第一章:はじまりの春、憧れという名の距離

​――桜 side――

​高校一年の春。

私にとって初めてのアルバイトは、日常の不安から少しだけ離れられる小さな避難所だった。


​「今日から入る花村 桜はなむら さくらです。よろしくお願いします!」

「よろしくね。俺は遠野 遥斗とおの はると。わからないことは何でも聞いて」


​私とは違う、大人の余裕。

最初に感じたのは、憧れと、信頼感。まるで、私とは違う世界の、手の届かない大人。


​「花村さん、レジ締めの方はこれで大丈夫。今日はこれでおしまい!ありがとね」

「ありがとうございます!遠野さん」


​遠野さんはいつも穏やかで、何を質問しても丁寧に教えてくれた。彼の周囲には、常に心地よい距離感が保たれていた。


​ある日、休憩室で。


「花村さん、だいぶ慣れてきたでしょ。いつまでも『さん』付けだと、なんか他人行儀に感じるからさ。よかったら、遥斗って呼んでよ」


突然の申し出に、私の心臓は小さく跳ねた。


​「え、でも…遠野さん、上司ですし年上なので…」


​遠野さんは困ったように笑った。その笑顔さえも、私には完璧な大人の優しさに見えた。


​「そうか。じゃあ、無理にとは言わない。でも、俺は君のこと、桜ちゃんって呼んでいいかな?君は、遠野さんのままでいいよ」


​(…「桜ちゃん」って呼ばれるのは、少し嬉しい。でも、やっぱり「遥斗」とは呼べない。呼ばない方が、今の憧れの安心感を壊されずに済む気がするし)


​「あ、はい!お願いします…遠野さん」


​結局、私は遠慮して「遠野さん」と呼んだが、彼が私を「桜ちゃん」と呼ぶその響きだけで、胸が少し温かくなった。

この心地よい距離感が、いつか私を絶望的に苦しめるなんて、想像もしていなかった。



​――遥斗 side――

新しく入った桜ちゃんは、太陽みたいによく笑う子だった。

彼女がまだ遠慮がちに距離を取ろうとする様子に、俺も無理強いはしなかった。


彼女の持つ曇りのない明るさは、妙に俺の心に響いたが、それ以上踏み込むべきではないと感じた。

この距離は、俺が彼女の純粋さを守るための、一種の**『境界線』**だった。


​ある夜、閉店間際。カウンター越しに彼女に言われた。


​「遠野さんって、いつも穏やかで安心します。何を考えてるか分からないけど」


​**「何を考えてるか分からない」**という言葉は、俺の持つ「大人としての穏やかさ」が、彼女には見抜かれているようで、少しだけ胸が痛んだ。


俺は、自分の抱える複雑な感情で、この純粋な子を曇らせるわけにはいかないと強く思った。だからこそ、彼女を「純粋なバイトの子」として、徹底して丁寧に扱った。

それが、年上の人間の最低限の責任だと思っていた。


​「…まぁ、大人はそうやって生きていくんだよ。いろんなものを心に蓋してな」


​そう言って、背中を向けた。俺が今、この子に与えられるのは、「優しくて安心できる上司」という、安全な枠だけだ。

それ以上を求める資格も、与えられる愛も、今の俺にはない。

彼女の純粋さは、俺には眩しすぎて、触れることすら許されない気がした。



​――遥斗 side――

新しく入った桜ちゃんは、太陽みたいによく笑う子だった。

彼女がまだ遠慮がちに距離を取ろうとする様子に、俺も無理強いはしなかった。


彼女の持つ曇りのない明るさは、妙に俺の心に響いたが、それ以上踏み込むべきではないと感じた。

この距離は、俺が彼女の純粋さを守るための、一種の**『境界線』**だった。


​ある夜、閉店間際。カウンター越しに彼女に言われた。


​「遠野さんって、いつも穏やかで安心します。何を考えてるか分からないけど」


​**「何を考えてるか分からない」**という言葉は、俺の持つ「大人としての穏やかさ」が、彼女には見抜かれているようで、少しだけ胸が痛んだ。


俺は、自分の抱える複雑な感情で、この純粋な子を曇らせるわけにはいかないと強く思った。だからこそ、彼女を「純粋なバイトの子」として、徹底して丁寧に扱った。

それが、年上の人間の最低限の責任だと思っていた。


​「…まぁ、大人はそうやって生きていくんだよ。いろんなものを心に蓋してな」


​そう言って、背中を向けた。俺が今、この子に与えられるのは、「優しくて安心できる上司」という、安全な枠だけだ。

それ以上を求める資格も、与えられる愛も、今の俺にはない。

彼女の純粋さは、俺には眩しすぎて、触れることすら許されない気がした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る