第11話 ショータイム


 王都の門が、背後でゆっくりと閉じる。

 石が擦れる、重い音。

 ヤツはカイルの身体で、その音に舌打ちした。


「チッ。朝から面倒くせえ。さっさと終わらせるぞ」


 ヤツが歩き出す。

 カイルの歩幅。

 カイルの靴。

 だが、違う。

 ヤツの歩みは、地面を蹴るのではなく、ただ踏みつけているだけだ。

 カイルは、森を歩く時、獣のように音を立てなかった。

 ヤツは、自分の存在を撒き散らすように、砂利を踏みしめる。


 私はヤツの三歩後ろを歩く。

 ヤツの背中。

 カイルの背中。

 あの古い傷跡がある、私の聖域。

 今は、私を王都の雑踏から守る盾ではない。

 これから始まる「戦場」で、ヤツの隙を測るための、的だ。


 街道を外れる。

 森の南区画。

 ギルドの女が、そう言った。

 踏み荒らされた獣道。

 土の匂い。

 村の森とは違う。

 カイルと二人で歩いた、あの腐葉土と澄んだ水の匂いではない。

 ここは、人間の汗と、恐怖と、何かの死骸が混じった、酸っぱい匂いがする。


「うおっ、邪魔くせえ」


 ヤツが、行く手を塞ぐ茨の蔓を見て、カイルの声で愚痴をこぼした。

 カイルなら、ナイフで切り払うか、私を先に通すために、その手で押さえただろう。

 ヤツは、カイルの手をかざした。


「――『創生』。消えろ」


 蔓が、音もなく塵になった。

 カイルの魂が、こんなガラクタのために消費される。

 ヤツの紅い瞳が、一瞬、不快なほど強く光った。

 ヤツは満足そうに、カイルの喉で鼻を鳴らした。


 私は、ヤツが空けた穴を通る。

 塵が舞う。

 ヤツの足跡を、踏まないように。

 ヤツの呼吸を、吸い込まないように。


 森が深くなる。

 ヤツは、無防備に胸を張って歩いている。

 カイルが教えてくれた、森の気配。

 風の音。

 木々の擦れる音。

 枝が折れる、小さな音。

 ヤツは何も聞いていない。

 ヤツは何も見ていない。

 ヤツは、自分の「シナリオ」しか見ていない。


 ガサリ、と。

 茂みが揺れた。

 ヤツの三時方向。

 カイルなら、私を背中に庇い、ナイフを抜いている距離。


 ヤツは、わざとらしく、私の前に躍り出た。

 カイルの身体で。


「エリアナ! 下がってろ!」


 カイルの声。

 カイルの台詞。

 ヤツが、それを奪う。


 茂みから、それが現れた。

 緑色の、濁った皮膚。

 錆びた剣。

 飢えた獣の目。

 ゴブリン。

 一、二、三……五体。


「きゃっ」


 私は、か細い声を出した。

 完璧な「エリアナ」の仮面。

 カイルに教わった通り、一番近い樫の木の、太い根元に身を隠す。

 ヤツの「ショータイム」を見るための、特等席。


「ケケケ!」

 ゴブリンが、ヤツを「獲物」として認識する。

 ヤツを、カイルの身体を。


「雑魚が。俺の『創生魔法』の餌食にしてやるよ」


 ヤツがカイルの手をかざす。

 カイルの魂が、ヤツの浅はかなイメージのために使われる。


「――『創生:光の矢ライト・アロー』」


 ヤツの掌から、光の束が放たれる。

 カイルの魂の、無駄遣い。

 光がゴブリンの一体の胸を貫く。

 悲鳴。

 肉の焼ける匂い。

 血の匂い。

 それが、森の土の匂いに混じる。


「ケギャ!」

 残りの四体が、ヤツに襲いかかる。

 ヤツはカイルの顔で、笑っている。

 カイルは、戦場で笑わない。


「遅えんだよ」


 ヤツはカイルの身体で、それを避ける。

 カイルが鍛冶仕事で鍛え上げた、その筋肉で。

 ヤツの動きは、大振りだ。

 隙だらけ。

 ゴブリンの爪が、ヤツの服を切り裂く。

 カイルの皮膚が、わずかに赤く染まる。


「チッ」


 ヤツがカイルの舌で、舌打ちした。

 カイルの身体が傷つけられた。

 ヤツの「イージーモード」の幻想が、汚された。


「――『創生:氷槍アイス・ランス』」


 ヤツの紅い瞳が、再び光る。

 今度は、冷気。

 カイルの魂が、形を変える。

 氷の槍が、三体。

 ゴブリンの身体を、串刺しにする。

 赤い血が、青白い氷にこびりつく。

 ゴブリンが、声もなく崩れ落ちる。


 残りは、一体。

 恐怖で動けないゴブリン。

 ヤツは、カイルの身体で、ゆっくりとそいつに近づく。


