第9話 王都という名の戦場


 王都の門は巨大な獣の顎のようだった。

 石造りの壁が空を切り取り村とは比較にならないほど多くの人間を吐き出し飲み込んでいく。

 馬車はその流れに巻き込まれ牛歩のようにゆっくりと門をくぐった。


 空気が変わる。

 埃と馬糞の匂いだけだった街道とは違う。

 人間の汗。

 腐った野菜。

 安酒。

 下水。

 得体の知れない香辛料。

 あらゆる匂いが混じり合い澱んで肺に纏わりつく。

 これが王都の匂い。

 村の十倍の人間が発する十倍の異臭。

 ヤツの匂いと同じくらい不快な「現実」の匂いだ。


「すげえ……! マジで城じゃん!」


 ヤツが荷台から身を乗り出した。

 カイルの声で間抜けな歓声を上げる。

 カイルはこんなふうに目をぎらつかせない。

 ヤツの紅い瞳が門の奥に見える白い城の尖塔を捉えてギラギラと光っている。

 ヤツの「ゲーム」の次のステージ。

 ヤツの「シナリオ」の目的地。


 馬車が止まる。

 門番の兵士が御者に何事か告げていた。

 御者が私達の荷台を指差す。

 兵士が二人近づいてきた。

 日に焼けた無愛想な顔。

 使い古された革鎧と鉄の槍。


「貴様らか。魔族を倒したというのは」

 低い声。

 ヤツへの賞賛も敬意もない。

 ただの「確認作業」

 ヤツはカイルの顔で得意げに胸を張った。


「ああ俺だ。魔王軍幹部のゼノスとかいうのを倒したんだ!」 「……幹部だと?」 兵士の眉がピクリと動いた。 もう一人の兵士がヤツの顔をじろじろと見る。 カイルの碧と紅の瞳に。


「オッドアイ……。お前魔族の血か?」

「あ? 違うね。生まれつきだ。それより国王陛下に謁見させてもらいたい。俺は……」


「身分証(ギルドカード)は」

 兵士がヤツの言葉を遮った。

「は?」

「身分証だ。持っていないのか。なら冒険者ギルドで登録してこい。アポなしで城になど行けるか。田舎者」

 兵士はヤツを鼻で笑った。

「なっ……!」

 ヤツがカイルの顔で屈辱に顔を歪める。

 カイルの身体がヤツの浅はかな感情で無様に歪む。

 ヤツの「イージーモード」の最初の躓き。


「……あの!」


 私は荷台の隅からか細い声を出した。

 兵士の視線が私に移る。

 私は完璧な「エリアナ」の仮面を貼り付けた。

 怯え戸惑う村娘の顔。


「ごめんなさい! この人……カイルは村で魔族と戦って……! 私たち村を追い出されて……! 訳も分からず……!」

 目に涙を溜める。

「かわいそうなヒロイン」を演じる。


 兵士の顔がわずかに和らいだ。

「……チッ。また難民か。魔族騒ぎでピリピリしてんだこっちも」

 兵士はヤツをもう一度見た。


「おい坊主。お前が本当に幹部を倒したならギルドに報告しろ。報酬が出る。城に行きたいならギルドの推薦状をもらってからだ」 「ギルドの……」 「わかったらとっとと行け。馬車はここまでだ。荷物を降ろせ」 兵士はそれだけ言うと背を向けた。


 ヤツはカイルの顔で唇を噛んでいた。

 カイルはそんな時唇ではなく奥歯を噛む。

 ヤツは私に背を向け荷物を乱暴に掴んだ。

 無様な背中。

 カイルの背中。


 *


 王都の往来は人の川だった。

 ヤツと私はその濁流に放り込まれた小石だ。

 ヤツはカイルの身体で不機嫌そうに前を歩く。

 カイルの歩幅。

 私を気遣うことを忘れた速い歩み。

 それでいい。

 私はヤツの三歩後ろを荷物を抱えてついていく。

 ヤツの背中を「盾」にして。


 私は「見る」

 ヤツが「城」という目印しか見ていない間に。

 私はこの戦場のすべてを見る。

 パン屋の匂い。

 その隣の下水溝の悪臭。

 建物の隙間に潜む物乞いの目。

 巡回する兵士の槍の光。

 建物の壁に描かれた奇妙な印。

 裏通りの印


 薬屋。 ショーウィンドウに並ぶ乾燥したハーブ。 カイルに教わった毒草が混じっている。 その隣。 「情報屋」 小さな看板。 カイルが教えてくれなかった知識。 私が自分で見つけた武器。


