第2話「抑制」
あの夜の熱が、まだ正也の舌の奥に残っている。
三日後の朝、彼は学校へ向かいながら彼女の血の味を反芻していた。
「夢」
誰にとも言わず、ポツリと呟く。
「現実」
初夏の朝日が思いのほか肌を焼く。正也は衝動的に鞄の中から紙パックを取り出した。
『素直になって良いんだぞ』
神野櫻の支配欲と母性愛が一緒くたになったような視線を思い出しながら、動物の血を口に流し込む。
胃の奥がざらつく。
吸血鬼は飢えていた――異常なまでに。
「神野、櫻」
正也の高校でその名を知らない者はいなかった。
昼休みの廊下を歩くだけで周囲の空気が張りつめ、自然と道が開く。
口を開けば、正しさと論理で誰も寄せ付けない。
「夢に、決まってる」
半年前、そんな櫻との初対面を思い出し――すぐにまた奥底にしまった。
「ねえ、あれ見て」
「え、なになに?」
そのとき、正也の耳に女子生徒二人の会話が飛び込む。
「あれって二年一組の妖木正也じゃない?」
「え、ほんとだ。猫背すごっ」
正也と一定の距離を保ちながら歩く女子生徒たちは、まるで珍獣を見るように口を滑らせる。
「一組の子が言ってたけど、喋ってるの殆ど見たことないって」
「いっつも俯いてるし、雰囲気恐いよね」
正也は聞いているだけ。ただ歩き続ける。
彼にとって陰口は、街の雑音のようなものだ。それに、
「いってーな。前見て歩けよ」
「……すみません」
昔のように誰かを傷つけるよりよっぽど良いと、そう思っていた。
正也はさらに深く俯く。それは心の痛みに耐えているようでもあったし、社会の理不尽さに不貞腐れているようでもあった。
「我慢、しなきゃ」
思い出す。恋しくなる。神野櫻の血の味。
「我慢」
封じ込める。暴力への欲と、“支配欲”。
「また力に頼るのか、クソ野郎」
まるで自分で自分を殴りつけるように、そんなことを呟いた。
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