第8話「地べたの鳥」
悲哀、後悔、諦め。
その三つで、正也の人生は足りていた。
今も、櫻の手を握れなかった後悔を諦めで塗り潰そうとしている。
消えかかった看板を掲げたコンビニの前、夕飯どきの人混みの中。
夜に向かってにわかに色めき立つ商店街の喧騒が、正也を苛立たせて止まらない。
「このまま消えちまおうか」
そんなことを自嘲気味に呟いて、再び歩き出した。
――そのとき、背後から櫻の血の匂いが微かに漂ってくる。
櫻の言う「戦い」が始まったのだと、正也は理解した。
「俺に何が出来るって言うんだ」
再び立ち止まる。視線が突き刺さる。俯けば、また顔を上げるのがさらに苦しくなった。
「似てたな」
正也は思い出す。神野櫻の、あの怖いもの知らずな立ち振る舞いを。
「俺に」
思い出す。懸命に味方を探すあの悲しげな目を。
「あのときの、俺に」
正也は思い出す。
独りがどれだけ苦しかったか。
暗い世界での生活が、どれだけ痛く切ないものだったか。
どれだけ、ヒーローを欲したか。
「何してんだ」
正也は気付けば次の瞬間、振り返り、来た道を戻り始めていた。
「何をやってる。何で引き返してる」
人の流れなど一切気にせず、俯きながらも真ん中を突っ切っていく。
あのときの櫻の、助けを求めるような視線が心に突き刺さって離れない。
「俺は、何を」
「いってぇ!」
肩に何かぶつかった感触、振り返ると、体格の良いサラリーマンが顔を真っ赤にしていた。
「お前邪魔なんだよ! 前見て歩けや!」
男が唾を飛ばしながら詰め寄る。
正也はいつものように反射的に謝ろうとして、気付いて、やめた。
「なっ⁉」
もう、頭を下げることをやめた。
「てめえこそ前見て歩いてんのかよ」
正也は整髪剤でガチガチに固めた頭を無遠慮に掴み、男の顔を鋭い目付きで覗き込んだ。
「は、放せっ」
「邪魔なら避けろ。勝つ気ねえのに絡んでくんな」
「ひ、ひいっ」
「こっちは今、人を一人助けに行くとこなんだよ」
ガタガタと膝が震えだした男を放り出し、振り返って、再び歩き出す。
「神野櫻」
声に出して、早歩きに変わる。
最悪な過去と縁を切り、新しい未来に飛び込む。
ただそのためだけに、走る。
「あんたなら、感謝してくれるか」
正也の胸の奥で、あの頃の息づかいが、感情が甦る。
幸せと呼ぶにはバラバラで純情過ぎた。
しかし、慣れ親しんだ退屈の匂いを確かに忘れ始めていた。
第1章「動き始めた世界、愛」完
第1章読んでいただきありがとうございます。
吸血鬼とは、祓魔師とは、櫻の野望と「契約」の真の狙いは何なのか。そして「戦い」とは。
続きが気になると思ってもらえたなら、この物語はきっと、読者であるあなたの物語にもなるんだろうと思います。
第2章はバトルアクションと心理戦中心のお話になります。そして、真相に手を伸ばし始めるお話です。これからどうぞ、よろしくお願いします。
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