4.秘宝と恐怖

 昼下がり、手に入れた馬に乗りながら、フィプリオは我慢していた。

 一時間ほど進んで、尿意が迫ってきたのだ。


(宿でしたはずなんだけどな……)


 これまで女になったことの無いフィプリオには思いもよらないことだったが、尿道の長さや膀胱ぼうこうの容積の関係で、女は男よりも排尿が近い傾向にある。

 彼女は自分の乗っている馬が、歩きながら街道にぼとぼととふんを落としていく様子を見て、羨望せんぼうを覚えていた。


(クソ、畜生はいいなぁ……誰にも咎められずに野グソが出来てよぉ……)


 どこか、人目につかずに用を足せる場所はないか。

 しかし街道は開けており、木立の一つもない。


「――!」


 いや、やや前方に、ちょうど一人用の公衆便所があった。

 成人一人が入れる程度の、やや背の高く狭い小屋だ。

 街道沿いに整備されているもので、ここで排泄された屎尿しにょうを近隣の農民が、堆肥たいひの原料として回収していく制度になっている。

 彼女は馬を引くウルスに声をかけた。


「おいウルス、ちょっとあそこ……便所に行きてぇんだけど」

「え……あれってトイレなの?」

「そうなんだよ、ちょっと悪りぃけど漏れそうだから……寄ってくれ」

「分かった」


 そうして二人が近づくと、公衆便所の外壁がばくりと割れて、四方に倒れる。


「は――!?」


 屎尿の貯槽ちょそうが置かれているはずの下段部分も同様に割れて、その中から人間の集団が現れたではないか。

 数は五人以上、全てが成年の男と思われた。


「おっと」


 ウルスが徒歩のまま手綱を操り、驚いて動かないよう馬をぎょす。

 一方ぐるりとこちらを取り囲むように動く彼らは――数えると、八人――ほぼ全員が剣で武装していた。

 リーダーと思しき一人が、声を発する。


「身ぐるみ置いて逃げりゃあそれでいい。

 命までは取りゃしねぇ!」

「フィプリオ、馬を頼む。

 なるべくその場から動かないで」


 ウルスはそう言って、素早く馬から離れて剣を構えた。


「お、おう」


 恐らく公衆便所は偽装で、野盗の類が旅人をおとしいれようとしていたのだろう。

 フィプリオはうなづいて、馬が驚いて走らないよう手綱を握った。

 一難去ってまた一難、一体どうなっているのか。


(どう見ても数で有利だから、何言っても向こうが引くはずはねぇ……

 だがまぁ、ウルスなら大丈夫か)


 乗馬は多少の心得があったが、騎乗戦闘までは経験がない上、武器もない。

 先ほどウルスの捨てていった鉄管があればよかったか、などと考えるも、過ぎた話だ。

 危険なので、加勢は止した方が賢明だろう。

 それよりも――と、彼女は重大な懸念を思い出していた。


(やっべ……ションベン!?)


 尿意はかなり高まっていた。


(ていうか便所が偽物だったってことは、ここには便所ねぇってことじゃねーか!?)


 恐るべき事実に気づき、フィプリオは戦慄した。


「ぐぉッ!?」「ぶっ!?」


 剣でウルスに切りかかった二人の男が、彼の反撃で蹴り飛ばされる。


「う、ウルスー……

 そんな連中はよ蹴散らせー……」


 必至で手綱を握りながら、彼女は馬上で前かがみになってウルスを応援した。

 結果――

 ウルスは少々時間を食ったものの野盗を壊滅させ、フィプリオは苦闘の末、何とか本物の公衆便所にたどり着いて用を足すことが出来たのだった。


(よ、良かった……

 女になった上に漏らすとか……恥ずかしすぎて死んでしまう……!)


