​第二章:秋の予感、影を落とす感情

​――桜 side――

高校2年に進級し、9月の終わり。


​相変わらず遠野さんは穏やかで優しいけれど、誰に対しても平等すぎるその優しさが、私を少しずつ不安の渦に巻き込ませていた。


​真帆に相談すると


​「それ、恋だよ、桜。気づいてないだけ」


​そして、真帆は核心を突いた。


​「でも、そのバイト先の人の優しさって、誰にでも平等で、線引きが曖昧じゃない?それが、逆に桜を不安にさせてるんだよ」


​真帆の言葉は、まるで頭を冷たい水で濡らされたかのように、私の中のモヤモヤの正体をはっきりさせた。

同時に、その言葉は私を深い絶望へと突き落とした。


​ああ、そうか。

この胸の痛みは、憧れなんかじゃなく、恋だったんだ。


そして、その恋の相手は、私にだけ特別な線など引いてくれない、誰にでも優しい「大人」だ。

そこから、遠野さんの何気ない行動が、全て違って見え始めた。


​「お疲れ様」という声も、「気をつけてね」という笑顔も、以前は無条件の安心感だったのに、今は私への特別な感情がない証明のように感じられた。


​遠野さんは、いつも心地よい距離を保っている。まるで、私という存在を、感情的な領域に入れないように、穏やかな微笑みという名の透明な壁で隔てているみたいに。

​彼の優しさの向こう側に、本当の気持ちがあるはずなのに、私にはもう手が届かない気がして、指先が冷たくなった。



​――遥斗 side――

桜ちゃんの無邪気だった瞳に、わずかな影が差したことに気づいていた。

季節が秋に移り、日が落ちるのが早くなったころ。


一度だけ、閉店後、差し出された黒い傘の下で、二人の肩が、ほんの少し触れた。


​「……遠野さん」

​「ん?」

​「私、遠野さんのことが、少しだけ遠くなっちゃった気がします」

​「俺は、君に、俺の汚れた世界に入ってきてほしくないだけだよ。君の純粋さを、壊したくない」


​その言葉は、優しさの皮をかぶった**『警告』**だった。俺の身勝手な防衛本能だ。



​――桜 side――

彼の「警告」のような言葉を聞いてから、私はバイト先で、彼の一挙手一投足を、以前とは違う熱い感情で追いかけるようになった。

なんとか彼の心に食い込みたくて、以前躊躇した**「遥斗さん」という呼び名を、少しずつ口にするようになった。


​そして、高校2年の秋が深まり始めたころ。店の裏口。私は、遥斗さんが電話をしているのを聞いてしまった。


​「…美佳、久しぶり。最近どう?うん、全然変わってないよ。また近いうちに…」


​穏やかで、親密さを秘めた声。

それは私に向けられる「業務的な優しさ」とは全く違う、本物の感情がこもった声だった。


自分に向けられていない真実の優しさを知った瞬間、私の『憧れ』は、手の届かない『片道の恋』**へと、静かに形を変えた。




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