「おいエリアナ! ぼーっとすんな! ギルド探すぞ!」 ヤツが振り返りカイルの声で怒鳴った。 「ご、ごめんなさいカイル!」 私は小走りでヤツに追いつく。 「ドジ」なヒロインを演じながら。 ヤツの無防備な背中に視線を走らせる。 カイルの背中にあるあの古い傷跡。 ヤツが気づきもしないカイルの「弱点」 私の聖域。


 冒険者ギルドはすぐに見つかった。 王都で一番騒がしく下品な建物。 ヤツはカイルの顔でそのドアを意気揚々と開けた。 ヤツの「ゲーム」がまた始まると信じて。


 中は酒と汗と血の匂いがした。

 ヤツがカウンターで何か叫んでいる。

 魔族を倒した。

 幹部だった。

 俺を登録しろ。

 カイルの声で。

 カイルの顔で。

 カイルの身体で。


 私はその輪に入らない。

 入り口の隅で荷物のようにうずくまる。

 ヤツから最も遠い場所で。

 ヤツが「英雄」として注目を浴びているその陰で。

 私は私のかばんを抱きしめる。

 底にある木箱の硬い感触。

 カイルが遺した武器。


 ギルドの職員がヤツの紅い瞳を見て何かを書き留めている。

 ヤツがカイルの顔で満足そうに笑った。

 ヤツが「カイル・アッシュフィールド」という名前で登録されていく。

 私のカイルの名前がヤツの「称号」として上書きされていく。

 吐き気がした。


「おいエリアナ! 宿取るぞ! 金貰った!」

 ヤツがカイルの声で私を呼んだ。

 ギルドから銅貨の入った袋を受け取っている。

 魔族討伐の「報酬」

 カイルの身体(ウツワ)を危険に晒したヤツの「功績」


「……うん」

 私は立ち上がる。

 ヤツの影として。


 宿はギルドの裏手にある安宿だった。

 昨日より狭く昨日よりカビ臭い部屋。

 ベッドが二つ。

 埃をかぶった粗末な寝台。

 それが唯一の救いだった。


 ヤツはカイルの身体で片方のベッドに荷物を放り投げた。

「はー疲れた! 王都って面倒くせえな!」

 ヤツがカイルの声で文句を言う。

 カイルの身体でベッドに倒れ込む。

 ギシリと寝台が軋む。

 ヤツの匂いがこの狭い密室に充満し始める。

 あの生暖かい汗の匂い。


 私は息を止めた。

 自分の荷物をヤツから一番遠いベッドの足下に置く。

 そしてかばんから水差しと布を取り出した。


「……何してんだ?」 「……水。埃っぽいから。カイルも喉渇いたでしょ」 私はテーブルの上の水差しを手に取った。 それを一度捨て窓から見える井戸で新しい水を汲み直す。 戻ってきてヤツが触れるかもしれないテーブルを布で拭く。 ベッドの縁を拭く。 ドアノブを拭く。 ヤツが触れたギルドの銅貨の袋をヤツのベッドに投げ返す。 私の領域とヤツの領域を分ける。 カイルの身体から発散される「汚染」から私の聖域を守るために。


「……ふーん。気が利くな。やっぱエリアナは最高のヒロインだ」

 ヤツはカイルの顔でニヤつきながらそれを見ていた。

 ヤツの「イージーモード」の脳が私の行動を「健気なお世話」として処理している。

 それでいい。


「私……ちょっと買い出しに行ってくる。夕食。パンとか」

「おう。頼むわ。ついでに酒買ってこい酒」

「……うん」

 酒。

 カイルは鍛冶仕事の後でしか飲まなかった。

 それも一杯だけ。

 ヤツは。


 私は部屋を出た。

 鍵はかけない。

 ヤツは私の荷物に興味はない。

 ヤツは自分の「イージーモード」の幻想にしか興味はない。


 私は王都の雑踏に戻る。

 パン屋には行かない。

 酒屋にも行かない。

 私はさっき見つけた裏通りの「薬屋」のドアを押した。

 カランと乾いたベルの音が鳴る。

 そこはハーブの匂いではなくカビと薬品の酸っぱい匂いがした。

 店の奥の闇で老婆が私を待っていた。

「……何かお探しカイ。嬢ちゃん」

「……ネズミに。困ってるんです」

 私はかばんからカイルがくれた碧い石とは別の「石」を取り出した。

 村長がくれたなけなしの金。

 私の「武器」を買うための最初の軍資金。

「……一番よく効く『殺鼠剤』をください」

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