第8話 戦場の門
馬車は揺れ続ける。
石畳の宿場町を抜けても揺れは収まらない。
街道の轍がカイルの身体を無遠慮に揺さぶる。
ヤツも私も荷台の隅で壁に背を預けていた。
狭い空間。
逃げ場のない密室。
埃と馬の汗の匂い。
そしてヤツの匂い。
カイルの石鹸の匂いを上書きするあの生暖かい異臭。
それが揺れのたびに濃淡を変えて鼻腔を刺す。
私は膝の上のかばんを固く抱いていた。
その底にある木箱の角が腹部を圧迫する。
あの硬い痛みだけが私をこの不快な現実から守る盾だった。
「……王都に着いたら」
ヤツが口を開いた。
カイルの声で。
カイルの顔で。
「まずは城だ。国王に会ってこの力を示せば一発で英雄だ」
ヤツは窓の外を流れる景色に目をやっている。
その紅い瞳は何も見ていない。
自分の「イージーモード」の幻想を見ているだけだ。
「そしたらデカい屋敷が貰える。エリアナも綺麗なドレスが着たいだろ?」
ヤツが私を見た。
カイルの顔でニヤついた。
その視線が私を「褒美」として値踏みしている。
カイルの聖域を汚した害虫が
その聖域の「付属物」として私を見ている。
私は「エリアナ」の仮面を貼り付けた。
戸惑いと期待が混じったか弱い少女の顔。
「ドレス……? 私は……カイルのお世話ができればそれで」
「ははっ。健気だなあお前は」
ヤツが笑う。
カイルの喉で。
カイルの笑い声ではなかった。
カイルはこんなふうに喉の奥で下品な音を立てない。
「そういうとこが最高なんだよ」
ヤツが身体を動かす。
私との距離を詰めようとする。
その体温が私の服の袖に伝わる寸前。
「きゃっ」
私はわざと大きく身体を揺らした。
馬車の揺れに合わせて。
ヤツの腕を避けて荷台の反対側に転がるように。
「おっと。大丈夫かエリアナ。やっぱドジだな」
「ごごめん。揺れて……」
私はかばんを抱きしめたままヤツから一番遠い隅でうずくまった。
ヤツの紅い瞳が「仕方ねえな」という傲慢な光を宿して私から逸れた。
それでいい。
私はヤツを観察する。
ヤツの力の「代償」。
カイルの魂。
それを知らなくては。
「……カイル」
私はか細い声でヤツを呼んだ。 「心配」するヒロインを演じる。
「あの……その力。魂を使うって言ってたけど……本当につらくないの?」
ヤツが私を振り返る。
その目に「面倒だ」という色がまた浮かんだ。
「ん? ああ。前に言っただろ。俺の魂は『最大級』なんだ。無限みたいなもんさ」
「むげん……?」
「そう。減らねえってこと。井戸水汲むのとはワケが違う。太平洋からバケツで水汲むようなもんだ。いくら使っても平気なんだよ」
ヤツはカイルの手で自分の胸を叩いた。
カイルの心臓がある場所を。
「無限」
「平気」
ヤツは何もわかっていない。
カイルの身体がカイルの魂がどれだけ有限で貴重なものだったか。
ヤツにとってカイルの魂はただの「消費リソース」でしかない。
その事実が冷たい刃物のように私の胸を抉った。
その時だった。
馬車が急停止した。
御者の甲高い悲鳴が響き渡る。
「ひい! でで出たぁ! 山賊だ!」
ヤツの顔からニヤついた笑みが消えた。
「……チッ。こんなとこでかよ。面倒くせえ」
ヤツがカイルの声で舌打ちした。
カイルは舌打ちなどしない。
「カイル!?」
私は「怯える」ヒロインを演じる。
ヤツの服の袖を掴む。
ヤツの肌に触れないように。
「大丈夫だって。エリアナはここにいろ。
「えぬぴいし……?」
「こっちの話だ。見てろよ俺の『ショータイム』を」
ヤツはカイルの身体で軽々と馬車から飛び降りた。
街道を十数人の薄汚れた男たちが塞いでいた。
錆びた剣や弓。
飢えた獣の目。
「へへ。いい馬車じゃねえか。金目のものとそこの女を置いていきな」
