちらに気づくと、にっこりと微笑みかけてきた。


 ……今の感想を正直に言おう。逃げたい。



 と思っていたら、一彗が琴音に近づいていた。


「お客さん、ここ初めて?」

「……いえ、先日一度来ましたが」

「そっかそっか、今何歳なの?」

「17歳ですけど」


(あ、盛った)

 怜も琴音も高校一年生である。琴音が15歳か16歳かは知らないが、年齢のサバを高く読んでいるのは間違いない。


「若峰くん止めてきて」

「了解です」


 一彗のナンパ癖は店内で何度も観察されており、怜ともう一人のバイトのどちらかがいつも止めに入っていた。

 ちなみに本人は”可愛い子には話しかけよっていう諺があるんだよ”という意味不明の供述をしており、反省の色は見られていない。



「井上さん、そこまでです。和美さんが呼んでますよ」

「えー。せっかくいいところだってのに」

「雰囲気は険悪でしたけどね」


 意外とこちらが止めるとあっさり引き下がってくれるので、じゃあ最初からやらないでほしいと思ってしまう。

 怜たちの掛け合いを聞いていた琴音は苦笑いを浮かべていたが、一彗が向こうに行くと怜の方を見てきた。



「お客様、ご不快な思いをさせてしまい申し訳ございません」

「いや、まああの人本気じゃなかったし大丈夫だよ。ただお詫びに君にはバイト終わりに付き合ってもらうけど」

「申し訳ございませんが、当店ではスタッフのお持ち帰りは厳禁となっております」

「普通に失礼だからね!?お持ち帰らないし!」

「そうですか、では失礼します」


 後ろからの戸惑いの声は無視して、厨房に戻る。

 面倒ごとは御免なのである。


 と思ったら、和美と一彗が厨房の入り口から首を出していた。

 逃げた先にも面倒が待っていたようである。


「のぞきですか。趣味悪いですよ一彗さん」

「なんで俺だけ!?和美さんも見てたじゃん」

「なんとなくです。一彗さんは邪な気持ちが見え隠れしてたんで」


 具体的には後でにやけながらからかってくる姿が思い浮かんだので、わざわざ名指ししたのである。

 一彗と言葉の応酬を重ねていると、もう一人の観察者であった和美が発言した。


「話は聞かせて貰いました。若峰くんはあの方の接客に専念していいですよ」

「ほんとに話聞いてました?明らかに嫌な顔してたと思うんですけど」

「井上くんがやらかしたお詫びにお客様の要望は聞かないといけませんから」

「そうだそうだ、お詫びは必要だ」


 面倒ごとの原因がなぜか騒いでいる。もうちょっと反省の兆しを見せてほしいものだ。

 とはいえ、和美は上司であるし、スタッフが迷惑をかけたのは事実である。おおかた口封じか何かだろうし、少しぐらい付き合っても構わないだろう。


「……少しだけ抜けさせていただきます」

「んふふ。わかりました」

「今度は覗かないでくださいね」


 などと言ったところで、どちらにせよ話は聞かれるのだろう。焼け石に水程度の注意では、意味はないと理解はしていた。

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