第8話 黒竜の騎士
「…団長がネックレスをフラナさんに贈ったって本当ですか」
街の上空を飛翔するラン達を見て街の人達が幸運を予感していた一方で、竜舎で帰らぬ団長達を待っていたマイルはどんよりしていた。
「何処の情報だ?」
イルとフラナが二人で出かけてから、ランは食事を運んでもなかなか食べてくれず、普段温厚なだけに竜舎は大変だった。
時間の経過と共にランが暴れ出し、鎖を外せと鎖を破壊しようとしたので、副団長は仕方なくランの鎖を外して、イルの元へ向かっているのであろうランを追い、合流後はそのまま帰還したので、何の情報も得ていなかった。
「街に買い出しに行ったら、竜騎士団長についに恋人現る!相手は何と初の女性の竜の世話人!!ネックレスも贈る仲!!!って、もう大盛り上がりでしたよ。団長も案外やる時はやるんすね…」
イルはフラナに対して明らかに好意を持っているだろうが、肝心のフラナはどうだろうか。
ランの事は間違いなく好きだろうが、人に対してどういう感情を抱いているのかは分からない部分があった。
今噂で大盛り上がりの街の人達も、ランの事は敬ってくれているが、あくまでイルという竜騎士団長の竜という位置づけだろう。
だが、フラナの中では、ランの相棒の竜騎士団長。であろうから、その差は大きいと感じる。
「…まだ恋人同士ではないから安心しろ」
こいつを慰めるの面倒くさいな、と思いながら副団長は適当にマイルをなだめて、竜達に夕食を渡す時間だと促して仕事へ戻った。
城下町では竜騎士団長に待望の恋人が現る!との話題で盛り上がる中、竜舎は比較的ゆっくりした時間が流れていた。
「お気をつけて、ご武運を」
ランと出掛ける際にフラナがそう声を掛けてくれるようになったのは、イルが他国で襲撃で合った日以降からだ。フラナにとっては初めての戦場だったかもしれないし、そういう環境を見る事で心境の変化があったのかもしれない。
「…ラン、見送ってもらえるというのは良いものだな」
今までも団長が出陣するのだから、当然部下達に見送られてきたが、やはりこうして女性に…いやフラナに見送ってもらえる事がイルにとって特別だった。
「皆さん行ってしまいました」
竜騎士達はそう遠くへは行ってないが、この国のあちこちに分かれて、竜に効く薬の材料の採取に行ったり、石造りの建築の手伝いへ行ったりと、内容も戦うものだけでなく様々だった。
竜達がいない時は黒竜の体をくまなく調べてから掃除するのが最近の流れだ。
竜舎は広大なので掃除するのも一人ではとても一日で終える事は出来ない。
今日は、竜達がいないので普段他の仕事を行っている者達も時間を融通しながら来てくれてるので、皆で協力して、竜達が過ごし易いように掃除をして一日が終わっていこうとしていた。
「あの方は…?」
竜舎へ知らない男性が近付いてきた。その足取りは怪我でもしているのか、たどたどしいものだった。
「!もしかして…」
それはただの勘でしかなかったが、近付けば近付く程に男性が包帯だらけであるのが視界に入る。竜騎士以外の兵士達も無暗に竜舎へは入らない。
「これは…?」
それなのに、惑う様子もなく向かう人の視線は、冬眠してしまった黒竜へと視線が注がれた。
「どういう事だ………」
足を引きずりながら彼は、冬眠してしまった黒竜の元へ少しでも早く行けるようにとその足を進める。
「黒竜さんの騎士の方ですか?」
ずっと意識不明の危険な状態が続いているとイル達から話は聞いていた。
「お前は誰だ」
見覚えのない女が竜舎にいて、男性は睨みつけてきた。
「フラナと申します。竜の世話人として此処で働いております」
フラナは慌てて、自分の名前と今の自分の職を名乗った。
「女の世話人?」
世話人に女性がなるのは初めてだったと聞いたから怪しまれているのかもしれない。
「…黒竜さん、少し前に突然冬眠してしまって…」
