第14話 廃坑
王都の門を抜ける。
石畳が終わり、踏み固められた土の道が鉱山地区へと続いていた。
ヤツの足跡が、そこにある。
酔いと焦りが滲む、不規則な歩幅。
カイルの靴跡。
だが、ヤツの「重み」が、カイルのものとは違う形で刻まれている。
私は、その道を選ばなかった。
イヴェッタが教えてくれた、労働者が使う近道。
壁沿いの、狭い獣道。
茨が服を裂こうとする。
カイルが遺したナイフで、それを払いながら進む。
手のひらに吸い付く、使い慣れた木の柄の感触。
懐の奥。
イヴェッタがくれた、銀色のナイフ。
冷たい金属の感触。
人を殺めるための、ただの「道具」
その二つの重みが、私の進む道を、冷たく規定していた。
風の匂いが変わる。
鉄錆と、硫黄の匂い。
森の土の匂いではない。
カイルの鍛冶場の匂いでもない。
大地が、その内側を抉られた、乾いた「痛み」の匂い。
廃坑。
ヤツの足跡が、再び合流した。
坑道の入り口。
黒く開いた、巨大な獣の顎。
そこから、カビと、湿った土の匂いが、澱んだ空気となって流れ出ている。
入り口の岩肌。
そこが、不自然に抉れていた。
ヤツの「力」の痕。
氷が溶けたような、濡れた染み。
光が焼いたような、黒い焦げ跡。
ヤツは、すでにここで何かと戦った。
オークの血痕。
緑色の、粘り気のある液体が、地面に広がっている。
ヤツは、すでに、カイルの魂を、無駄遣いしながら進んでいる。
イヴェッタの言葉が、耳の奥で繰り返される。
「ゼノスは待っている」
「ヤツが魂を使い果たし、弱った瞬間を」
「廃坑は、ゼノスの古い巣」
「ヤツは、呼ばれた」
カイルの身体が、危険に晒されている。
ヤツの「傲慢」が、ヤツ自身を、最悪の「罠」に引きずり込んだ。
私は、イヴェッタにもらった銀のナイフを、抜き身で右手に握った。
カイルが遺したナイフは、左手の鞘に。
坑道の闇に、足を踏み入れる。
中は、冷たい。
壁を伝う、水の音。
私の足音。
それ以外は、静かだ。
静かすぎる。
カイルが教えてくれた、森の気配。
ここでは、それが通用しない。
岩が、音を吸い込んでいる。
だが、匂いは、嘘をつかない。
カビと、金属の匂い。
その奥に、濃くなる、二つの匂い。
一つは、オークの、獣の匂い。
もう一つは、ヤツが村で魔族を倒した時と、同じ匂い。
あの、空気が焼けるような、不快な「力」の残滓。
そして、三つ目。
イヴェッタが言った、「ゼノス」の匂い。
それは、匂いではない。
空気が、そこだけ、腐っている。
澱んでいる。
魂が、吸い寄せられるような、冷たい「虚無」
ヤツは、その「虚無」に向かって、まっすぐ進んでいる。
松明の光が、奥で揺れた。
ヤツが、壁にかけてあった、古い松明を使った。
ヤツの「力」で、火を点けた。
カイルの魂の、無駄遣い。
その光が、ヤツの「的」になることに、ヤツは気づいていない。
「――『創生:
ヤツの声。
カイルの声。
それが、坑道に反響する。
光が、闇を裂いた。
肉の焼ける匂い。
獣の、甲高い悲鳴。
戦闘。
私は、岩陰に身を潜めた。
ヤツの「ショータイム」
ヤツの「消耗」
それを、この目で見定める。
広い空洞。
ヤツが、いた。
カイルの身体で、松明を左手に、右手をかざしている。
カイルの顔が、ヤツの興奮で、歪んでいる。
ヤツの紅い瞳が、松明の火を反射して、ギラギラと光っている。
ヤツの周囲に、オークが五体。
ゴブリンとは違う。
巨大な、筋肉の塊。
錆びた鉈
「雑魚が! 俺の『力』の前に、ひれ伏せ!」
ヤツが叫ぶ。
カイルは、そんなふうに叫ばない。
ヤツが、再び右手をかざす。
「――『創生:
カイルの魂が、また、形を変える。
氷の槍が、オークの一体の胸を貫く。
だが、オークは、倒れない。
ゴブリンとは、違う。
氷の槍を、胸に突き刺したまま、オークは、ヤツに向かって突進する。
「なっ!?」
ヤツが、カイルの声で、間抜けな声を上げた。
ヤツの「イージーモード」のシナリオが、また崩れた。
ヤツは、カイルの身体で、慌てて横に飛ぶ。
動きが、鈍い。
昨日の酒。
今朝の消耗。
カイルの身体が、ヤツの無茶に、ついていけていない。
オークの鉈が、ヤツがいた場所の岩を砕いた。
破片が飛ぶ。
ヤツは、カイルの身体で、無様に転がった。
「くそっ! 硬えな!」
ヤツが、カイルの身体で、立ち上がる。
カイルの服が、泥とオークの血で、汚れていく。
残りのオークが、ヤツを包囲する。
ヤツは、焦っている。
カイルの呼吸が、荒くなっている。
ヤツの「無限」の魂が、ヤツの「未熟」な身体のせいで、制御できていない。
「――『創生:
ヤツが、叫ぶ。
