第16話 厄災の起因

「わかった。まずおさらいとして『カランが眠った日を境』に魔物が異常なエネルギーを得て夢喰となった」


 ──夢喰。たしか人間に幸福な夢を見させ、最後に全てを食べ精神を崩壊させる魔物。昨日のミカゲの話によれば、対象は人間から精霊に移ったはず。


「そして厄災が訪れた。まぁここの詳細はミカゲがカランに話してたはずだよな」

「はい。あ、でも水泡についてはまだですね」

「まぁ、水泡は別に知ったところでだしなぁ。いいか」


 なんて言って、カキラは静かに紅茶をひと口含む。その落ち着いた仕草が、これから語られる重さを示すように見えて、きゅっと唇を噛み締めた。


 だけど、勝手に情報共有の判断をするのはよくないと思う。

 よくないですよと足を伸ばしてつつこうとするけど、届かない。無表情でどこか遠くを見ている時点で、既にカキラは脳内で伝えるべき情報を整理してるんだ。だからつつけたとしても、きっと教えて貰えない。

 同じ空間にいるのに私の知らない言葉が飛び交う度、気持ちが沈む。


(なんだか、置いていかれた気がする)


 ゆらゆらと揺れる湯気は、甘い香りを漂わせて。不貞腐れる私を励ますように、太陽がルビー色した紅茶の波紋をきらりと縁どった。和んだ心、日差しにつられて少し視線をあげれば、庭園の薔薇が静かに散って。色を失ったように花弁が空を舞く。


「それじゃあ、次だな。……っと、カラン。ここからは気分が悪くなったら直ぐに言ってくれ」

「う、うん。分かった」


 その言葉に一抹の不安が胸に広がり、そっとカップを置けば、カチャンと陶器の冷たい音が嫌に耳に残った。


「人間は得体の知れない事象が起き混乱。何が起こったのかと、バラけた不安の感情は秩序を乱し始めた。……そして、同じ境遇から弱者は共鳴し群れとなる」

「そうだね、確かにその状況なら仲間意識は芽生えるのが普通かなぁ。人間さんは抗う術がないから……」

「あぁ。その後、混乱した人間たちはただ不安を吐き出す“器”を求めた。そして、根拠も証拠もないまま、ある『象徴』に辿り着く」


 読み聞かせているような声色で話すカキラの目は、まるで氷のようで。太陽に照らされるその頬すら、陶器のように真っ白に見えた。

 平和の中に見え隠れする火種のように、カキラの唇が動く度、空気が震える。


「わずかな情報で敵を決めつけ。自分たちが正義だと思い込んだ愚者は、真っ先に象徴である人物を探し出そうとした」


 どくんと、心臓が嫌な音を立てる。

 伏せられた空色の眼は、ゆっくりの視線を上げてその目に光を宿す。温かな眼差しなのに、絡み合った視線から伝わる畏怖に息が詰まった。


「──さぁ、誰だと思う? 」


 深海のように底が見えないその眼に映る私が。


「考えてごらん、カラン」


 恐らくその問いの答えなのだと悟る。


 雲ひとつない晴天の下。突風が吹き木々は大きく揺れ、鮮やかな葉が無情にも散っていく。

 ピンと張り付いた緊張に、声を出そうとする喉が震えて。だけどカキラが答えを待ってるからとスカートをぎゅっと握って、私は顔を上げた。


「白雪である、私……?」


 空気に熔けてしまいそうなほど、小さな声。だけどカキラは私の答えを拾って「正解」とにっこりと微笑んだ。

 足が竦んで、息も上手くできない私に酸素を与えるように温かな手がぽんっと頭に乗っかって。よしよしと、凍りついた体を溶かすように撫でてくれた。


「さすがカラン。よく出来ました」

「っ、えへ。へへへ」


 嬉しい。

 褒められたことが嬉しくて、撫でられる度に心がぽかぽかしてきた。その手が二十往復する頃には、恐怖心も消えて。やったーと、とくとく紅茶を足しながら踊る湯気を眺める。


「よしよーし」

「んふふ、えへ」


 まだ褒められるかなと待って、はたと気づいた。結構私の状況まずいのでは……? と。少なくとも、今の私は人間に免罪を着せられ一方的な敵意を向けられている。


 ひたりと、冷や汗が背中を伝ったその刹那。ゆらりとガーデンの薔薇が大きく揺れた。太陽が登ったばかりの朝だと言うのに、窓を挟んで空間が切り離されたように寒い。

 なんだか浮かれた気持ちから、一気に海底へ突き落とされたような心地になってきた。


(もしかしてハスリーベ島の皆から、私は嫌われてる……?)


