第四章:冬、過去の告白と受験のための距離
――桜 side――
彼の「期待させたくない」という拒絶は、優しさの皮をかぶった彼の弱さだと、私は気づき始めていた。
冬が近づき、本格的に受験勉強を意識し始めたころ。
私は、このままでは彼の庇護下の「桜ちゃん」のままだと感じた。彼の心の問題に、踏み込む必要がある。
閉店後。二人で並んでベンチに座る。
「遥斗さん。この前は、感情的になってごめんなさい。でも、私、冬休みに入ったら受験のためにバイトを辞めるんです。その前に、一つだけ聞いておきたいことがあって」
遥斗は、何も言わずにマグカップを握りしめた。
「受験、頑張れ。それ以外、話すことはないだろ」
と、静かに、しかし明確な拒絶の姿勢を見せた。
「あります。私、遥斗さんのこと、『遥斗さん』って呼び始めたときから……
あなたが私に引く線が、どんどん強くなってることも、知っています。…線を引きたいなら、理由を教えてください。私を**『守るため』の理由ではなく、遥斗さん自身が『逃げている理由』を**」
桜は、まっすぐに彼の瞳を見つめた。その眼差しは、彼の逃げ道を完全に塞いだ。
遥斗さんは、観念したように、深く息を吐いた。
「……わかったよ。逃げてる、君の言う通りだ」
自嘲するように笑った彼は、マグカップを強く握りしめたまま、うつむいた。
「俺には、ちゃんと終わらせられてない過去がある。その人に対して、俺は...臆病になって何も言わずに逃げたんだ。自分の将来への不安とか、勝手な言い訳をして、別れ話さえ切り出せずに、一方的に連絡を絶って。
最後まで責任を果たせなかった。その罪悪感が、ずっと重荷として、俺の心にある。
だから、怖いんだ、君を傷つけてしまうんじゃないかって……」
「傷ついたとしても、私は――遥斗さんのことが、好きです」
「……ダメだよ。」
「なんでですか」
「俺は、君の人生を狭くしたくない。俺のせいで、君の未来を曇らせたくない」
私を拒絶する彼の言葉は、優しさではなく、彼自身の弱さからくる叫びなのだと、初めて理解した。
――遥斗 side――
次の日から、俺は桜ちゃんと会わないようにシフトをずらして入るようになった。これが、彼女を傷つけないための最善だと信じたかった。
12月の初め。久しぶりに会った桜ちゃんは言った。
「私、バイト、辞めようと思います。受験に集中しないといけないので…。
もう、この制服でここに来ることはありません。…来年、笑って会える日が来たら、そのときはまた来ます。次会うときは遥斗さんの隣に立てるような私になっているよう頑張ります」
彼女は、以前の無邪気な笑顔ではなく、どこか遠い目をして言った。もう「桜ちゃん」と呼ぶのが躊躇われるほど、彼女は大人びて見えた。
「わかった。頑張れ」
マグカップに残ったコーヒーが、ひどく苦く冷めていた。俺は彼女の未来のために身を引いたつもりでいたが、彼女の小さな決意を踏みにじった罪悪感だけが残った。
――遥斗 side――(25歳)
桜がバイトを辞めた後、俺の心に残ったのは、自分自身の臆病さへの後悔だけだった。
(俺は、また逃げた。桜にまで曖昧な優しさを押し付けて。これじゃ、美佳の時と同じじゃないか…)
何よりも俺を責めたのは、桜が店を去ってから一度も、**俺から「頑張れ」以外のメッセージを送る努力をしなかったことだ。**彼女が店を去った瞬間、俺は彼女の人生から逃げたと同義だった。
桜を失った痛みは、過去の美佳との関係を曖昧にした時の罪悪感をはるかに超えた。
数年が経ち、桜を忘れられずにいた。後悔と心の痛みに突き動かされ、俺は美佳に連絡を取った。
「…ごめん。あの時、ちゃんと別れ話もしないで逃げたのは、俺の弱さだった」
数年ぶりに会った美佳は、驚くほど穏やかだった。
「遥斗さん。もういいよ。私も、あの曖昧な時間は辛かったけど、それを乗り越えて、今は家族に紹介できる大切な相手がいるから。もう、お互い、前に進まなきゃ」
美佳の言葉に、俺は初めて、過去の呪縛から解放された。
美佳との過去は、完全に清算された。
しかし、未来への一歩を踏み出さなかった自分への後悔、そして桜を傷つけた罪悪感だけは、まだ拭えなかった。
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