第6話 偽りの旅路
村の広場に馬車が用意されていた。
村長が集めたなけなしの金で雇ったものだ。
馬は痩せていて車輪は軋んでいた。
それでも村は私たちを「英雄」として「厄介者」として送り出す。
その二重の感情が広場を埋めた村人たちの顔にこびりついていた。
ヤツへの賞賛とヤツが引き寄せた魔族への恐怖。
私への同情と私があの「力」の傍にいることへの憐れみ。
「カイルくん。エリアナ。道中気をつけて」
村長が乾いた声で言った。
ヤツはカイルの顔で自信満々に頷く。
「ええ。王都に着いたらすぐに国王陛下に謁見します。この村のことは俺が」
「頼む……頼むぞカイルくん」
村長の目が私を捉える。
その目には「お前がカイルを支えるのだ」という無言の圧があった。
私は「エリアナ」の仮面で小さく頷いた。
ええ。
支えます。
この害虫がカイルの身体をこれ以上利用し尽くさないよう。
私が。
ヤツが先に馬車に乗り込んだ。
私に手を差し伸べる。
カイルの滑らかな手。
私はその手を取らなかった。
「きゃっ」
荷物を抱えたままわざとよろけてみせる。
ヤツの腕に触れることなく自分で荷台に這い上がった。
「おっと。大丈夫かエリアナ」
「ううん。大丈夫」
ヤツは私のドジに気づかない。
ヤツの「イージーモード」の脳は私を「守るべきか弱いヒロイン」としてしか処理しない。
それでいい。
御者の合図で馬車が動き出す。
石畳を揺れが伝わる。
村が遠ざかっていく。
カイルと育った家。
カイルと通った森。
カイルが守った村。
そのすべてがヤツのせいで過去になっていく。
私は振り返らなかった。
*
街道は埃っぽかった。
馬車の狭い荷台でヤツと二人きり。
最悪の密室だ。
ヤツから発散される生暖かい匂い。
カイルの石鹸の匂いを上書きする別の汗の匂い。
それが馬車の揺れと共に私を打つ。
私は袋の口を握りしめ爪が食い込む痛みで意識を保っていた。
「はー。いよいよ王都か。ラノベみたいだな」
ヤツが独り言を呟いた。
カイルの声で。
カイルが知るはずのない単語を吐く。
「ラノベ?」
私は聞き返す。
「ドジ」で「世間知らず」のエリアナを演じるために。
「ああ。いや……こっちの話だ。とにかくスゲー冒険が始まるってことさ」
ヤツは私を見てニヤリと笑った。
カイルはそんな下品な笑い方はしない。
ヤツの紅い左目が不快な光を放っている。
「なあエリアナ。お前王都に行ったら何したい?」 「私……? 私はカイルのお世話ができればそれで」 「ははっ。健気だなあお前は」 ヤツが距離を詰めてくる。 肩が触れそうになる。 その体温が伝わる前に私は身をよじった。 「あ。そうだ。カイルお水飲む?」 荷物袋から水筒を取り出す。 「おおサンキュ。気が利くな」 ヤツが水筒を受け取る。 その指が私の指に触れた。 一瞬。 焼け火箸を押し付けられたような不快感が走る。 私は笑顔の下で奥歯を噛みしめた。 水筒を持つヤツの手。 カイルの手。 その手でヤツは水を飲む。 カイルの喉を水が通る。 ヤツの生命活動のためにカイルの身体が使われていく。
ヤツはゴクゴクと喉を鳴らした後水筒を返してきた。
「ぷはー。生き返る。やっぱエリアナがいないと俺ダメだな」
ヤツがカイルの顔で言う。
カイルの台詞を奪って。
私はヤツが口をつけた水筒の飲み口を服の袖で強く擦った。
血が滲むほど。
「……そんなことないよ。カイルはすごいもの」
「だろ? 俺の創生魔法。マジで最強なんだぜ」
ヤツは得意げに右手をかざした。
「見ろよエリアナ。こうやって……」
ヤツの手のひらに光が集まる。
昨日魔族を消し去ったあの力の片鱗。
光は形を変えやがて一輪の花になった。
光の造花。
「ほら。綺麗だろ。お前にやるよ」
ヤツがそれを私に差し出す。
カイルの身体の魂を削って。
こんなガラクタを作るために。
私はそれを受け取らなかった。
「……すごい。カイルは魔法でお花も作れるんだね」
「まあな。こんなの序の口だ」
「でも……」