見知らぬ女に警戒していた男は、その言葉で我に返った。
「俺はずっと寝ていたのか?」
あの日、皆が他国に行ったり、自国にいても遠い地で任務にあたっていた時、城の守り人と竜としての任をアルクは担っていた。
実際、アルクはたった一人で多くの敵襲から城や国民を守り、他の竜騎士が戻るまで多大な活躍を見せた。
しかし、当の本人は連続した戦いに傷つき、意識が朦朧とする中で副団長と竜が戻ってきたのが見えて、それで安堵したのかそれ以降の記憶がなかった。
黒竜も傷を負っていたはずだ。それで目覚めたばかりで癒えていない身体を無理に起こして此処までやってきたのだ。
「…私はまだこちらに来てから三か月くらいなので、正確な時期は分からないですが、三か月以上は意識が戻らないままだったのではないかと思います」
月日がどれ程流れているのかも理解せずに、とにかく相棒である黒竜に会いにどうにか此処までやってきたのに、黒竜は動かなくなっていた。
「私が此処へ来た時には黒竜さん怪我はしてなく元気でした。でも一ヶ月前くらいに突然冬眠されてしまって…」
黒竜を見ても怪我している様子はなかった。しかし、三か月も経過してるのであれば当然かもしれない。
竜は人よりも回復が早いから命さえ失なわなければ、傷が残るような事もないはずだ。
「一ヶ月も動かなくなっていたのに随分と綺麗だな。あんたが世話してくれていたのか?」
フラナは冬眠してから毎日新しい怪我が出ていないかを確認して、黒竜の大きな体を拭い、冬眠中は外気の影響はほとんど受けないと言われても、竜用の寝具をかけたりしてきた。
「………世話人としての仕事をしていただけです」
こんな時に何て声を掛けたら良いのか分からなかった。
「怪我は治ったようで良かった…。長い事、一人にしちまったんだな。悪かった。でも、何でもう少しだけ俺を待っていてくれなかったんだ?」
副団長が知るかぎりでは、冬眠した竜は冬眠したままの竜もいれば、冬眠から目覚めた竜もいるとの事で、黒竜がどうなるのかは誰にも分からない。
「どうしてだ…」
自国が襲われて無我夢中で戦って、ある日起きたら、世界は三か月以上の月日が流れていて、黒竜は冬眠しているなんてそんな地獄のような話があるだろうか。
「起きろ!起きてくれ!!」
黒竜にしがみ付きながらアルクは叫んだ。
「アルク!?目が覚めたのか?」
其処に副団長が竜と共に戻ってきた。
「待ってください!」
アルクに駆け寄ろうとした副団長をフラナは引き止めた。
「…カル?」
黒竜の相棒であるアルクとフラナには分かった。黒竜が短い眠りから覚めた事を。
「一人にして悪かった。これからは一緒だ」
ゆっくりと黒竜がその頭を上げ、数ヶ月ぶりの相棒の姿を確認した。
「…あんまり騒がしくするなよ」
黒竜は城中に響きそうな咆哮をあげた。その声で城の者達の多くは冬眠してしまったという黒竜が目覚めた事を知った。
「どちらも無事で何よりだ」
まぁ、一人は無事とは言い難い状態だが、目が覚めて此処まで来れたのだから峠は越えたと言っても良い。
しかし、黒竜の目覚めを知り城内の医師が竜舎を訪れて、重傷のアルクにはすぐ療養が必要だと遠くから声を掛けた。
「もうしばらくカルといる」
そうアルクは駄々をこねたが、命に関わると言われて、副団長が説得して医師の診察を黒竜とは少し離れた所でするという事で決着がついた。
診察の結果、目が覚めただけでまだまだ傷は癒えておらず療養が必要である事、竜への騎乗厳禁。との強いお達しが出た。
「アルク!目が覚めたんだな、それに黒竜も戻ったか」
イルも合流して、医師からの通達をイルにもきっちりと認識してもらう為に報告する。
「帰っても寝てるだけだし、しばらく此処にいる」
安静第一としつこいくらいには言われたので野宿の時のように黒竜に身を預けて、そのまま寝ようとするアルク。
