親趾を嚙む

金子よしふみ

第1話

 愛情表現とは千差万別である。

 彼女は不器用だった。才能豊かな絵画をいくつも描いていたものの、人見知りの彼女は他人との距離感をはかることができずにいた。

 その彼女が心を寄せる男がいた。蕎麦屋でバイトをする中年だった。彼には彼女が自分の手に余ると十分わかっていた。けれども愛おしさは枯れることなどなく、彼女に手を出すことすらしなかった。そう、口づけさえも。

 ある作品を仕上げて、彼女は疲れ切っていた。彼は言葉をかけることすらせずに、彼女を布団に寝かせた。大人しく横になった彼女は静かに指をさした。自分の足元だった。そこに座れとでも言わんばかりに。彼は何も言わないままそこに腰下ろした。ふんわりと布団が開いた。彼はさも当然のようにそこに足を入れた。すると、素足が感触を得た。彼女が握りしめていた。生暖かい息がつま先にかかったかと思った次の瞬間、彼は顔をゆがめた。彼女が彼の親趾にかじりついたのだった。けれども、痛みは一瞬でその後はただじっと立てられた前歯の感触ばかりがやわくあった。

 数分して彼女は親趾から歯をどけた。彼は身を乗り出して彼女の顔をまじまじと見た。彼に初めて衝動が現れた。顔を近づけてみた。けれども彼女が顔をしかめたので、それ以上口を近づけることはせず、手慣れた様子で優しく噛みを撫でた。彼女は照れた様子のまま目を閉じるとそのまま寝入ってしまった。

 彼は部屋を出ることにした。ちらと見た親趾には噛み痕などなく、ただジンジンとした熱だけがあった。

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親趾を嚙む 金子よしふみ @fmy-knk_03_21

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