 しゃがんで放尿する要領を掴むのに、多少苦戦したが。


* * *


 日が沈みかけた頃、フィプリオとウルスは次の宿場町へと辿り着いた。

 部屋の空いている宿屋を探し、そこに部屋を取る。

 取ろうとしたのだが、そこで小さな問題が生じた。


「ダブルひと部屋空いてます?」


 フィプリオがカウンターでそう尋ねると、後ろからウルスが言う。


「ふた部屋取ってもらえないかな?」

「何でだよ……」


 尋ねるフィプリオに、ウルスは彼女の肩を軽くたたきながら曖昧に答えた。


「いや、だってさ……あ、すみません、ちょっと二人で話したいことが……」

「何なんだよ……」


 ウルスに強引に引っ張られてカウンターを離れると、入口の隅で彼が耳打ちする。


「今の君の身体は女になってるから……内心がどうあれ同じ部屋はどうかと思うんだよ」


 フィプリオはその仕草にややたじろぎながらも、反論した。


「俺は気にしねぇよ。それともお前、男イケるクチ……?」

「そういうわけじゃないけど……僕の心情的に」

「そんな贅沢いってられる金はねえんだよ。お前現代の金銭感覚ねえだろ?

 こういうのは俺に任せとけ」

「うーん……まぁそこまで言うなら……」


 競り勝ったフィプリオは、カウンターに向かって人差し指を立てて言った。


「つーわけで、ダブルひと部屋で」


 二人は代金を支払って鍵を借り、荷物を持って該当の部屋へと上がっていった。

 部屋に入って互いに荷物を置くと、フィプリオは椅子に腰かけて一息ついた。


「ふぅ……」


 そして、ウルスに対して聞きそびれていたことを訊ねる。


「なぁ早速いいか。そもそもの話、何で俺、女になってる?」


 ウルスはベッドに腰かけながら、答えた。


「恐らくは僕を――この剣を身に帯びたからだろう。

 『涙の剣』という名前は言ったっけ?」

「名前はどうでもいいけど……持った相手を女にする剣?

 意味わかんねぇんだけど。

 そもそも何でお前は男のままなんだ?」


 眉根を寄せるフィプリオに、ウルスは怯まなかった。


「僕はこの剣と一体化しているから、そもそも影響を受けないようになってる。

 この剣を作った人は、『この剣を受け継いだ者が、巫女の力を受け継ぐようにする』と言っていた。

 女神の巫女の力だ」

「え、じゃあ俺、女神の巫女の力を……?

 受け継いじゃったってコト……?」


 女神の巫女とは、古代に実在したとされる、女神と人間とをなかだちする女たちの名だ。

 『神託』を読むことができ、更にそこから『女神の遺産』を作り出すこともできる。

 だが『破局』の際に彼女たちは死に絶え、現代には一人として存在しない。

 フィプリオの習った歴史では、そうなっていた。

 ウルスが、説明を続ける。


「だが同時、彼女はこうも言っていた。

『力だけを受け継がせるのは難しい。肉体も同じに変えてしまうのが都合がいいんだけど』と。

 多分、その機能がこの剣にはあったんだ。

 所有者を女神の巫女と同じ顔形に変えて、力を受け継がせる機能が」

「え……じゃあ俺の顔ってこれ、古代の巫女さんの顔なのか……?」

「そういうことになる。実際、この剣を作った人とそっくりだ」


 フィプリオはそれを聞いて、言いたいことを口にした。


「……んじゃ結局、俺が女になってるのはお前を手に入れたせいってこと?」

「僕の意図したことではないけど、因果としてはそういうことになると思う」


 彼女は少し考えて、再び尋ねる。


「……お前を売っ払えば解決?」

「既に力は受け継がれてしまったから……売却では解決しないと思う」

「お前をつぶせば解決?」

「やめてくれ……それで戻らなかったらどうするの」

「戻し方知らねえのかよ!? 俺のチンコ返せーッ!!」


 フィプリオが椅子を立って掴みかかると、ウルスはそれをやんわりと宥めながら言った。


「……君が元に戻る方法に、心当たりがないわけじゃない」

「何だよ言ってみろ」


 手を放して促すフィプリオに、襟首を正しながらウルスが答える。


「アポカタスタテス、というものがある」

「アポカ……?」


 聞きなれない響きに戸惑っていると、彼は続けた。


復原ふくげんするもの、という意味だ。『復原の秘宝』、といった方が分かりやすいかな。

 それを使えば、あらゆるものを元の状態に戻すことが出来る」

「俺も男に戻れる?」

「その筈だ。何せ元は、人類が滅びても復活させられるように備えるためのものだからね」

「何かすげえ話になってきたな……そんなもん俺一人に使えるのか?

