第24話 玉座の道化

 魔王城の玉座の間は、冷え切った空気に満ちていた。

 石造りの床。

 天井まで届く巨大なステンドグラス。

 そこから差し込む赤い月の光が、玉座に座る少年の金髪を不吉に照らし出している。

 少年が笑った。

 無邪気で、残酷な、子供の笑い。


「さあ、始めようか」

 少年が指を鳴らす。

 乾いた音が、広い空間に反響する。

「僕の『ラストバトル』を」


 瞬間、空間が歪んだ。

 フィーネの「静寂」とは違う。

 もっと強引で、無秩序な力の奔流。

 床から無数の棘が生え、天井から炎が降り注ぐ。

 物理法則を無視した、まさに「ゲーム」のような攻撃。


「うわああっ!」

 ヤツが悲鳴を上げた。

 カイルの身体で、無様に転がる。

 棘が、カイルの服を裂き、皮膚を掠める。

 鮮血。

 カイルの血。


「カイル!」

 私は叫んだ。

 ヤツにではない。

 カイルの身体(セイイキ)に。

 私は前に出た。

 左腕を掲げる。

 黒く炭化した瑕疵が、熱く脈打つ。

 喰らう。

 魔王の力を、私の糧にする。


 炎が、私の左腕に吸い込まれる。

 熱くない。

 むしろ、心地よい。

 瑕疵が歓喜している。

 もっと寄越せと、飢えた獣のように叫んでいる。


「……ほう」

 少年が、興味深そうに目を細めた。

「その『虚無』。……チートコードみたいだね。僕の攻撃を吸収するなんて」

「……」

「でも、容量(キャパ)はあるだろう?」


 少年の手が、再び動く。

 今度は、雷。

 紫色の稲妻が、私の頭上に落ちる。

 私は左腕で受け止める。

 衝撃。

 骨が軋む音。

 瑕疵が、悲鳴を上げた。

 限界が近い。


「ぐっ……」

 私は膝をついた。

 視界が揺れる。

 ヤツが、私を見た。

 カイルの顔で、怯えている。

「エ、エリアナ……」

「立て!」

 私は叫んだ。

「逃げろ! カイルの身体を守れ!」


 だが、ヤツは動かない。

 動けないのか。

 腰が抜けている。

 ただの足手まとい。

 カイルの聖域を人質に取った、最悪の荷物。


 少年が玉座から降りてくる。

 足音がない。

 まるで幽霊のように、滑らかに近づいてくる。

「残念だよ。……君たちは、もっと面白い『イベント』になると思ったのに」

 少年が私の前に立つ。

 見下ろす視線。

 虹色の瞳には、何の感情も映っていない。

 ただ、壊れた玩具を見るような目。


「器(カイル)は返してもらうよ。……中身(ゴミ)は、ここで処分だ」

 少年の手が、ヤツに向けられる。

 見えない力が、ヤツの身体を空中に持ち上げた。

 カイルの手足が、だらりと垂れ下がる。

 まるで、糸の切れた人形のように。


「やめろ!」

 私は立ち上がった。

 カイルのナイフを構える。

 左腕が動かない。

 右腕一本で、魔王に挑む。

 無謀。

 自殺行為。

 だが、止まれない。

 カイルが、奪われる。


 私は走った。

 少年との距離を詰める。

 ナイフを突き出す。

 少年は、笑ったまま動かない。

 障壁か。

 ナイフが、見えない壁に阻まれる。

 金属音。

 手が痺れる。


「無駄だよ」

 少年が言う。

「僕は『管理者』権限を持ってる。……この世界のルールは、僕が決めるんだ」

 少年が指を振る。

 衝撃波。

 私は吹き飛ばされた。

 壁に叩きつけられる。

 背骨が折れるような音。

 息ができない。


 視界の隅で、ヤツが空中に固定されているのが見える。

 少年が、ヤツに近づく。

