6.仕事と再会
時刻は夜、太陽がほぼ沈んだ西の空が、まだ赤く焼け残っている。
そのため暗闇という程ではないが、強くはないものの雨も降っていた。
フィプリオは毒づきながら、ウルスと宿場町をさまよう。
「クソ、ついてねぇな……!」
「フィプリオ、どうする?」
「夜は邪神の眷属が出るから、街道には出られねぇ」
「僕がいれば何とかなるけど、まぁ夜は寝た方がいいからね」
「寝てる場合か! 隠れてやり過ごせる場所を探さねぇと……」
「なら、どこに隠れようか。
ここはそこまで大きな町じゃないから、やろうと思えばくまなく探せるように思える」
「そうなんだよな……適当な路地に隠れてもすぐ見つかりそうだ。
……どっか人のいない建物はねぇかな」
「見つかる危険を考えると、手分けはしない方がいいかな」
そして雨に濡れながら探すと、二人はしばらくして、打ち捨てられたであろう廃屋を見つけた。
二階建てのさほど大きくない民家だが、レンガ造りでそれなりの耐久性は残っているようだ。
こうした家は、通常なら空いたとしてもすぐに後釜が入ってくるか、勝手に住み着く者がいる。
だが、二人の見つけた物件は何らかの事情で、無人のまま放置されているらしい。
幸い、町の外れで周囲に人目はない。
ウルスが辺りを見回しつつ、背中の荷物を路地に下ろしながらフィプリオに言う。
「フィプリオ。剣になるから、二階の窓まで放り投げて」
「分かった」
頷くと、青年の姿は忽然と消え、後には剣と荷物が残った。
フィプリオは言われた通り、踏み固められた土の路地に落ちた剣を拾い、鞘ごと二階に向かって放り投げた。
すると剣は空中で剣を帯びたウルスの姿に戻り、器用に窓枠へと手足を突っ込んで取り付いた。
(……空中で逆さまになったらどうしようと思ってたんだけど、剣の時の向きは関係ねぇのか)
どうでもいい所に感心しつつ、フィプリオはウルスが窓板を取り外し、中へと入り込むのを眺めていた。
そして、玄関の扉が中から開錠され、開く。
「待たせた」
「はや……いや助かるけど」
ウルスに持たせていた荷物も持って足早に中へと入ると、彼女は暗さにややたじろいだ。
「おいウルス、中にランプとかねぇか?
圧火器ならあるから、火を付けてぇ」
「それらしいものはないね。それより、誰かに見つかるとまずい。扉と鍵を閉めて」
「あ、あぁ……」
扉を閉ざすと、中は完全な暗闇になってしまった。
そこに、ウルスの声がする。
「フィプリオ、両手を前に出して」
「……こうか?」
言われるままに手を上げると、ウルスがその手を握ってくる。
先ほどまで一緒に小雨に打たれていたとは思えない、暖かい手だ。
彼女は動揺して、声を出した。
「いやお前、何して……」
すると、ウルスが彼女に、何かを手渡す。
剣の柄だ。
彼はフィプリオの手の上から包み込むようにそれを握らせると、続けた。
「今、剣になるから、鞘から抜いて欲しい。暗いから気を付けて」
「え、何で今……?」
「いいから。明るくなる方法だ」
「わ、分かった……」
「それじゃ、行くよ?」
すると、剣からわずかな反動が伝わってくる。
ウルスが剣の姿になったのだろう。
その証拠に、フィプリオの脳にウルスから直接、音ではない声が届けられていた。
(鞘から抜いて。
抜いたら、両手に力を込めて、周りが明るくなった様子を想像してみて)
「お、おう……」
やはり言われるままに、彼女は剣を鞘から抜いて、両手で正眼に構える。
そして、周囲が明るくなる様を思い描きながら、手に力を込めると。
「うぉお……!?」
『涙の剣』の刃が光り輝き、フィプリオとその周囲を照らし出していた。
まるで先日遺跡で失った『女神の灯火』のようだ。
フィプリオは粗末な作りの家の奥へと歩きながら、口にした。
「お前……こんなことできるなら最初から言えって……」
(家に入る前に言っておけばよかったね。
こうやって光っている状態なら、夜の間も邪神の眷属があまり寄って来ないようになる)
「へー……てことは」
フィプリオは、思い当たったことをウルスに言った。
「これがありゃ、多少無理して夜の間に街道を進むこともできるんじゃねぇか!