 使ったら全人類が赤ん坊になったりしねえ?」

「巻き戻す範囲は自由に決められるから、君の肉体を元に、そして受け継がれた巫女の力を僕に戻すこともできるだろう」

「んじゃまぁそれが第一候補として……どこにあんだよそれ」

「……僕が預かっていたんだが、あの遺跡に置いてきてしまった」

「え、もしかしてあの金色の箱みたいなやつ……?」

「うん」

「俺のチンコ返せーッ!!」


 再び食って掛かるフィプリオに、ウルスは閉口を見せつつ提案する。


「いや、だから、あそこに取りに戻れば……」

「あの連中が持って行ったに決まってんだろ!?

 それよかアレだ、呪いを解くとか、そういう『女神の遺産』はねえのかよ!」

「君がその姿になったのは呪いとかではないから、たぶん怨念を取り除く類の道具は効果が無い……」

「クソ……他に何か聞いてねえのか、その剣を作った巫女から!?

 間違った相手に力を受け継がせてたら意味ねえだろ!?」

「それはそうだね」

「ミスった時にやり直しする方法とかねぇの!?」

「本来なら剣と一体化した僕が、相手を見定めるはずだったんだけどね……

 長いこと剣のままでいたせいか、多分意識を失っていたんだと思う。

 剣のまま長時間経つと意識がどうなるかは、時間が無くて検証してなかったんだ。そこはごめん」

「俺がドのつくレベルの悪人だったらどうする気だったんだよ!」

「もし悪しき人間に誤って力を受け継がせてしまったら、殺すことで力を回収するということになっていた。

 それを判断するのも僕の役目だった」

「お……俺は、殺さないでください……」


 食って掛かっておきながら急に委縮いしゅくするフィプリオに、ウルスは変わらない調子で告げる。


「女神の壕に忍び込んだ罪はあるけど」

「あ、いや……悪いことしようとしてたわけじゃなくて……」


 慌てる彼女を落ち着かせるように、彼は続けた。


「今のところ力を悪用する気はないようだし、返上できるならするつもりでもあるようだから、殺したりはしないよ。

 君も被害者ではあることだし」

「……ならいいけどよ……」


 安堵しつつもフィプリオは、自身がすぐに戻れる当てが無いことに苛立ちを覚え直した。

 彼女は椅子を立ち、部屋の入り口に向かった。


「……ちっと外に出てくる」

「一人は危険だ」

「一人になりてえ気分なんだよ!」


 声を荒らげると、フィプリオは部屋を出て扉を閉めた。

 階段を下りて、宿の外に出る。

 多少は慣れたはずだったが、彼女の今の身体は、男だった時よりもやや小さくなっている。

 そこにサイズの合わない服と靴は、やはり少々動きづらい。


(金も心許ねぇから全身ブカブカのまんまなんだよなぁ……

 金は何とかしねえと。盗掘はなぁ……『女神の灯火』も『音叉』も遺跡に置いてきちまったし。

 ウルスの野郎が近くにいるんじゃ、下手に遺物を売っぱらうなんて言ったらマジで殺されるかも知れねぇ……

 クソ、また書記や写本の日雇いでちまちま稼ぐのかよ……)


 外は日が落ちて暗く、女の一人歩きは大いに危険を伴った。

 が、自身が女になった自覚を欠くフィプリオは、そのまま宿を離れ、路地を歩いて行く。

 そこで、彼女は背後から羽交はがいめにされたことに気づいた。


「あっ、な――!?」


 強い力だ。女になって筋力の低下したフィプリオでは、振り解けそうにないほど。

 彼女は恐怖で、体が動かなくなるのを感じていた。


(う、嘘だろ……!?)


 フィプリオは男のものらしい荒々しく湿った吐息を浴びながら、脅え怯んだまま路地裏へと引き摺り込まれていく。


(ぁ……ぁ……!?)


