第4話「神野櫻の告白」

 僅かに開いた窓から肌寒い風が差し込み、正也の頬を撫でる。

 十分に傾いた夕陽が閉め切られたカーテンを橙色に染め、空っぽの教室を薄暗く照らした。


 口を開く。


 発する前に、櫻は跳ねるように歩き出した。


「……」


 櫻は軽やかに後ろ手を組み、スキップに近い足取りで教壇に向かっていく。

 教卓の前で立ち止まり、それを両手で擦りながら、彼女は息を吸った。


「桜が、散ったな」


「は?」


 櫻は窓の外を見たまま、ゆっくりと息を吐いた。

 そして困惑する正也をどこか遠い目で見下ろし、そっと髪を掻き上げた。


「時間が、経った」

「……」

「君と初めて出会ったのは、半年前のことだったか」


 聞かれ、正也は俯く。

 半年前の出来事、櫻との初対面。

 それは、正也にとって出来れば思い出したくない出来事だった。


「それがどうかしたんですか」


 ただ黙っている櫻の視線に耐え切れず、殆ど慌てて息を吸う。


「関係無いでしょ、あんたに」


 吐き捨てた直後、正也の肩が小さく震えた。


 しかし櫻は優しい笑みを崩さず、そっと微笑んだ。


「関係あるよ」


 言い切られ、正也は櫻のその顔に無条件でバッテンを張りたくなる衝動に駆られる。


「俺のことからかいたいだけなんだろ。他の奴らと同じだ。気持ち悪い」


 握り締めた拳がミシミシと音を立てる。怒りが惨めさに変わり、喉が焼けるように熱くなる。


「ごめんね。遅くなってしまった」


 唐突な一言。正也の眉が僅かに動く。


「三日前、私の血を吸ったよな」


 正也は櫻の目を鋭く見据え――。


「今、何て」


 困惑によって冷静さを取り戻す。


 櫻はゆっくり教卓の横に回り、自らの襟首を摘んだ。

 そうして露わになった彼女の首筋から赤い歯形が覗き、正也の息が一瞬、止まる。


「あれは、夢で」

「夢じゃない。三日前、やっと私の血を吸ってくれた」


 櫻はそう言って小首を傾げる。艶のある長い黒髪が首筋にかかり、その歯形を隠す。


「痛かったなぁ」


 次の瞬間、正也は半身の体勢を取る。

 すぐに反撃出来るように、そして、すぐ逃げられるように。


「逃げられないよ」

「何?」

「封呪符(ふうじゅふ)を貼っておいた。近づけないようになってる」


 振り返った正也の視界に飛び込んだのは、ドアに貼られた、禍々しく「封呪」と書かれた一枚の札。


 真偽を確かめようと伸ばした右手に――衝撃が走る。


「……痛ッ!」


 掌に焼けつくような冷たさが走り、弾かれる。

指先に残ったのは、微かな痺れと、震えだった。


「あんた、本当は何者だよ」


 痺れの残る右手を擦りながら睨みつける。


「何が目的だ」


 櫻ははだけた首元を直すこともせず、どこか物憂げな目で正也を見つめた。


「私は――祓魔師(エクソシスト)」


 途中で言葉が止まり、笑みの端がぴくりと引きつる。

 そして、櫻は息を詰め、自分の腕を掴んだ。


「君のような吸血鬼(ヴァンパイア)を殺すのが、仕事だ」


 細く言い切ったその言葉は、正也にとってはまるで自分に言い聞かせているかのように聞こえた。

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