第3話

「お子様ランチの旗って、このデパートで買えますか?」

「レジでご購入いただけますよ。そうおっしゃってくださるお客さまが多いので、こちらでお取り扱いをするようにしたんです」

「そう。ありがとう」

 お子様ランチに付いていた旗を大切そうに握っている千陽路ちひろを見て、店員を呼び止めた慎太郎しんたろうがそう訊ねているのを誠志朗せいしろうは三杯目のビールを飲みながら興味深く眺めていた。

「何だよ? 誠志朗……」

「いや……別に……」

「……そろそろ行くか……あんた、放っておいたらいつまでだって飲んでるからな」

「ビールくらいでこの俺が酔うかよ」

「そういう問題かよ。千陽路。今からゲームコーナー行って、何か乗り物乗りに行こう。おいで」

 やはり誠志朗を警戒しているのだろう。千陽路に笑顔はない。

 それでも、慎太郎とは手を繋ぎ、空いた片手に旗を握っている。

「千陽路。旗買ってあげたから、夜ごはんにも旗立ててあげるからな」

 慎太郎の言葉に千陽路はただうなずいた。

 手を繋いで歩く慎太郎と千陽路の後ろから、連れだと思われないような距離を取って誠志朗が続く。

 ワンフロア下にあるゲームコーナーに行く前に場所を確認し、誠志朗は慎太郎に声をかけ、喫煙所に向かった。

 さてさて。

 慎太郎が連れているあの子供は何者であるのか。

 好奇心はあるが、あれこれと詮索するような性格を誠志朗は持っていない。

 慎太郎が相談したいと言ってきたのだから、それを受け止めるだけだ。

 タバコの吸い殻を灰皿に放り込んで、誠志朗は喫煙所を後にした。


 あまり広くはないゲームコーナーで、誠志朗は目的の人物をすぐに見つけることができた。

 ゆらゆらと揺れるおもちゃのクルマに乗っている千陽路と、それを見守る慎太郎がそこにいた。

「よっ! お待たせ」

「ああ……」

「で?」

「……話が早いな、相変わらず……」

 そう。

 誠志朗は変わらない。

 広域暴力団の総長を継いだ今も、誠志朗は慎太郎が知る誠志朗のままだった。

 そんな誠志朗に、慎太郎は千陽路を手元に引き取った経緯を話して聞かせた。

 誠志朗はその話を時々うなずきながら、黙って聞いていた。

 そして、言う。

「パパねぇ……」

「いつまでも勘違いさせておくわけにもいかないしさ……」

「いいんじゃないか? 軽く暗示でもかけてやれば、あの年齢としじゃ支障はないだろうし」

「だけど……」

「お前さんの方が、その年齢としでパパになる踏ん切りがつかないってか?」

「いや……それはいいんだ……俺はそもそも結婚する気もないし……」

「そう言ってたな……今も、気持ちは変わらずか……」

「まさかさ、こんな重たい荷物を自分の好きな相手に持たせられないだろ」

 どこまでも生真面目な慎太郎らしい言い様に、誠志朗は笑みを浮かべた。

 しかし、慎太郎が生きる世界はそんなに甘いものではない。松岡家まつおかけ本家当主の血筋は何としても継いでいかなければならないものだ。 とは言え、今の慎太郎にそれを告げなくてもいいだろうと判断し、今は黙っていることにした。

「お前さんは、あの子供をどうしたいって言うんだ?」

「……千陽路は……あの事件で親を亡くしたんだ……それに言っただろう? すごく強い霊力を持ってるし、守護霊も上位なものだ。そんな能力ちからを持っていて、使い方もわからないまま、例えば養護施設とかには行かせられないだろう?」

「松岡家本家で面倒見るってか?」

「俺はそのつもりなんだ」

「……そうなった時に、あの子供は否応なく松岡家本家に抱きこまれることになるぞ」

「……え?」

「え? じゃないって。考えてもみろ。松岡家本家って何だ? 陰陽師おんみょうじの集団だ。あの業界は常に人手不足だろう? そんなところで育てて、その子供は能力者で。そんな人材を奴らが放っておくと思うか?」