リーダー格の男が下品な笑いを浮かべる。
ヤツはカイルの身体でゆっくりと歩み出た。
「……五秒やる。今すぐ消えろ。そしたら命だけは助けてやる」
「ああん? なんだこのガキは。やっちまえ!」
山賊たちが一斉にヤツに襲いかかる。
私は馬車の幌の隙間からその光景を見ていた。
手のひらが汗で湿る。
かばんの中のナイフの柄を強く握りしめる。
ヤツがカイルの身体で傷つけられるのは許さない。
だが。
ヤツは動かなかった。
迫り来る山賊たちを冷めた目で見ているだけ。
カイルの顔で。
「……だから言ったのに」
ヤツが右手をかざす。
創生魔法。
イメージしろ。
カイルの魂を使って。
ヤツが何を創るのか。
「――『創生:
山賊たちの動きが止まった。
いや違う。
彼らの身体が地面に叩きつけられていた。
目に見えない何かが彼らを押し潰している。
骨の軋む音。
苦悶のうめき声。
「ぎゃああ! あ足が!」
「動けねえ! なんだこれ!」
ヤツはカイルの顔でその光景をただ見下ろしている。
カイルの碧と紅の瞳で。
その目に何の感情も浮かんでいない。
虫を潰すような。
ゴミを掃除するような。
ただの「作業」
カイルなら。
カイルならこんなやり方はしなかった。
彼はたとえ敵でも命を奪うことを最後まで躊めらった。
彼の優しさが彼の弱さだと私は知っていた。
だがヤツは。
ヤツはカイルの身体でカイルの魂を使って。
カイルが最も嫌ったであろうやり方で人を傷つけている。
「……さて。どうする? 命だけは助けてやるって言っただろ?」
ヤツがカイルの声で冷たく言い放つ。
山賊たちは這いつくばったまま震えている。
御者は腰を抜かして動けない。
ヤツは満足そうに踵を返した。
カイルの身体を汚れた埃から守るように服を払いながら。
ヤツが馬車に戻ってくる。
カイルの顔に「面倒事が終わった」という退屈な表情を浮かべて。
「ほらな。雑魚だったろ」
ヤツが私に笑いかける。
「……すごい。カイル」
私は「賞賛」するヒロインを演じる。
胃の奥が冷たいもので満たされていく。
ヤツはカイルの身体の「使い方」に何の躊躇もない。
ヤツはカイルの魂を「無限」だと信じて疑わない。
ヤツは「痛み」を理解しない。
他人の痛みも。
カイルの身体の痛みも。
カイルの魂の痛みも。
ヤツはただの「寄生虫」だ。
馬車が再び動き出す。
山賊たちのうめき声を背にして。
重い空気が荷台に澱む。
馬車は夕暮れの街道を進む。
ヤツは疲れたのかカイルの身体で目を閉じている。
その寝顔はカイルのものではなかった。
カイルの安らかな寝顔ではない。
口がわずかに開き浅い呼吸を繰り返す獣の寝顔。
私は窓の外を見た。
街道脇に小さな青い花が咲いている。
「森の涙」
カイルが教えてくれた花の名前。
昔カイルがこの花を摘んで私の髪に挿してくれた。
「お前が泣かないように。お守りだ」
不器用に笑うカイル。
鍛冶仕事で荒れた指。
あの指の感触。
あの匂い。
あの声。
すべてがヤツに奪われた。
涙は出なかった。
私の翠の瞳はあの青い花の色をただ冷たく映すだけだった。
「……着いたぜ!」
御者の弾んだ声。
ヤツがカイルの身体でゆっくりと目を開ける。
私も顔を上げる。
馬車の行く手に巨大な壁が見えた。
空を分断するようにそびえ立つ白い城壁。
王都。
ヤツの紅い瞳がギラリと光った。
「イージーモード」の次の舞台。
ヤツの「ゲーム」の始まりの場所。
私は膝の上のかばんを強く抱きしめた。 かばんの底の木箱が硬い感触を返す。 カイルが遺した武器。 王都。 私の戦場。 カイルの身体を取り戻す。
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