 いや、嫌われたどころではない。人間に在らぬ疑いを掛けられ敵意を向けられていた事実が、酷く重たく感じて胸が痛い。でもこれが現実なのかと受け入れたとき、手の甲に優しい温もりが重なった。


 骨ばった大きな手につられるように視線をあげれば、ぱちりとアメジスト色の眼と目が合う。陽の光が彼の瞳を橙色に縁どり、優しげに揺れて。悪戯に笑うスミレくんは、そのまま何も言わずにそのまま窓に目を向けた。机の下で重なった手だけは離さないままで。じんわりと伝わる熱が「大丈夫だよ」と安心させるように、心地よくて。ほんの少し息ができたように、心が安らいだ気がした。


(……手が暖かい。なんでだろ、不思議と息ができる)


 たとえ敵意を向けられていたとしても、これは知らなくてはいけない現実なんだ。目を逸らしはいけない。

 瞼を閉じて深呼吸を繰り返し、目を開けた。


「さ、ここからは端的に行こうか」

「う、うん」


 そういえば、ご飯を食べてからどれくらい時間が経ったのだろう。食堂を照らしていた日差しも、今は傾き影が差し込んで。少し寒い。


「じゃあカラン、机に注目」


 こっちを向いてとカキラの人差し指が机を叩いた。素直に目を向ければま、すっとカキラが指を振る。そして、水で作られたジオラマがからくり人形のように動き出した。


「──この厄災は、白雪が起こしたものに違いない! いいや、本物の白雪を生贄に捧げられなかったことを精霊様はお怒りになって我ら人間に罰を与えたんだ!」


 水で作られた人間の一人は拳を振るい、もう一人は頭を抱え崩れ落ちる。場面が変わるようにぴちゃんと溶けた人間達は、大勢の形となり拳を上げ始めた。


「えっ……」


 恐怖に自我を飲み込まれたのか、水が描く人間たちは支離滅裂に動き出す。目の前で根も葉もない話が勝手に進んで、怒声を浴びせられ。私じゃないと叫びたくても、喉が震えてこの光景を眺めることしか出来ない。


 氷が張り付いたように、一瞬の静寂すら耳が痛くて息が詰まる。


「白雪を探せ! この厄災の元凶は逃げた白雪だ! 絶対に捕らえろ!」

「どうして、白雪が見つからないんだ! あぁ、そもそもこんな摩訶不思議なことが出来るのは精霊族しかいない、もう俺たちの手でアイツらを……!」


 人形師のようにカキラは指で彼らを動かして、つまらなさそうに声を当てては、ぱしゃんとまた人間を消していく。

 心の臓が冷えたように、生きた心地がしなくて。上手く息ができない。一方的な敵意、違うと言いたくても確固たる認識となってしまったそれは覆せない。そしてこれは二年前の出来事。全てが今更なんだ。


「ちが、私は……」


 私は、何が違うんだ。

 なにより、二年前の眠り。そして、同時刻に起こった厄災はそう思われても仕方ないほどに出来すぎている。だからこそ、そんな事ないと否定したくても出来ない。なぜなら証拠もなければ、寧ろそうだと思わざるを得ない情報しかないのだから。


 だけど、私はやってない。

 やってないのに、どうして言いきれないんだろう。これじゃあまるで、私がイリウを助けなければ、こうならなかったんじゃないかとあの日の選択が、現実を突きつける。


 あぁ、頭から水を被った気分だ。

 まつ毛が震えて、前がよく見えない。だけどパチリと目があった時、私の気持ちと正反対にその眼差しが温かくて視界が滲んでいく。


 ──きっと、私は『厄災の起因』となった存在なんだろう。


**


 しんっと、静まり返る食堂は時が止まったように暗くて。口に広がっていた紅茶の香りも感じなくなっていた。

 目が熱くて、喉が震えて。ぴちゃんと涙が手の甲を弾いた。


「みゃ? ん、んみゃっ」


 ぴとっと右目にしらたまちゃんがくっついて、涙を拭うように擦り寄ってくる。たくさん日に当てていたからか、すごく暖かくてまた涙が溢れてしまった。重なっていた手もぎゅっと強く握られて、視界の端ではハンカチを探してるのかポケットを漁るミカゲが映る。


