第17話



「レーリック伯爵はお元気ですか?」


「え、は、はい。元気にしております」



 俺はまず世間話をしながらリリーシア夫人の警戒心を解く作戦に出る。



「そうですか。レーリック伯爵は今でこそ騎士団の若い騎士の指南役をされていますが40代になってもまだまだ若い騎士では敵わない剣術の腕と体力をお持ちだと聞いております」


「まあ、それほどでもないですわ。最近は夫も王国軍の訓練が厳し過ぎて体力が持たないと言っておりましたし…あ!」



 リリーシア夫人は自分の口を塞ぐように手を当てハッとした表情になった。

 自分が失言したことに気付いたようだ。



「王国軍の訓練が厳し過ぎると仰っておりましたか?」


「い、いえ! け、けしてそんなことは……」



 慌ててリリーシア夫人は俺に弁解する。


 王国軍がどのような訓練をするかは軍の幹部だけが決める訳ではない。

 訓練するだけでも費用がかかるので必ず宰相を始めとする政治の中枢を担う者たちの許可が必要になる。


 特に王国軍をどのような状態で維持すべきかは国王がその方針を決めており軍はそれに沿った訓練を行う。

 その訓練が厳し過ぎるという批判をレーリック伯爵が言うことは国王に文句を言うのと同じことになるのだ。



「そうですよね。軍の幹部のレーリック伯爵が国王が決めた軍の訓練内容を批判することはしませんよね?」



 俺がニコリと笑みを浮かべてもリリーシア夫人の表情は青ざめたままだ。

 これで俺がレーリック伯爵が軍の訓練を批判していると宰相やアドルフの耳に入れたらレーリック伯爵は何かしらの処罰を受ける可能性はある。


 リリーシア夫人はそのことを危惧しているのだ。

 青ざめた表情のリリーシア夫人に俺は近付き小さな声で囁く。



「大丈夫ですよ、リリーシア夫人。あなたが今言った言葉を私は忘れますから」


「ほ、本当ですか?」


「ええ、もちろんです。レーリック伯爵に何かあればあなたを苦しめることになりますからね。ですが私は記憶力が良いので今の言葉を忘れる手伝いをリリーシア夫人にお願いできないでしょうか?」


「え?……あ、あの……」



 俺の言葉の意味が理解できないのかリリーシア夫人は戸惑った表情になる。

 そんなリリーシア夫人に俺は囁き続けた。



「悪い記憶を消すのにはそれを上回る良い記憶があればよいのです。なのでリリーシア夫人と今晩だけ二人だけの恋の想い出を作りませんか? そうすれば私の悪い記憶は消えるはずです」


「っ!?」



 ようやく俺の言葉の意味を理解したのかリリーシア夫人の顔が赤くなる。



「そ、そんな…で、でも…」


「今晩だけの恋の記憶です。それとも私と恋の記憶を作るのはお嫌ですか?」



 俺がリリーシア夫人の瞳を見つめるとリリーシア夫人の瞳が揺れていた。

 リリーシア夫人がレーリック伯爵と歳の差のある結婚をしたのはおそらくレーリック伯爵がリリーシア夫人の実家に融資なりを約束したからだろうということは推測できる。


 なのでリリーシア夫人はレーリック伯爵と離婚は絶対にできない。

 しかしリリーシア夫人が失言したことで夫のレーリック伯爵が処分を受けたらレーリック伯爵がリリーシア夫人を許すことはないだろう。


 マイン伯爵家を取り込んでまで権力を握りたがっているのがレーリック伯爵という男なのだから。


 もちろんリリーシア夫人が不貞を働いても怒るだろうが俺との密通は一晩だけ。

 それがバレなければリリーシア夫人は今までと同じ生活ができる。


 リリーシア夫人は心の中で葛藤しているだろう。

 どちらが自分にとって都合が良いのか。



「あ、あの…本当に一晩だけ…ですか?」


「もちろんです。私はリリーシア夫人と良い夢を見れれば悪い記憶など忘れてしまう単純な男ですから。私はただリリーシア夫人と一晩の恋の夢を見たいのです」



 リリーシア夫人はどうすべきか考えているようだ。

 俺は獲物に最後のトドメを刺す。



「私はレーリック伯爵にあなたを紹介されてからずっとあなたに恋をしていた悪い男です。あなたはレーリック伯爵のモノだと知りながらもあなたの瞳に映るのが私だったらと願っていました。もちろんあなたがレーリック伯爵と離婚することはないということは分かっています。それでもあなたと一晩の恋の夢を見たいと思う私は罪な男でしょうか?」


「そ、そんな…ことを…」



 リリーシア夫人の顔が赤くなり瞳に熱情が浮かぶ。

 もちろんこれはこの国では滅多なことでは貴族夫人は離婚できないということを逆手に取った俺の作戦だ。

 リリーシア夫人だって自分がレーリック伯爵と離婚できないことは十分に承知しているがそれでも自分に恋をしていると男に言われれば揺れるのが女心というもの。


 俺は静かにリリーシア夫人が堕ちるかどうかを待つ。

 リリーシア夫人と俺の視線が交わった。



「……今夜だけ…なら……」



 か細い声でリリーシア夫人がそう答える。



 堕ちた。



「ええ、分かっています。今夜はあなたのおかげで良い夢が見れそうです」



 俺は笑みを浮かべて今夜の獲物を仕留めたことを確信した。



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