そういうお役立ち情報はもっと早く言え、早く!」
(夜は寝ないと体に悪いよ)
「こんなカビ臭せぇ空き家に忍び込んで寝るよかマシだわ!」
(まぁまぁ。ただちょっとね、不便な点としては……
君の身体が剣に接触していないと、光はすぐに消えてしまう。
このまま壁に掛けておくことはできないので気を付けて)
「わーったよ……畜生。一応中を確認して、さっさと寝る」
フィプリオは『涙の剣』の刀身を発光させたまま、家の中を探した。
ウルスが気づかなかった“同居人”がいないとも限らないからだ。
とはいえ、探した限りではそうした相手は見つからなかった。
床を踏んだ感触では、隠し地下室などがあるわけでもないようだ。
最後に食事用だったらしい卓を、積もった埃が舞い上がらないように慎重に払う。
フィプリオは荷物から薄手の毛布を取り出し、食卓の上に寝転がった。
転がり落ちた時に危険だが、ベッドはダニが多そうなので避けたかった。
眠る準備をして、剣を鞘に仕舞うと、暗闇の中でウルスに語りかける。
「売っぱらったあの馬、馬喰のオッサンが『大地の同盟』のものだとか言ってたの、覚えてるか」
(うん)
「お前は知らないと思うけど、『大地の同盟』ってな、まぁ、新宗派ってやつでな――」
フィプリオは、現代の事情に疎いウルスに説明を始めた。
――『破局』以前より、帝国では女神信仰が主流だった。
女神とは邪神を打倒し、その肉体を以て大地を作り出した、主神といってよい存在だ。
現代の帝国や、帝国から分裂したほかの国々でも、人々は程度の差こそあれ、ただ一人の女神を敬い、重んじている。
だが、『大地の同盟』はそこに加え、邪神も敬うべきだと説く点で異なる。
通常は女神に征服された悪役である邪神を『
これは、登場初期には帝国から排斥を受けた。
ただ、同盟は女神を貶めることは決してなかったため、さほど苛烈な弾圧とはならず、せいぜいが特定施設の利用禁止(広場を『大地の同盟』の名義で使うことが認められない、など)や、納税に関する懲罰的措置(他の教会よりも多く納めなければならない、など)に留まった。
その程度では『大地の同盟』の勢いは止まらず、同派は地道な布教活動で勢力を拡大していった。
結果、今では帝国の協力団体として優遇措置すら受けている。
古代遺跡の調査活動の一部を、帝国から委託されてもいるという。
それがたまたま、フィプリオの掘った穴を見つけるに至ったのだろう。
「ともあれ、連中はまぁ多分、『大地の同盟』で間違いねぇだろうな。
あいつら植物モチーフが好きらしいから、袋のボタンや馬の焼印がそうだったのも納得がいく」
(なるほどね……なら、帝国に入り込んだ邪神信仰者が敵ってことか)
「……何か、言葉から殺意を感じるんだが」
(彼らは邪神が生み出した眷属のことはどう説明してるんだろうね)
ウルスが言っているのは、『邪神の眷属』のことだ。
人間や動物のように動き回りはするが、人間に敵対的で、明らかに異質な特徴を持つ一群を指す。
怪物、といってもいいだろう。
そのほとんどが夜行性で、日の光を嫌う。
「眷属は……何て言ってたかなぁ。
人間がそう呼んでるだけで無関係、っていう主張だったような」
(そんな筈ないと思うけどね……人だけじゃなく、獣も魚も虫も、女神の加護を恐れない。
それを忌避するのは、邪神の眷属だけだ)
「まぁその辺はいいだろ。とりあえずそういうことで、俺はもう寝るから」
(わかった。おやすみ、フィプリオ)
「んー」
そう言って剣から手を離そうとすると、ウルスが再び語りかけてきた。
(ごめんフィプリオ、言い忘れてたんだけど)
「……何だよ」
気になって促すと、彼は言った。
(僕の声が頭に直接聞こえる時は、声は出さなくて大丈夫だよ。
触れていれば、君も考えるだけで僕と会話することが出来る)
「そういうことはもっと早く言えっつんだよ!!」
翌日、やや心もとない路銀を手に、二人は街道を更に東へと向かった。
* * *
目的地は、東に二つ分離れた宿場町だ。
徒歩で旅をする場合の常識ではあるが、街道沿いの町は概ね、長くとも朝から歩けば夕方には次に到達できる距離にある。
フィプリオたちが進んでいる街道は宿場町同士の間隔がやや狭く、健脚であれば二時間も歩けば次の宿場町に着くことが出来た。
だが、隣の町程度の距離ではまた昨日のように、いずこかの隊長に遭遇する恐れがある。
(ウルスに負わされた足の傷も完治していないだろうに、勤勉なこった……)
そうした理由で、二人は二つ先の宿場町を目指していた。
歩きながら、ウルスが尋ねる。
「『大地の同盟』のことだけど、どうするフィプリオ?
