第36話「傘の中、真実」
静かな覚悟を湛えながら、リンは傘の中に落ちていく。
その顔が全て隠れたそのとき、リンは忽然と姿を消した。
「消えた⁉」
櫻と正也は立ち尽くす。目の前で起きた現象を理解出来ず、言葉を失う。
「そうか、あのときも」
櫻の脳裏に蘇るのは、昼、屋上での出来事。
リンはあの傘を使い、気配を消していたのだ。
「先輩! どうします⁉」
正也の必死な声が耳をつんざく。
「どう、すれば」
『ザッ』
そのとき、櫻の左耳に砂を踏みしめる音が届く。
そして、振り向いたその瞬間には顔の横を銃弾が掠めた。
「結局、こうなる」
憂いを帯びた瞳で呟き、傘を右手に持ったリンは、シリンダーに白い銃弾を二発器用に詰め込む。
その姿を前に、櫻の頬を汗が伝う。
「どうやって、気配を消している」
「さあ、私にも理論はよくわからない」
リロードを終えたリンは櫻に銃口を向け、再びその傘の中に沈んでいく。
彼女の目が傘に隠れるその直前、右手の指輪が脈を打つように激しく光った。
「別に、理解する必要も無いでしょう?」
「ッ! 正也君、ちっ――!」
散れ。そう言いかけて、櫻は止まる。
戦闘時、自分の近くに正也がいない状況を想像出来ないのだ。
「先輩ッ、とりあえず近くに!」
「違う! 奴の狙いは」
「神野櫻、あなたは変わった」
今度は右側、一瞬リンが現れ、その左目で正確に狙いを定める。
放たれたその銃弾は櫻の足元に着弾し、その場に青白い光を放った。
「危ないッ!」
正也は咄嗟に櫻の身体を引くが、リンが再び照準を定めるのは一瞬だった。
「そして、弱くなった」
銃声。
その銃弾は、正也の太ももの肉を抉り取った。
「くぁあっ!」
「正也君ッ!」
倒れ込む正也。駆け寄る櫻。もはや、戦闘の体を成していなかった。
正也の視界が痛みによって歪んでいく。しかし、辛うじて口を開いた。
「逃げて、くれ」
「そんな、逃げられない。逃げられないよ」
「裏切者は、こうなる運命」
堂々と床を踏みしめる音。リンは傘を肩に掛け、リロードをしながら二人に近づいていく。
櫻は涙を浮かべながらも彼女を鋭く睨みつけた。
「来るな。外道が」
しかし、リンはそんな櫻を見下ろして鼻で笑った。
「外道? 心外ね。私は、あなたも承知の通り正当な権利を行使しているだけよ」
櫻の視界が滲む。激しい怒りで喉が焼けていく。
「私たちが何をした⁉ 確かに吸血鬼と契約した。しかし二人で王の眷属を退けた! これは成果だ! 君たちが欲しがる成果だ! 違うか⁉」
「いいえ、違わない」
「だったら何故、警告も無しにこんな……!」
「規律は絶対だからよ」
一瞬、二人の間を風が通り過ぎる。
リンは表情を悟られないように深くフードを被った。
「規律を守るだけじゃ掴めない幸せも確かにある」
情動のまま口を走らせた櫻を見ることはせず、リンは逡巡の後再びシリンダーを開ける。
「規律を守らないと結局、大切な人も守れない」
呟き、白い銃弾を一発込めた。
「君に何がわかる」
櫻の殺気立った視線も意に介さず、リンは銃口を向ける。
「少なくとも、このままだとあなたたちの恋は実らないということだけはわかる」
「点数稼ぎに魂を売ったか」
「黙れ、撃つぞ」
「あぁ撃てよッ」
そう言い放った櫻は、痛みに悶える正也の頭を抱き締める。
怒りと悲しみを堪えながら覚悟を貫くその表情が、リンの心を揺らす。
「殺しても、この火は消えない」
リンは櫻のその表情を見下ろし、眉間に皺を寄せる。
「火? 何のこと」
「身分や人種も関係無く、誰かを愛するという火だ」
櫻の目がリンを貫く。
火の中でもさらに燃え盛る炎が、凍った心を炙る。
「わからないか? 心を売った君たちには、もうわからないのか⁉」
リボルバーを握る手が徐々に、そして激しく震えだす。
リンはその左手を、うっ血しそうな程強く握り締めた。
「犯人」
「なに?」
「神殿事件の犯人が」
「犯人? 何を……」
リンの今にも泣き出しそうな目が櫻を貫く。
その瞬間、櫻は、この世の嫌悪を握り固めたようなどす黒い予感に駆られる。
「忘れてるなら思い出させてあげる」
神殿事件。犯人。その二つの単語が櫻の頭の中に渦巻き、パンドラの箱に手がかかる。
「あなたは吸血鬼の王の封印を解いて、大勢の人を殺して、神殿の守り手をあんなにも残酷に作り変えた」
リンの瞳もまた、燃えていた。
「神野櫻、あなただけは愛を語るな」
リンの一語一句、櫻の脳を駆け巡る。
そしてそれは巨大な波を形成して櫻の記憶の扉を激しく叩いた。
「私が、神殿事件の、犯人?」
櫻は目を見開いて、言葉を失う。
戦うことも忘れ、太刀を放した。
神殿に佇む幼い自分と、目が合った。
第5章「交差する歩み、真実へ」完
第5章読んでいただきありがとうございます。かなり重い話になってきましたが、いよいよこの物語の原点、神殿事件に踏み込んでいきます。
それがリンの所属する組織、神殿の守り手をどう変えたのか、それによって、リンはどんな痛みを抱えることになったのか。
この罪は許されるのか。
第6章、さらに加速していきます。これからもよろしくお願いします。
毎日21時更新です。
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