第28話「決着、長い夜」

 力の権化のような禍々しい刃先を向けられ、ケルヴァスは足が竦む。


 そして次の瞬間、背を向けて走り出していた。


「助けてくれッ!」


「クソッ、待てッ!」


「正也君、まず私が」


 櫻は正也の胸をトンと叩き、風を切るように走り出す。


「グレイヴ! 見てるんだろう⁉ 助けてくれ!」


 恐怖でたじたじになった足取り。


 櫻が追い付くのは、一瞬のことだった。


「一家相伝、結界術」


 呟き、伸ばした手が霊気を纏う。


「はっ⁉」


 次の瞬間、ケルヴァスの目の前に現れたのは、高く黒い壁だった。


「おい、待てよ」


 ――回転斬り一閃。


 ケルヴァスのアキレス腱が切り飛ばされ、その場に膝をつく。


「今夜は良い夜だ。そう言ったな?」


「あ……やめてくれ。頼む」


「私も、良い夜だと思うよ」


 櫻はそう言い放ち、短剣を逆手に持ち替えて振り上げる。


「うわあああ!」


 しかし次の瞬間、ケルヴァスは膝立ちのまま拳を振り上げる。


 油断していた櫻は、その不意の攻撃を前に硬直する。


「何度言えばわかる」


 空気を真っ二つに切り裂く音。それと同時に、ケルヴァスの腕が落ちた。


 それは紛れも無い、血契刀の一撃。


「触るな」


「あぁ、俺は」


 正也を見上げ、ケルヴァスはいよいよ脱力する。


「死ぬのか」


「そうだ」


 正也は希望を失ったケルヴァスを見下ろし、目を細める。


「長かった。長すぎた、人生だった」


 ケルヴァスはそう言い、残った手を見下ろす。


「もう人間だった頃も、忘れちまった」


「あの世でゆっくり思い出しな」


「ああ、そうする。そうするよ」


 正也は突きの体勢を取る。低く構え、狙いを定める。


 ケルヴァスはその光景を目の当たりにしながら、笑みを浮かべた。


「そうだ。俺には、子供が――」


 正也は、その言葉の続きを聞くことなく、静かに心臓を貫いた。


 血が刀身を伝い、滴る。


 その刀身を、ケルヴァスは掴んだ。


「ッ!」


 一瞬身構える正也と櫻だったが、ケルヴァスの様子を見て同時に言葉を失った。


 彼の巨大な身体は萎んでいき、それを覆っていた毛がボロボロと落ちていく。


「小僧、最後に一つ約束してくれ」


 不気味な笑顔の仮面も落ち、骨格のしっかりした青年の顔が露わになる。


「大切なものは、二つも無かった」


 そして、笑みを浮かべ、清々しい表情で正也を見つめた。


「裏切るなよ」


「……ああ、約束する」


「頑張れ、よ」


 男は項垂れ、ピクリとも動かない。


 正也はゆっくりと、慎重に血契刀を抜いた。


 次の瞬間、血契刀は元の血へ戻り、その場に小さな血溜りを作った。


 それは静かに、命を終えた獣を弔うかのように地面へと還っていった。


「終わった、のか」


 呟いたのは櫻だ。


 正也は、櫻の肩を抱き留める。


「終わった」


「この人は、人間だった」


「ええ、そうだった」


「こんなに意識がはっきりしているのは、初めて見た」


 櫻は朧気にそう呟き、そのまま男の亡骸に手を伸ばす。


「どんな人だったと、思う」


「……精悍で、勇敢で、子供思いで」


 正也は櫻の肩を抱く手に力を込める。


「そしてそれを、望まずに裏切り続けてきた」


「怖い」


 櫻は手を下ろさないまま、大粒の涙を流す。


「君が、私が、彼のようになるのが、怖い」


 その瞬間、正也は櫻を抱き締めた。


「俺たちで、止めるんだ」


 櫻も、正也をきつく、きつく抱き締め、泣き始めた。


「あいつを復活させちゃ、ダメなんだ」


 そう呟き、夜空を見上げた。


 微かに光る天の川が、二人を見下ろしていた。

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