「黒竜さんずっと寂しかったでしょうから、それが良いですね。私も残りますし」
竜の世話人にフラナがなって早いもので三か月程度。ほぼ竜舎で寝泊まりしていた。
「!だ、駄目だ!!男女で夜を過ごすなんて認められん!!」
距離はあったとしても、一日フラナとアルクが一緒にいるのはよろしくない。
イルはそれには断固として反対した。
「日中は医師からの許可が出る範囲でなら良いが、寝泊まりは禁止だ。夜にはちゃんとベッドに戻り、療養に勤めろ。これは命令だ」
多少の私情も入ってはいるが、野宿のような状況で眠りにつくことが療養に繋がるとは思えない。竜舎の近くの部屋を貸し出す事でアルクも渋々了承した。
「きちんと休まないと、黒竜にも乗れないだろ」
そう言われるとアルクにも言い返す事が出来なかった。
「フラナ嬢も、たまにならとにかく、毎日竜舎で寝泊まりするのは控えてくれ」
一方、団長からも副団長からも何度も何度も言われていても繰り返してるのはフラナだった。
「でも、アルクさん寝る時以外は竜舎にいるなら、フラナさんと二人きりになる機会も凄い多いですね。強力なライバル現れる!です」
まだフラナの事を完全には諦めてはいないマイルは、アルクが目覚め、しばらくは竜舎にいる事を聞いた感想がそれである。
「アルクさんにとっても、自分の竜と普通に接せれるフラナさんは好感度高いですよねぇ」
竜騎士も通常の訓練や、飛翔出来る竜を活かした採取や手伝いなど、戦闘以外での任務も想像されてるより多く、あちこち飛び回ってる事も多いので、竜舎で過ごす時間が多くなるであろう二人の事は気になる。
アルクの場合は、人より竜の方が優先度が高いところなどは気が合うかもしれない。と副団長は思いながら、あえてそれは口に出さなかった。
「今日の任務は終わった。無駄口は良いから帰るぞ」
フラナも仕事は終わっている時間のはずだが、黒竜が冬眠から覚めてご機嫌なようだ。
「怪我はしてないとはいえ、アルクには禁止してる以上、フラナ嬢にも自室で寝る日を増やしてもらわないと困るぞ」
イルにそう言われ、フラナは断腸の思いで、思い出せるかぎり初めてのベッドで寝る事になりそうだ。明日は絶対に竜舎で寝るぞ、との気持ちを抱えながら。
「…手の方はどうだ?」
素手でランの手綱を引いて傷つき、そのまま水仕事をした事で傷が悪化していたが、グローブも支給されて、イルが買ってくれた薬を塗るようにしていたのでもう問題なくなってきていた。
「もうほとんど傷は見えなくなりました」
グローブを取り、イルにもう微かにしか残ってない手を見せた。
「傷をきっちり治しきるにはこちらの薬の方が良いそうだ」
街へ行く度に揶揄われるようになり、薬屋には痕が残らないようにするのはこの薬が良いと半ば押し付けられた。
「仕事に影響しない範囲なら傷の一つ、二つ気にしません」
すぐには受け取らないフラナにイルは薬を握らせた。
「あの店にある物は良い物しかない。使ってくれ」
今日は珍しくお互いの部屋の近くで別れた。
「薬、有難うございました。おやすみなさい」
初めて言われた、夜の挨拶。
「…おやすみ」
出来るならば毎晩聞きたかった。その後、書類仕事や入浴をすませ、イルは幸せな気持ちで眠りについた。
「………眠れません」
一方、初めて自室で眠ろうとしているフラナは全く眠れなかった。
少し前まで一緒だったのにもう竜達に会いたい。折角、今日は黒竜が冬眠から覚めたから、機嫌が良さそうだったら今日は黒竜と一緒に寝ようと思っていたのに残念で仕方ない。
主にランと一緒に寝る事が多いが、竜の体温が暖かいのか、まるで子守歌のようにすぐに眠くなっていた昨日まで戻りたいと眠れない綺麗なベッドの上でフラナは朝日を眺めたのだった。
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