 自分が考えもしていなかった現実を突きつけられて、慎太郎は返事もできなかった。

「当主たるお前さんがだぞ、自ら育ててるんだ。そのお前さんが結婚しないと言い出したら、そりゃ奴らからすりゃ次期当主候補にしかねないぞ」

「……俺は、そんなつもりは……そんなことは、全然考えてない……」

 呆然としたまま、慎太郎はやっとそれだけを口にした。

 誠志朗からすれば、慎太郎という人間は考えすぎるきらいがあるし、何でも背負い込むところもある一方で、どこかこういう抜けた部分が感じられる。

誠志朗は盛大にため息をついた。

「お前さんは変わってないなぁ……いい意味でも、悪い意味でも」

「成長してないって言いたいんだろう? わかってるよ、それくらいのこと……」

「そういう意味じゃなくってさ……お前さん、あの古い家に取り込まれることもなく、相変わらずで安心したよ」

 誠志朗は以前のままの人好きのする笑顔を浮かべた。

「まあ……俺は、俺だよ」

「ああ。安心した」

「俺は、千陽路を松岡家本家で育てるべきじゃないのかな?」

「正直言って、俺にはわからん。俺ならそもそも子供を引き取ろうとは思わんが、お前さんはあの子供と縁があったんだろう。数多あまたある松岡家本家に依頼があった案件の中で、たまたま今回、お前さんが動いたわけだが……正直言って、お前さんが動かなきゃならない案件だったかと言われると、どうかな? って思うような案件だ。そこにたまたまお前さんが抜擢されて、松岡家本家当主たるお前さんが動く事態になったわけだな。それこそが、縁なんだと思う。お前さんはあの子供と縁があったんだろう」

「そう……なのかな?」

「それしかないだろう。惨殺事件の場の浄化なんて仕事なんか、何もお前さんじゃなくてもいいわけだろう? だけど、今回に限って言えば、お前さんが自ら動いたわけだ。そこであの子供と出会った。それが、縁だ」

「縁……」

「そう……縁」

「だってさ……放っとけないじゃないか」

「あの子供、お前さんに会えて良かったんじゃないか? 例えば俺だったら、即行で警察に連れてってるぜ?」

「警察?」

「身元不明の迷子だろ? 警察に届けるもんじゃないか?」

「だって、そんな……千陽路は……」

「うん……お前さんはそう思うわけだろ? 俺だったら違ったってわけだ。それがあの子供の運の強さってことだな」

「でも、千陽路は両親亡くしてるんだぜ? それだけで十分気の毒なことじゃないか」

「ああ、それはそうだな。でも、お前さんに会うことができたのは、この子供の運の強さだ」

「俺は……俺はさ……千陽路が強い霊力を持ってるから引き取りたいってわけじゃないんだ。千陽路は淋しいんだよ。年恰好も違う俺をさ、父親と見間違えるなんて、すっごく淋しかったんだと思うんだ。そりゃ、あんな凄惨な事件があった村で……その山の中でたった一人残されて……ホントに心細かったと思うんだ。だから、俺は……千陽路が少しでも笑ってくれるなら……少しでも喜んでくれるなら、何だってしてやりたい。かわいい服を買ってやったり、おもちゃを買ってやったり、おいしいゴハンとか、それこそ何だってしてやりたいんだ」

「お前さんがそう思うならそうしてやれよ。誰も文句言いやしないさ」

「って、あんたが千陽路が松岡家本家に抱きこまれるって俺を脅したんだろうが」

「脅しじゃねぇよ。事実だ」

「もっと悪い」

 憮然として言う慎太郎を見て、誠志朗は笑いだした。

「どっちにしたってさ、お前さんは松岡家本家当主だ。ごり押しできるだろうに。俺なんぞの言い草を真っ正直に信じ込んでさ……相変わらずだよな、お前さんは」

「何だよ、それ!」

「怒るなって。お前さんが変わってなくってひと安心だ」

 ふっと誠志朗は笑みを浮かべる。

「変わってないって言えば……お前さん、こういう話を祐佑ゆうすけとはしないのか?」

「えっと……」

「してないみたいだな……お前さんが一番に相談しないっていうのはわかるぜ? あいつはアタマが堅いし、何て言ったって、松岡家本家当主至上主義なところは変わっちゃいないだろうしな。相談するっていうのにこれ以上不向きな人間もいやしない。それは重々わかってる。だけどな、あいつは仮にも松岡家本家当主の側近筆頭だ。お前さんはあいつと向き合うって決めたんじゃなかったのか?」