 その手が、ヤツの胸に触れる。

 カイルの心臓。

「さあ、出ておいで。……汚れた魂よ」


 ヤツが、絶叫した。

 カイルの声で。

「ぎゃああああああ!」

 魂が、引き剥がされる痛み。

 肉体と魂の結合部を、無理やり抉られる感覚。

 カイルの身体が、激しく痙攣する。


「やめ……ろ……」

 私は這った。

 床を爪で掻く。

 血が滲む。

 届かない。

 カイルが、壊される。


 その時。

 私の懐が、熱くなった。

 『異界の魂と器の適合』

 あの禁書。

 そして、その間に挟んでいた、一枚の羊皮紙。

 アルクスの遺跡で見つけた、古代の術式。

 『魂魄分離』


 私は、震える手でそれを取り出した。

 血で汚れた指で、文字をなぞる。

 読めない。

 古代語。

 だが、意味は分かる。

 カイルが教えてくれた知識が、私の脳裏で閃く。


 『器と魂の結びつきを断ち、新たな器へと導く』

 『鍵となるのは、強烈な負の感情(瑕疵)』


 私の、左腕。

 ゼノスの虚無。

 フィーネの静寂。

 そして、私の執着。

 それが、鍵。


 私は、術式を叫んだ。

 言葉ではない。

 魂の咆哮。

 左腕の瑕疵に、全神経を集中させる。

 喰らえ。

 魔王の術式を。

 ヤツの魂を。

 そして、カイルを、取り戻せ。


「……!?」

 少年が、振り返った。

 驚愕。

 私の左腕から、黒い光が噴き出す。

 それは、少年の障壁を食い破り、ヤツへと殺到した。


「馬鹿な! その術式は……!」

 少年が手をかざす。

 防御。

 だが、遅い。

 黒い光は、魔王の干渉を無視して、ヤツの胸に突き刺さった。


 ドクン。

 心臓の音。

 誰の?

 ヤツの?

 カイルの?


 光が、弾けた。

 ヤツの身体から、何かが飛び出す。

 二つの影。

 一つは、薄汚れた灰色の魂。

 ヤツ(偽カイル)。

 もう一つは、小さく、しかし清らかな碧色の光。

 カイル(本物)。


「カイル!」

 私は手を伸ばした。

 碧い光を掴もうとする。

 だが、光はすり抜ける。

 実体がない。


 同時に、灰色の魂が悲鳴を上げた。

「嫌だ! 死にたくない! 俺は主人公だ!」

 ヤツの魂が、宙を彷徨う。

 器を失った魂は、急速に拡散し、消滅していく運命。


 少年が、舌打ちした。

「……チッ。失敗か」

 少年の手が、カイルの身体(空の器)に向けられる。

「なら、器だけでも回収する」


 カイルの身体が、少年の元へ引き寄せられる。

 魂のない、ただの肉人形。

 だが、それは私の聖域。

 渡さない。


 私は、最後の力を振り絞って跳んだ。

 魔王と、カイルの身体の間に割って入る。

 左腕を突き出す。

 瑕疵が、限界を超えて脈打つ。

 爆発する。


「うおおおおおお!」

 黒い波動が、玉座の間を吹き飛ばした。

 ステンドグラスが砕け散る。

 赤い月の光が、降り注ぐ。

 少年が、舌打ちして後退する。

 その隙に、カイルの身体が床に落ちた。


 私は、カイルの身体を抱きしめた。

 温かい。

 まだ、温かい。

 だが、鼓動が弱い。

 魂がない。


 視界が暗転する。

 意識が遠のく。

 最後に見たのは、宙を彷徨う二つの光。

 碧い光と、灰色の光。

 それが、混ざり合いながら、どこかへ消えていく光景だった。


 ---


 目が覚めると、見知らぬ天井があった。

 木の節目。

 消毒液の匂い。

 そして、喧騒。

 ここは、ギルドの医務室だ。

 王都に戻ってきたのか。

 誰が運んだ?