 靴が脱げる。視界が涙で霞む。

 身体が自分のものではなくなったかのように、声も出せない。

 ネズミの糞やごみの溜まった路地裏の地面へと転がされて、ようやく男の姿が――暗がりでよく見えないが――目に映った。

 それが彼女の肉体を狙った犯行であると思い至った時、フィプリオの上着はボタンをちぎって前を広げられた。


「ハァ……ハァ……!」


 更に肌着を捲り上げられると、露出した乳房がこぼれるように揺れる。


(やめろ、俺は男――!?)


 恐怖で舌も満足に動かせないが、彼女はそう抗議したつもりだった。

 何とか相手を引き剥がそうと手を動かすが、今度は首を絞めつけられてしまう。

 気道が狭まり、苦悶の声が漏れる。


「が……!?」

「し、死にたくなきゃ大人しくしてろ……!」


 人の形をした獣が、声を発した。

 フィプリオは恐怖のあまり、股間が生暖かくなるのを感じていた。

 まさか、失禁したのか。

 恐怖に恥辱が加わりまともな思考ができなくなった彼女が、何もかも諦めようとしたその時のこと。


「げひゅっ!?」


 その背後から力強い腕が伸びて、男の首を締め上げた。

 暗がりに加えて涙の滲んだ視界ではっきりとは見えなかったが、怒りに染まった声には聞き覚えがあった。


狼藉ろうぜきを……!」


 ウルスだ。

 古代の剣士が恐るべき筋力で、男の首を絞め上げている。

 男の足が地面から離れるほどだ。

 首を折るつもりか、ウルスには力を弱める気はないようだった。


「お前たちのような、邪神の眷属じみた連中が……!」


 その怒気に、フィプリオは彼が殺人を避けるつもりがないことを感じ取った。


「お、おい待てって! それ以上やったら死ぬぞそいつ!?」


 彼の肩を軽く叩きながら告げると、ウルスの腕がわずかに緩む。


「……しかし……!」

「殺したら大ごとになっちまうよ! 悪りぃけどここは、な?

 なぁウルス……!」


 頼み込むようにそう言うと、彼は腕を解き、相手を投げ捨てるように放り出した。

 そして剣を抜き、咳き込む男に切先を突きつける。


「死にたくなければ逃げ失せろ。二度と彼女に近づくな」

「ひ……!?」


 よろめきながら、男は路地裏の奥へと逃げていく。

 その姿を見届けて、ウルスは剣を鞘に納め、言った。


「すまない、少しやりすぎた。騒ぎになる前に宿に戻ろう」

「あ……その」


 フィプリオはボタンの無くなった上着を抱き寄せながら、素直に感謝を口にした。


「ありがとう、助けてくれて……」


 だが、ウルスは彼女から目を逸らしながら告げる。


「当然のことだ。それより君は一人で出歩かず、最低でも剣になった僕を帯びていてくれ。

 僕が傍にいて、窮屈な思いをさせるかも知れないけどね」

「……わかった」


 彼は腰のベルトを外して赤い上着を脱ぎ、それをフィプリオの肩に掛けた。

 彼の体温や体臭がほのかに感じられ、彼女は強い安堵を感じて陳謝する。


「わ、悪りぃ……」

「いいんだ。痛むところは無い?」

「絞められた首がちっとだけ……まぁ大丈夫だろ、けほっ」


 小水で濡れた股間が冷えるのを感じつつ、フィプリオはウルスに伴われ、靴を履いて足早に部屋に戻った。


(クソ、漏らさねぇと思ってたのに……)


 恐怖で失禁する羽目になるとは、想定外だった。

 そして、その夜更け。


(やべぇ……おっかなくて寝れねぇ……!?)


 力づくで犯されかけた生々しい記憶に脳が染まりきっており、彼女は震えていた。

 それどころか、自分が隣のベッドで眠っているウルスにじっと視線を向けていることに気づき、狼狽する。

 まさか、自分は彼と床を共にしたいと感じているのか。


(冗談だろ……!?

 狂ったのか俺は……!?)


 煩悶と恐怖の記憶がない交ぜになった複雑な心地のまま、彼女は眠れぬ夜を過ごした。

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