「……そう……だけど……」

「俺は、お前さんのサポーターだって言いながら、今現在松岡家を離れてる。誠心会せいしんかいだけで手一杯だからな。実際誠心会総長を継いで、俺の自由時間はまったくなくなった。」

「あんたのせいじゃないさ。あんたにはやらなきゃならない事がある」

「そうだな……確かにそうだ。だからこそ、お前さんは祐佑に最初にこの話をするべきだったんじゃあなかったのか?」

「祐佑に……」

「そうだ。あいつに、だ。あいつはお前さんの側近筆頭の人間じゃないか。そいつの頭越しに俺に相談ってのは、ちょっと仁義に欠けるんじゃないか?」

「そうだな……」

「あいつは、自分は信用されてないって思うとは思うぞ? 仮にも側近筆頭を名乗っていて、当主が一番に相談してくれないっていうのは、結構な疎外感を感じると、俺は思う」

「うん……誠志朗の言う通りだな……」

「一度あいつに相談しな。それで埒が明かないようなら、俺が出張ってやるよ」

「……俺、当主失格だなぁ……言われてみればさ、あいつ、俺の側近筆頭なんだよなぁ……それを頭からあいつに話してもムダだって、勝手にそう思ってた」

「お前さんとあいつの間には暗くて深ーい川があるわけだ。でも、話し合いをする姿勢だけは持っておきたいよな」

「そうだな……その通りだ。今日、帰ったら遅まきながらあいつと話してみるよ」

「ああ、そうしてやれよ」

 慎太郎と誠志朗の二人が話こんでいると、遊具の時間切れか、乗り物を降りた千陽路がとことこと近付いて来る。

「……千陽路? どうした? あー……終わっちゃったんだな? もう一回乗る? 他のがいいか?」

 千陽路は慎太郎の側にいる誠志朗を警戒しているのか笑顔は無い。それでも慎太郎の手を引いて、クレーンゲームの方へと誘う。

「え? このぬいぐるみが欲しいのか? 俺、下手なんだよな……」

「ここは俺に任せなさい!」

「え? 誠志朗、得意?」

「おうっ! お嬢ちゃん、どれが欲しいのかな?」

「千陽路。このお兄ちゃんが取ってくれるって。どれが欲しいか教えてくれる?」

 千陽路はとても小さな声ではあったが、はっきりと、うさぎさんと言った。

「あの白いウサギか。よし、任せな」

 誠志朗は器用にクレーンを操作し、ほんの数回で目当てのぬいぐるみを千陽路へと手渡した。

 ふわふわの白いうさぎのぬいぐるみを大事そうに抱きしめて、千陽路は誠志朗に笑顔を向けた。

「笑った! 何ってかわいいんだよ! この子……ちーちゃん、他にも欲しいのあったらお兄ちゃんに言いな。どれでも取ってあげるから」

「ちーちゃんって……」

「お前さんだって俺の周囲まわりがどれだけむさ苦しいか知ってるだろうが。柄の悪いおっさん連中に囲まれてさ。お前さんはいいなぁ……こーんなかわいい子がいて……ちーちゃん。ねこさん、いる? 取ってやろうか?」

