第20話



「エミリオ宰相補佐官殿」



 俺は名前を呼ばれて振り向く。

 ここは官僚たちが働く部屋が集まる王城の宮殿の廊下だ。



「これはシーゼン宰相様」



 俺は優雅に一礼をする。


 そこにはこの国の宰相を30年間務めているシーゼン宰相が立っていたからだ。

 どこからかの帰りなのかシーゼン宰相は外出用の外套を着ている。


 今年60歳になったシーゼン宰相だがその姿は若々しく見た目は50歳ぐらいにしか見えない。

 アドルフも言っていたが30年の宰相在任期間中に体調不良で一度も朝議を休んだことがないと言われる男だ。

 強靭な肉体と底知れぬ体力を保持していることは誰もが知っている。



「例の案件のことはアドルフ王太子殿下にお話ししたのか?」


「はい。お話しておきました、シーゼン宰相様。アドルフ王太子殿下からは予定通りに行うことを許可するというお言葉をいただいております」 


「そうか。やはりエミリオ宰相補佐官殿は仕事が早いな」


「お褒めいただきありがとうございます」


「アドルフ王太子殿下の信頼も厚く仕事も早くて正確。その実力があれば次期宰相として申し分ないな。私の後継者になる心は固まったか?」



 笑みを浮かべながらシーゼン宰相は俺に尋ねてくる。



 また、その話か。

 シーゼン宰相も食えない男だな。



 以前からシーゼン宰相は事あるごとに俺に「私の後継者にならないか?」と声をかけてきている。

 宰相補佐官は宰相の次に高い身分なのでシーゼン宰相が俺のことを後継者に考えるのは普通のように思えるがここには大きなシーゼン宰相の罠があるのだ。


 宰相になりえる可能性のある者は俺の他にも数名いる。

 宰相補佐官が自動的に宰相になるわけではない。


 最終的には国王が任命するが宰相候補者を国王に推薦するのは前宰相となるシーゼン宰相の仕事なのだ。

 もちろんシーゼン宰相以外の有力王族、例えばアドルフ王太子の推薦でも宰相候補者になることは可能。


 俺がシーゼン宰相の推薦を得られなくてもアドルフは俺を宰相候補者に推薦してくれるだろうがそれで俺が宰相に選ばれたら今のシーゼン宰相派の権力者たちの反発は避けられない。


 理想を考えればシーゼン宰相とアドルフ王太子の両方の推薦を得られるのが一番いい。


 シーゼン宰相の言葉をまともに受け取ればシーゼン宰相は俺のことを後継者に推薦したいと思っていると他の者は思うだろう。

 だがこのシーゼン宰相は伊達に30年もの長きに渡り宰相という権力の頂点に君臨しているわけではない。


 その間にシーゼン宰相を排除して宰相になろうと思った貴族は何人も存在した。

 しかしそれらの貴族たちを巧みに罠にかけて潰してきたのがこのシーゼン宰相という男なのだ。


 だからこの男の「私の後継者に」という言葉やアドルフたちに漏らしている「そろそろ宰相の座を次の者に譲りたい」という言葉を信じてはいけない。

 その甘い言葉に乗った者はシーゼン宰相にとって自分の地位を脅かす存在と認識されて排除される運命だ。



「いえいえ、私は宰相補佐官としてまだまだ勉強しなければならないことが多くございます。できれば私が宰相補佐官として一人前になり次期宰相としての心構えができるまでシーゼン宰相様のご助力を賜りたく思います」



 俺は仕事用の笑みを浮かべてシーゼン宰相に返事をする。

 自分にはシーゼン宰相を排除する気は無くシーゼン宰相が望む時が来たら宰相になってもいいということを遠回しに伝えた。


 シーゼン宰相の瞳が僅かに細められた。

 しかし次の瞬間にはシーゼン宰相も人好きのする笑みを浮かべる。



「エミリオ宰相補佐官殿は仕事熱心で素晴らしい。きっとアドルフ王太子殿下もそういうところがお気に召しているのであろう。これからも『宰相補佐官』として精進されよ」



 俺が今すぐ宰相の役職を望んではいないという意図を受け取ってもシーゼン宰相は俺に釘を刺すことは忘れない。

 自分が承諾するまで『宰相補佐官』以上を望むなと俺に伝えてくる。


 するとそこに上級官僚の一人が慌ててやって来た。



「シーゼン宰相様! 大変です!」


「いったい、なんだ? 騒がしい」


「実は…」



 その上級官僚がシーゼン宰相に耳打ちをするとシーゼン宰相の表情が険しくなった。



「その案件はリリック第二補佐官に任せておいた案件だな。そんな失態を犯すとは。リリック第二補佐官を呼べ!」



 シーゼン宰相に怒鳴られてその上級官僚は慌てて廊下を走って行く。

 リリック第二補佐官も俺と同じ次期宰相候補者に名前が挙がっている人物だがどうやら何か仕事で失敗をしたようだ。


 俺の方をチラリと見ながらシーゼン宰相は小さく呟いた。



「これでまたお前の次期宰相の座が近くなったな。エミリオ宰相補佐官」



 俺はその言葉には返事をせず黙ってシーゼン宰相に頭を下げた。

 シーゼン宰相の姿が廊下の先に消えると俺は息をつく。



 やれやれ、シーゼン宰相の相手も疲れるな。

 こんな時こそパラダイスで見つけたご夫人と恋をしてストレス解消するか。



 俺は自分の仕事を終えて自宅に帰り次のパラダイス会場への招待状を選び始めた。



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