一体のオークの頭が、潰れた。
昨日、ゴブリンを殺めた、あの力。
だが、ヤツの、カイルの身体が、大きくよろめいた。
膝が、折れている。
カイルの左手が、こめかみを抑えている。
カイルの癖。
違う。
あれは、カイルの「痛み」
ヤツが、カイルの魂を無理やり引き出した、「代償」
ヤツの紅い瞳が、激しく明滅している。
あの濁りが、碧い瞳を侵食しようとしている。
イヴェッタの言葉。
「ゼノスは待っている」
「……うるさい。黙れ」
ヤツが、カイルの声で、何かを呟いた。
オークに、ではない。
ヤツの「内側」に、向かって。
ヤツの身体の中で、すでに「戦い」が始まっている。
「ケシャアアア!」
残りのオークが、一斉にヤツに襲いかかる。
ヤツは、もう、避ける余裕がない。
カイルの身体が、ヤツの「焦り」で、金縛りにあっている。
「――『
ヤツが、村でゼノスを倒した、あの力を、叫んだ。
眩い光が、ヤツの手から溢れる。
カイルの魂の、最大の「浪費」
光の剣が、オークたちを薙ぎ払う。
肉の蒸発する音。
断末魔の叫び。
オークが、塵になって消えていく。
空洞に、静寂が戻る。
ヤツの、荒い呼吸の音だけが響く。
光の剣が、消えた。
ヤツは、カイルの身体で、そこに立っていた。
カイルの膝が、震えている。
「……はっ。はあっ。……見たかよ。これが、俺の、本当の……」
ヤツが、カイルの声で、勝利を宣言しようとした。
その瞬間。
ヤツの身体が、糸が切れたように、崩れ落ちた。
「……ぐ。あ……?」
ヤツが、カイルの顔で、自分の身体を見た。
カイルの手が、震えている。
カイルの足が、動かない。
魂の、枯渇。
ヤツが「無限」と信じていた、カイルの「命」が、尽きかけている。
「……なんだ。これ。動け。……動けよ!」
ヤツが、カイルの声で、叫ぶ。
ヤツの紅い瞳。
その光が、消えた。
代わりに、カイルの碧い瞳が、濁った。
違う。
両方の瞳が、あの、ゼノスの「虚無」の闇に、染まり始めた。
「……ああ。やっと、静かになった」
ヤツが、呟いた。
カイルの声。
だが、ヤツの「声色」ではない。
もっと、低く、重く、地獄の底から響くような、あの声。
村で聞いた、ゼノスの声。
「素晴らしい、器だ。……この魂の残滓だけでも、我が力は、蘇る」
カイルの顔が、ゆっくりと、笑った。
カイルの笑いではない。
ヤツの笑いでもない。
ゼノスの、歪んだ、歓喜の表情。
カイルの身体が、乗っ取られる。
それだけは。
私は、岩陰から飛び出した。
イヴェッタにもらった、銀のナイフを、握りしめて。
足音が、響く。
「……ん?」
カイルの顔をした、ゼノスが、私を見た。
カイルの瞳が、黒く染まっている。
「……ああ。あの時の、小娘か。……餌が、自分から来たか」
ゼノスが、カイルの手を、私に向けた。
カイルの手。
私の聖域。
その手が、私を「餌」として、認識している。
「カイル!」
私は、叫んだ。
ヤツの名を、呼んだ。
いや。
カイルの名を。
カイルの顔が、わずかに、痙攣した。
黒く染まった瞳の奥で、一瞬、碧い光が、抵抗したように見えた。
「……う……あ……」
ヤツの、弱々しい声。
まだ、ヤツの魂が、残っている。
ゼノスと、カイルの身体の中で、争っている。
ゼノスが、カイルの顔で、舌打ちした。
「……煩わしい、虫が。……まず、お前から、喰らってやろう」
カイルの手が、私を掴もうと、伸びる。
ヤツの「力」ではない。
カイルの、純粋な「腕力」
だが、今の私には、それすら、脅威だ。
私は、銀のナイフを、構えた。
ヤツを、殺す?
ゼノスを、殺す?
カイルの身体を、傷つける?
イヴェッタの言葉。
「今ヤツを殺せば、魂が空になる。ゼノスが、喜んで入るだけだ」
私は、ナイフの切っ先を、ゼノス(カイル)に向けない。
私は、自分の、左腕に、ナイフを当てた。
「……なにを」
ゼノスの声が、戸惑う。
私は、銀のナイフで、自分の腕を、浅く、切り裂いた。
赤い血が、噴き出す。
熱い、痛み。
私の「命」の、匂い。
「……血。……魂の、匂い」
ゼノスが、カイルの喉で、渇望の声を漏らした。
カイルの黒い瞳が、私の腕の、赤い血に、釘付けになる。
ゼノスは、弱ったカイルの魂よりも、今、目の前にある、新鮮な「魂」に、飢えている。
「……こっちへ、来い」
私は、ナイフを捨てた。
カイルの身体を、守る。
ヤツから。
ゼノスから。
そのためなら。
私は、カイルの身体から、ゼノスの魂を、引きずり出す。
私の、この身体に。
「私を、喰らえ」
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