第八章:遠ざかる光

​――桜 side――

​遥斗さんの部屋を飛び出し、一人暮らしの自室に戻った後、私は一晩中泣いた。

彼の**「けじめ」**という言葉は、彼が自分を正当化するための言い訳で、結局、彼は変わっていなかった。

​私はもう、彼の線引きの中の「桜ちゃん」ではいられない。彼に甘い言い訳をさせない、対等な場所で向き合うため、自分の力が必要だと痛感した。


​それから数週間、遥斗さんからの連絡はなかった。

彼は、私が言った**「連絡しない」**という言葉を、ただ受け入れただけだった。


​(これで、本当に終わるのかな……)


​そんな時、会社で春からの新プロジェクトでの地方への転勤が持ち上がった。期間は半年。キャリアアップの大きなチャンスであると同時に、東京を離れることは、遥斗さんのいる空間から自分を強制的に引き離すことでもあった。

​私は、迷わなかった。


​「遥斗さん。あなたが一人で逃げるなら、私も一人で進む」


​私は、彼の隣で笑うためではなく、彼の「逃げ」を否定できる、対等な女性になるために、迷いなく転勤を志願した。


​そして、出発の直前。私は遥斗さんに直接連絡することはしなかった。あの時、**「私からはもう連絡しない」**と決めたからだ。

​私は、遥斗さんが不在の時間を見計らい、カフェ『ル・レーヴ』へ向かった。


​店に入ると、オーナーの悠真がカウンターに立っていた。


​「あれ、桜ちゃん? 久しぶり!どうした?」


​私は悠真さんに、メッセージを書き終えた小さな便箋を差し出した。


​「悠真さん。遥斗さんには内緒で、これを渡してもらえませんか? 」


​悠真は、便箋と私の真剣な表情を交互に見比べ、事情を察したように頷いた。

​便箋には、ただ一言だけ。

​『地方へ転勤します。 桜』

それが、今の私にできる、精一杯の突き放しであり、遥斗さんが自分から動かなければ、私は二度と戻らないという、強い決意の表れだった。私は悠真に礼を言い、カフェを後にした。



​――遥斗 side――

​桜が部屋を去ってから、数週間が経った。

​連絡をしないのは、俺からの**「けじめ」だった。

俺がきちんと自分の問題に区切りをつけ、彼女に「ちゃんとした未来」**を提示できるまで、この距離を保たなければならない。そう信じ込んでいた。

​だが、心の奥底では、彼女が本当に遠い場所へ行ってしまうのではないかという恐怖に苛まれていた。自分の身勝手な**「けじめ」**によって、桜の心を完全に閉ざさせてしまったことを悟っていた。


​そんなある日の夜。退勤前に、悠真に声をかけられた。


​「遥斗、これ、今日桜ちゃんから渡して欲しいって預かった。」


​悠真から受け取ったのは、見覚えのある文字で書かれた、小さな便箋だった。

​『地方へ転勤します。 桜』

​俺の心臓は締め付けられた。


​(転勤……? なんで俺に直接言ってくれなかったんだ)


​その理由を、俺は痛いほど理解した。俺が引いた線が、彼女の成長と、俺への離別を決定づけるトリガーになってしまったのだ。


​「……悠真。俺は……」


​俺は、彼女を引き止めることも、自分の過去の清算を話すことも、結局できなかった。

残されたのは、自己嫌悪と、遠ざかっていく彼女の光を、ただ見送ることしかできない自分の無力さだけだった。

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