 誠志朗の言葉に千陽路は言葉こそ発さないものの、嬉しそうにうなずいた。

「よしよし……任せなさい……ほら! 一発ゲット!」

「凄い腕だな、誠志朗……」

「こういう女受けしそうなことは一通りは、な……まさかこんな場面に出くわすとは思ってなかったけど、何でもやっておいて損ってことはないもんだ」

 そう言って誠志朗は笑う。

 その誠志朗の人好きのする笑顔に安心したのか、千陽路が小さな声ではあったが、彼に向けてありがとうと言った。

「慎太郎、ちーちゃんにお礼言われちまった。何か、癒されるわぁ……ホントに」

 誠志朗はしみじみとそう言った。

「なぁ、ちーちゃん。お兄ちゃんが何か買ってあげようか? おもちゃがいい? お菓子がいい? 宝石みたいにキレイなケーキにしようか?」

「ケーキにしてくれ」

「何でお前さんに……」

 誠志朗の問いに答えたのは慎太郎で、彼はお前に買ってやるわけじゃないと言いたげに不満そうな声を出した。

「うちに来てからまだほとんど甘い物食べさせてないんだよ。チョコレートくらいでさ。多分、喜ぶと思う」

「ちーちゃんが喜ぶなら買いに行こう。ほら、行くぜ! デパ地下! おいで、ちーちゃん」

 千陽路に対して、大いに甘い誠志朗という大変珍しいものを見て慎太郎は自分もこうなのかなぁと思わないでもなかったが、当の千陽路が嬉しそうにその誠志朗と手を繋いで行くのを見て、慎太郎も慌てて二人の後を追った。


「おかえりなさいませ、慎太郎さま」

「ただいま、祐佑」

 祐佑が先に買った物を山のように松岡家本家に持ち帰ったと言うのに、慎太郎はまた大荷物を持って戻って来た。

「すごいだろ? このぬいぐるみ。誠志朗がクレーンゲームで取ってくれたんだ。あとは、ケーキ。祐佑の分もあるからな」

「私などにまで……恐れ入ります、慎太郎さま」

「いいって、そういうの。紅茶かコーヒーある?」

「どちらもご用意できます。どちらにいたしましょうか?」

「じゃあ、紅茶。千陽路にミルクあげてくれ。三人で食べよう」

「かしこまりました」

「部屋で待ってるよ」

「かしこまりました」

「おいで、千陽路。お部屋でケーキ食べような」

 千陽路は嬉しそうにうなずいた。その千陽路を連れて、慎太郎が屋敷の奥へ行くのを見送り、祐佑は立ち上がった。


「慎太郎さま、お茶をお持ちしました」

「ああ。ありがとう。入ってくれ」

「失礼いたします」

 ティーカップの乗った盆を手に、祐佑が部屋に入って来た。

「まあ、座ってくれ。とにかくケーキ食べよう。甘い物はキライか?」

「いえ……頂戴いたします」

「俺は、好きか嫌いか訊いてるんだぞ?」

「あまり食べる機会はございませんが、どちらかと言えば好きでございます」

「そうか……お前は甘党だったんだな……俺は、お前が何が好きかも知らずに今まで来たんだな……」

「慎太郎さま?」

「……俺は、お前と向き合うと言いながら、お前のことをないがしろにしてきた。これからはお前ともっと向き合おうと思う。まず、この子のことだ。話がしたい。千陽路が寝たら、ゆっくり二人で話そう」

「慎太郎さま……」

「今日、誠志朗に叱られたよ」

「誠志朗さんに……でございますか? 彼が、慎太郎さまを叱った、と?」

「うん……そこを怒るなよ? 誠志朗はお前を心配してるんだからな……あいつは、俺が祐佑をないがしろにしてるってそう言ってるんだ」

「……誠志朗さんが、そんなことを……」

「ああ……俺が、お前と向き合うって言いながら、お前の頭越しに誠志朗に相談しただろう? そうしたらさ、自分より先に祐佑に相談するのが筋だって叱られた」

「……そのようなことが……」

「ああ……俺もそこは確かにそうだと反省した。俺は頭からお前は理解してくれないって、そう勝手に思い込んで、お前と話すこと自体頭になかった。夕食と風呂が終わって、俺が夜の祈祷を終わらせて、千陽路が寝たら呼ぶから部屋に来てくれ。俺とお前の間にある溝を少しでも埋めたいんだ。いいか?」

「かしこまりました。必ず」

「じゃあ、ケーキ食べようか。誠志朗お勧めのケーキなんだ。先に千陽路に選ばせてやっていいか?」

「もちろんです」

「ほら、千陽路。どれがいいかな? イチゴのにする?」

 慎太郎はいかにも子供が好きそうなイチゴのショートケーキを指し示す。

 他はショコラとマスカット。

 案の定、千陽路はイチゴのケーキを選んだ。

「祐佑は?」

「慎太郎さまがお選びくださいませ」

「そうか? じゃあ、俺、チョコにする。お前はマスカットでいいのか?」

 三人三様の凝ったケーキを食べて、慎太郎からすれば祐佑が甘い物が好きだということを初めて知った。

 慎太郎は、祐佑のことをまったく知らないことを改めて知ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る