私は光の花からヤツの顔に視線を移す。
「でも昨日みたいにまた魔族が来たらどうしよう。カイルその力使いすぎたらダメなんじゃ……」
私は「心配」するヒロインを演じる。
ヤツの力の「代償」を探るために。
ヤツの顔がわずかに強張った。
「……ああ。まあな。魂をリソースにするからな。でも大丈夫だ俺の魂は最大級らしいから」
ヤツはあっさりと「魂」という単語を口にした。
やはり。
「そう……なんだ。すごいねカイルは魂まで」
「だろ? だから心配すんな。俺がお前を守るから」
ヤツは光の花を荷台の隅に放り投げた。
花は壁に当たり音もなく消えた。
カイルの魂の無駄遣い。
私はその光景を目に焼き付けた。
*
日が落ちて街道沿いの宿場町に着いた。
村長の金で取れたのは一番安い宿の一番安い部屋。
御者が鍵を一つだけ寄越した。
「すまんが今夜は相部屋しか空いてなくてな。若い二人にはちょうどいいだろ」
御者が下卑た笑いを浮かべる。
ヤツがその鍵を受け取った。
カイルの顔でニヤついている。
その紅い瞳が私を値踏みするように見た。
部屋は狭かった。
ベッドが一つ。
あとは小さなテーブルと椅子が一つだけ。
空気が埃とカビの匂いで澱んでいる。
「……まあ安い宿だしこんなもんか」
ヤツはそう言うと真っ先にベッドに腰掛けた。
カイルの身体で。
ギシリとベッドが軋む。
「エリアナも座れよ。疲れただろ」
ヤツがベッドの空いたスペースを叩いた。
私を誘っている。
カイルの身体を使って。
カイルのベッドに。
胃の奥から酸っぱいものがせり上がってくる。
私はかばんを抱きしめたままドアの前に立ち尽くした。
「……私」
声を絞り出す。
「私……今日は床でいい」
「は? なんでだよ。ベッド広いぜ?」
「ううん。私……まだ心の準備が……その。カイルはすごい人になっちゃったから。私なんか隣に寝たら……ダメ」
私は「戸惑う」ヒロインを演じた。
「英雄」と「村娘」の身分の差に。
ヤツはこういう「お約束」にも弱いはずだ。
ヤツはキョトンとした顔をした。
やがてその意味を理解したのかカイルの顔で盛大に吹き出した。
「ぶはっ! なんだよそれ! お前まだそんなこと気にしてんのか?」
ヤツが笑う。
カイルの喉で。
「俺たちは幼馴染だろ? 今さら何遠慮してんだよ。ほら来いよ」
ヤツは手を伸ばす。
違う。
ヤツは私の演技を理解していない。
ヤツはただ私を「チョロいヒロイン」としてベッドに引きずり込もうとしているだけだ。
浅はかで。
不潔で。
カイルの顔をしたただのオス。
私はかばんを胸の前に突き出した。
盾にするように。
「……ダメ!」
私は声を上げた。
「ダメなの! お願い……! 今日は一人にして!」
目に涙を溜める。
「純情」なヒロインを演じる。
ヤツの動きが止まった。
その紅い瞳が私をじっと見る。
「……チッ。仕方ねえな」
ヤツは舌打ちした。
カイルは舌打ちなどしない。
「わかったよ。今日は勘弁してやる。その代わり王都に着いたら……覚悟しとけよ?」
ヤツはカイルの顔で下卑た笑みを浮かべた。
そしてベッドに横になる。
「ああ疲れた。俺先に寝るわ。お前戸締りしとけよ」
ヤツは無防備に私に背を向けた。
すぐに寝息が聞こえ始めた。
カイルのものではない不規則な寝息。
私はドアに鍵をかけた。
カイルが教えてくれた「閂以外のロックのかけ方」で。
椅子の背もたれをドアノブに引っ掛ける。
これであの御者もヤツも外からは入れない。
私は床に座り込んだ。
かばんを膝の上に乗せる。
かばんの底にある木箱の硬い感触。
その角が太腿に食い込む。
冷たい痛み。
その痛みだけがヤツの寝息が響くこの不快な空間で私を「私」として繋ぎとめていた。
私は眠らない。
この害虫がカイルの身体で眠っている間も。
私がカイルの身体(聖域)を守る。
ヤツから。
魔王軍から。
この世界すべてから。
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