次の町に関係者がいたら、接触してみるかい?」
「うーん……しかし、連中が名乗らなかったのが気になるな。
普通なら『帝国の協力団体です、遺跡荒らしの
「やっぱり遺跡荒らしだったんだ……」
「うるせぇ今それは本題じゃねぇんだよ!
……ともかくあいつら、街道で襲ってきた時も名乗らなかったよな。
もしやとは思うが、帝国にも内緒で疚しいことしてたりするんじゃねぇか?」
「それを調べる気? どうやって?」
「……一応ツテが、無くはない」
「伝手って?」
「いやぁ……その……」
フィプリオはやや口ごもってから、ウルスに視線を合わせないようにして言った。
「ちぃっとばかし……ややこしい話になるけどいいか?」
「構わない、教えてくれ」
「……何から話したもんかな。えーと、まず俺が生まれたのは――」
「え、そこから……?」
彼女は気が進まないながら、歩きつつ説明した。
フィプリオは、帝国の地方長官――実質的には貴族だが――の夫婦の元に、長男として生まれた。
地方長官の子女として相応のエリートに向けた教育を受け、フィプリオは貴族の子弟として、各種の技能や見識を身につけて育った。
馬に乗れることや、歴史の知識が豊富なのはその一端といえる。
『大地の同盟』について知ったのも、その頃のことだ。
そうした彼は成人すると、その地方長官が帝国において従事している事業にも参加するようになった。
事業とは『女神の遺産』の発掘を指し、そして女神の遺産とは多くの場合、破局以前の『古典期』――ウルスの生まれ育った時代に製造された武器を意味する。
これは現在では巫女の死滅により製法が失われた強力な武器であり、千年以上の時を経てもなお良好な保存状態で残っていることが多い。
より多くの遺産を発掘し、使用法を解明すれば、邪神の眷属をより効率よく駆逐し、また国同士の勢力争いにおいても優位に立つことが出来る。
そのため女神の遺産の発掘と調査は、極めて重要な国策事業であった。
フィプリオは、そのような事業に助手として――そして将来的には地方長官である父の後を継いで――携わる立場となっていたのだ。
発掘事業を手伝う傍ら専門知識を吸収していき、そしてある日彼は、姿を消した。
発掘調査に用いる『女神の灯火』『女神の音叉』と共に。
「……何で?」
説明の途中、ウルスが思わずといった調子で口を挟むと、フィプリオは目を逸らしつつ釈明した。
「……もったいねーなって思って……」
「何を?」
「兵器に使えるような女神の遺産なんて、そうそう出たりしねぇんだよ。
未発掘の遺跡を20か所見つけて、1か所あるかどうかだ。
まぁ当たりゃあデカいんだけど……」
「それで?」
「遺跡を掘り当てても、兵器以外の出土品の方が圧倒的に多いんだ。日用品とか美術品とか……
帝国はそういうのは、ごく一部の研究用以外は記録だけして売っ払っちまうの!」
「つまり君は、そうして帝国に入る収入の一部を自分のものにしたくなったと?」
「………………うん」
「そうか、そうか……つまり君はそんなやつなんだな」
「悪かったって! 反省してるから! 元に戻ったら足洗うから!」
「で、話を戻すと……」
彼女が勢いで心にも無い反省を口にすると、ウルスは話題の軌道を修正してきた。
「つまり彼らは邪神信仰者で、帝国に黙って自分たちが占有するための女神の遺産を手に入れようとしている?