「……起きたか」

 イヴェッタの声。

 彼女が、椅子に座って本を読んでいた。

 その顔に、珍しく疲労の色が濃い。


「……カイルは」

 私の第一声。

 イヴェッタは、本を閉じた。

 顎で、隣のベッドを示す。


 そこに、カイルがいた。

 眠っている。

 静かな寝息。

 私は、這うようにベッドに近づいた。

 手を伸ばす。

 カイルの頬に触れる。

 温かい。


「……生きてる」

「ああ。器は無事だ」

 イヴェッタが淡々と言う。

「だが、中身はない」

「……え?」

「空っぽだ。魂がない」


 私は、息を呑んだ。

 カイルの胸に耳を当てる。

 心音はしている。

 だが、あの魂の鼓動が聞こえない。

 ただ、肉体が生理機能を維持しているだけ。

 植物状態。


「……あの時。魔王城で」

 記憶が蘇る。

 二つの光。

 弾き出された魂。


「……カイルの魂は」

「消えたか、どこかに飛んだか。……あるいは」

 イヴェッタが、私の左腕を見た。

 包帯が巻かれている。

 だが、その下で、何かが動いている感覚がある。

 瑕疵ではない。

 もっと、不快な、何かが。


 私は、包帯を解いた。

 黒い痣。

 その中心に、小さな灰色の染みが増えていた。

 それが、脈打っている。

 生き物のように。


『……寒い』

 声がした。

 耳からではない。

 脳に直接響く声。

『痛い。……ここ、どこだ。エリアナ?』


 私は、凍りついた。

 この声。

 この、情けない、弱々しい響き。

 ヤツだ。

 害虫だ。


「……お前」

 私は、左腕を睨みつけた。

「なぜ、ここにいる」


『……わかんない。……気づいたら、ここにいた。……暗い。狭い。……出してくれ』

 ヤツの声が、私の神経を逆撫でする。

 寄生。

 カイルの身体を追い出されたヤツが、今度は私の身体に、私の瑕疵に、巣食ったのか。


「……ふん。やっぱりか」

 イヴェッタが、鼻を鳴らした。

「あの『瑕疵』は、虚無の残り香だ。……魂を引き寄せる性質がある。行き場を失ったその『ゴミ』が、一番近い避難場所(シェルター)に逃げ込んだんだろ」


 最悪だ。

 カイルの魂は行方不明。

 身体は空っぽ。

 そして、私の左腕には、この世で一番憎むべき害虫が寄生している。


 私は、ナイフを掴んだ。

 左腕を切り落としたい衝動に駆られる。

 だが、イヴェッタが止めた。

「やめな。……そいつが、唯一の手がかりかもしれない」

「……手がかり?」

「そいつは、カイルの魂を『喰った』んだろ? ……なら、そいつの中に、カイルの魂の欠片が残っている可能性がある」


 私は、ナイフを下ろした。

 ヤツの中に、カイルがいる。

 またか。

 また、この害虫を生かしておかなければならないのか。

 今度は、私の身体の一部として。


『……エリアナ。……腹減った』

 ヤツの声。

 私の脳内で、直接響く不快な音。

 私は、テーブルの上の水を一気飲みした。

 吐き気を抑えるために。


 その時。

 ギルドの外が騒がしくなった。

 鐘の音。

 警鐘ではない。

 もっと、重く、荘厳な鐘の音。

 空気が震える。

 圧迫感。

 魔王のそれとは違う、無機質で絶対的な圧力。


「……来たか」

 イヴェッタが立ち上がった。

 窓の外を見る。

 空が、裂けていた。

 赤い月ではない。

 真っ白な、光の亀裂。

 そこから、無数の「目」が覗いている。


「……あれは」

「『管理者』だ」

 イヴェッタが言った。

「世界のバグを修正するシステム。……お前という『エラー』を削除しに来たんだ」


 管理者。

 魔王が言っていた言葉。

 神。

 ヤツをこの世界に呼んだ元凶。


 私は、カイルの身体を見た。

 空っぽの器。

 これを、守らなければならない。

 カイルの魂が帰ってくる場所を。

 たとえ、神が相手でも。


 左腕の瑕疵が熱くなる。

 ヤツの怯える声が響く。

『……ひいっ! なんだあれ! デカい!』

「黙れ」

 私は一喝した。

「力を貸せ。……カイルを取り戻すために」


 私は、カイルの身体を背負った。

 重い。

 だが、これが私の世界の全てだ。

 私は、ギルドを出た。

 白い光が降り注ぐ中、私の新たな戦いが始まる。

 カイルの魂を探す旅。

 そして、この理不尽な世界(システム)への反逆の旅が。

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