 この空間だけは、変わらない日常なんだとやっと息ができた時パンッとカキラが手を叩いた。


「──こうして、カランを狙った奴らは何故かその後全員眠りにつき。あろうことか、俺たち精霊族にも矛先が向きあぁ大変」

「カキラお前、今更和ませても遅いと思うよ。カランちゃん泣いちゃったじゃん」

「……危うく戦争が起こる既のところで、最高権力者のレカムが事を収め、ハッピーエンド。ちゃんちゃん」


 スミレくんをガン無視したカキラは、演技に飽きたのか、もうおしまいと再度手を叩いて笑った。ここからが山場なんじゃないのと、絶望の淵に立ちつつ肩透かしをくらった私の隣で「えっ」とミカゲが小さく声を漏らす。ちらりと目だけ向ければ、草原の眼がパッチリと見開かれていた。


「カキラさん! 僕が他の輩に狙われないように、裏でこの案件の担当をもぎ取ったっていう話は!」

「と、本人の言う通りミカゲが何だかんだで、よく頑張ったで賞」


 ぱちぱちと雑な賞賛をしたカキラは、はーっと長い溜息をついてぐっと腕を伸ばした。バキバキと肉体から出てはいけない音を鳴らしては、清々しい笑顔を浮かべてゆっくりと席を立つ。

 あの音は関節なの? と驚きで涙が引っ込めば、ガコッといきなり椅子が引かれた。


「怖い話はもうおしまいだ。ミカゲが担当になった事で彼奴らは手出しができない。レカムのおかげで、人間との交友関係も保たれた」

「そうなの……?」

「あぁ、それに夢喰の対策も済んで。……あの島は、もう平和だよ」


 おいでと、カキラは手を広げる。

 昔と変わらないカキラの腕の中がまるで私の帰る場所なんだと言うように、お揃いの真っ白なマントが優しく揺れた。


「……っ」

「カラン?」


 今すぐその胸に飛び込みたいのに、足がすくんだままで動かない。伸ばした手を引っ込めて視線が落ちた時、コツンとカキラの靴が私の足にぶつかった。

 ふわりと優しい石鹸の香りが、私を包んで持ち上げる。ぬいぐるみを抱っこするみたいに、腕の下に回された手はポンポンと背中を叩いた。


「ここにいる婚約者達はだーれもカランの事を疑ってない。それに、二年もあれば非日常も日常だ。嫌でも人間たちは慣れて、生きるのに必死だから白雪の事なんて忘れてく」

「うん……」

「あとカランを呪った奴はこっちでも探してる。だから、情報があればお兄ちゃんも知りたい。けど、今はカランが楽しく暮らすことが大事だからな」


 よーしよしよしと頭を撫でられ、目頭が熱くなる。泣きたくないのに、ずっと求めてた温もりがここにあって。零れそうになる涙を隠すように、カキラの肩に顔を埋めた。


 トクトクと心音が重なって、瞼が重くなる。遠くから聞こえるカモメの声がやけに鮮明に聞こえた。


「さ、今度は俺がカランに色んなことを教えて貰わないとな。まずは、洗い物をさっさと済ませて」

「んみゃ」


 我こそはと、頭の上で飛んだしらたまちゃんは「洗い物」という単語に反応したのかまた力を発動しようと光り出す。

 けど、今は水属性のカキラがいるから不要な魔力消費は避けたかった。しらたまちゃんを待ってと握ってから、片手でカチャカチャと食器を重ねるカキラの背中を叩く。


「んー?」

「カキラ、洗い物お願いしていい? このお屋敷、しらたまちゃんの……」

「あぁ、分かってる。コイツの力じゃないと動かないんだろ? そんなこともあろうかと、この後雷属性のレカムを呼んでる」


 なんて言って、四人分の食器を持ち反対側の手で私を抱えているカキラは二人を置いて食堂を離れ。一拍遅れて「あのレカム様が、本当に来るんですか!?」と驚いたミカゲの声が反響した。

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