「なんだよ。もう終わりか? ショボいな」


 ヤツは、カイルの手を、ゴブリンの頭にかざした。

 ゴブリンが、命乞いをするように、震えている。

 カイルなら、見逃したかもしれない。

 ヤツは。

 ヤツは、カイルの顔で、冷たく笑った。


「――『創生:圧壊クラッシュ』」


 ゴブリンの頭が、見えない力で潰された。

 果実が割れるような、湿った音。

 脳漿と、血と、緑色の皮膚が、カイルの靴を汚した。

 ヤツは、それに気づいてもいない。


 静寂。

 森が、死んだ。

 血の匂い。

 肉の焼ける匂い。

 氷が溶ける、かすかな音。

 カイルの魂が消費された、その残骸。


 ヤツが、カイルの身体で、私を振り返った。

 カイルの顔に、得意げな笑みが貼り付いている。

 カイルの服は裂け、カイルの靴は汚れ、カイルの皮膚には、浅い傷が走っている。


「大丈夫か、エリアナ。俺が守ってやったぜ」


 私は、木の陰から這い出す。

 完璧な「エリアナ」の仮面。

 目に、涙を浮かべる。


「すごーい、カイル! あっという間!」


 私はヤツに駆け寄る。

 ヤツの腕に触れそうになる。

 その体温に触れる寸前。


「きゃっ」


 私は、木の根に、わざと足をもつれさせた。

 ヤツの胸に倒れ込むのではなく、ヤツの足元にうずくまる。

 ヤツの肌に、触れない。

 ヤツの匂いを、吸い込まない。


「……おっと。ドジだな、お前は」

 ヤツがカイルの声で笑う。

 ヤツがカイルの手を、私に差し出す。

 カイルの手。

 その手が、さっきまで、ゴブリンを潰していた。


 私は、その手を取らない。

「う、うん。大丈夫!」

 自分で立ち上がる。

 スカートについた土を、払うふりをして。


 ヤツは、私の拒絶に気づかない。

 ヤツは、私の「ドジ」を、ヤツの「イージーモード」の脳で処理した。

 ヤツは、カイルの顔で、満足そうに鼻を鳴らした。


「さてと。討伐の証拠、だっけか」

 ヤツはカイルの身体で、ゴブリンの死体に近づく。

 ヤツは「創生魔法」で、小さな刃を創り出した。

 カイルの魂の、無駄遣い。


 ヤツは、その刃で、ゴブリンの耳を切り取り始めた。

 カイルの手。

 カイルが、鍛冶仕事で、私にナイフの使い方を教えてくれた、あの手。

「刃先は、冷たく研げ。だが、使う時は、優しく触れろ」

 ヤツの動きは、雑だ。

 肉を引きちぎる、ただの「作業」

 カイルの身体が、汚されていく。


 私は、ヤツに背を向けた。

 ヤツの視界の外で、懐の木箱に触れる。

 カイルがくれた、罠。

 カイルが研いでくれた、ナイフ。

 そして、昨日手に入れた、遮光瓶。


 私は、ヤツが戦っていた場所を見ていた。

 ヤツの動き。

 大振り。

 隙だらけ。

 ヤツは、自分の「創生魔法」に、頼りすぎている。

 ヤツは、カイルの身体の「使い方」を、知らない。

 カイルが教えてくれた、罠。

 あの樫の木の根元。

 ヤツが私を隠した、あの場所。

 そこが、ヤツを仕留めるための、絶好の場所だった。


「よし。こんなもんだろ。帰るぞ、エリアナ」

 ヤツが、血塗れの袋を腰に下げた。

 カイルの身体から、濃い血の匂いが漂う。

 ヤツの匂いと、ゴブリンの匂い。

 二重の異臭。


「うん!」

 私は、完璧な「エリアナ」の笑顔を貼り付けた。


 帰り道。

 ヤツは、上機嫌だった。

 カイルの声で、ヤツの「イージーモード」の自慢話が続く。

「見たか? あの氷槍。俺、天才じゃね?」

「王都に戻ったら、ギルドの連中に自慢してやる」

「そしたら、美味い飯だ。エリアナ、お前にも食わせてやるよ」


「すごーい、カイル!」

「ありがとう、カイル!」

 私は、ヤツが望む台詞を、カイルが遺した声で返す。


 ヤツの三歩後ろ。

 私は、懐の奥で、固くなった黒パンを、小さく齧った。

 パンの、素朴な穀物の匂い。

 それが、ヤツと血の匂いを、わずかに遮断する。


 王都の門が見えてきた。

 ヤツの「ゲーム」の、セーブポイント。

 私の「戦場」の、入り口。

 ヤツが、カイルの身体で、門をくぐる。

 私は、その影を踏まないように、続いた。

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