君の伝手っていうのは、つまりお父さんである地方長官ってこと?
実家を私欲で裏切っておいて頼るのはどうかなぁ……」
「だから悪かったっつってんだろ!」
フィプリオは抗議しながら、まとめた。
「まぁ、だから、だ。
いきなり『大地の同盟』の支部とかに行って、お前らの持ってった『復原の秘宝』を寄越せ、つってもくれるわきゃねぇ。
こうなったら実家に戻って、事情をイチから説明する。親父は地方長官だから、うまく行きゃ何とかしてくれる!」
「うまく行けばいいけどね……
でも君、今の姿で戻って出奔した息子だって訴えても、頭おかしい扱いされるだけじゃない?」
「そこはお前……お前も証言手伝ってくれりゃイケるだろ。
なんせ古典期に生きてた本物の古代人で……女神の戦士様だぞ」
「君が女になったと納得してくれたとして、君は女神の遺物を盗んで
許してもらえる? 元に戻るために手間をかけてくれるかどうかはだいぶ怪しくない?」
「このまま女でいるよりは労役の方がマシなんだよ! 親父に頭でもなんでも下げてやらぁ!」
「……まぁ、罪を償う気になったならいいことだ。
そういうことなら僕も手伝うよ」
「てめぇ――」
その言葉に反感を覚えて言い返そうとすると、そこに背後から悲鳴が届いた。
「誰かっ! 泥棒ーっ!」
フィプリオが後ろを振り向こうとすると、ウルスが既に動いている。
彼女にはまだ見えていなかったが、若い男が、高級そうな女物の鞄を抱えて走ってきていた。
ウルスは素早く姿勢を下げて、横に向かって足を突き出す。
「!!」
それを飛び越えようとした男が、両足を地面から離した一瞬の間。
ウルスは残ったもう一方の脚力だけで飛び出し、たくましい両腕で男の衣服を引っ掴んだ。
「ていっ」
相手の勢いを遠心力に変えて殺し、ウルスは男をその場に転倒させた。
自重で地面に背を打ち付けて硬直した相手の片腕を両手で掴み、更に両脚の間に挟んで固定する。
両足は相手の首元から胸部にかけて伸ばすと、二人は十字のように地面に転がる形となった。
「ぐぉおおお……!」
うめく男に構わず、ウルスはそこへ駆け寄ってきた若い娘に声をかける。
「君の鞄かい?」
「そうです、ありがとうございます……!」
フィプリオは、転倒した男が放り出した女物の鞄を拾い、彼女に渡す。
「ほい」
「あ、ありがとうございます」
「……!?」
フィプリオはそこで、自分がその娘を知っていることを確信した。
ただ、女になって声も造作も全く変わっているので、相手に気づかれていない。
彼女はその娘に、意を決して声をかけた。
「なぁ、ハウカ! ハウカだろ!?」
「え……!?」
娘は驚いて、一歩引く。
彼が屋敷を出奔した時よりも大きく成長しているが、間違いない。
ハウカが不信感を顔に出して、誰何する。
「あの、どなたですか……?
どこかでお会いしたことが?」
彼女は、フィプリオの妹だった。
地方長官の令嬢なのだから、一方的に自分を知っている相手にそうした態度に出るのは当然だ。
フィプリオは
「あ……あの、俺……こんな姿になってるけど、フィプリオなんだ!
フィプリオ・クラルキ! 兄ちゃんだ、分からねえかも知れないけど……
頼む、助けてくれ……!」
「え、フィプお兄ちゃん……!?」
そこへ更に、遠くから声をかける者がいた。
「おーい、ハウカー!」
「!?」
その声を聴き、更に通りを走ってくる男の姿を見て、フィプリオは再び驚いた。
端整な顔立ちの穏やかそうな青年が、こちらへ走ってきて礼を言う。
「ありがとうございます、ひったくりを抑えてくださって」
それは彼女の弟、レイクスだった。
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