信太の森の決戦
1
猛ダッシュで帰宅した遥香は、お母さんの「おかえり」の声も無視して大急ぎで着替える。一番お気に入りの、赤をベースにしたスポーツウェアを選んだ。これを着ると、気力が一段とみなぎってくる気がする。
リュックの中に霊符や護符を詰め込む。これまでの修業で作った、というより作らされたもので、西華や奏多がいうには不出来きわまりない代物らしいけれど、ないよりはましだ。
準備を整え、ほっぺたをバシバシと叩いた遥香は、リュックを背負って家を飛び出した。
自転車にまたがり
光池公園は、遥香の自宅から走って十分ぐらいのところにある。自転車を飛ばせば五分もかからない。
お花見の時期をのぞけば、あまり賑やかな公園ではない。広場ではお年寄りがグラウンドゴルフをやっていたり、ブランコなんかの遊具があるところでは小さな子どもたちが遊んでいたりするけれど、遥香たちが見晴らし台と呼ぶ、中央の小高い丘にはほとんど人が来ない。
遥香はケヤキやイチョウ、クヌギなんかが立ち並ぶ遊歩道を進んで丘を登り、見晴らし台にある東屋のベンチに腰をおろす。
ここからは、遥香たちの暮らす町を見渡すことができる。西華によれば、遥香たちが生まれるよりもずっともっと昔々、このあたりには深い深い森が広がっていたらしい。一帯に広がる森全体をさして、『信太の森』と呼んでいたそうだ。
ドキドキとうるさい心臓をしずめるために深呼吸。
(アヤちゃんは、わたしが助ける!)
オレンジ色に染まる空のもと、遥香は文乃の到着を静かに待つ。
西華の話によれば、文乃に取り憑いている妖が顕界に侵入したのは、おそらく二カ月ほど前。遥香によって封印が緩められた直後のことだという。気取られることもなく潜み続けていたところを見ると、まずまずの強者だろうという話だ。
「とはいえ、実体化するほどの力は持っておらんし、さほど困難な状況でもない。奏多を通じて彼方の山伏どもに助力を乞えば、すぐにでも片が付く。ただ、あのあやちゃんという娘、どうも心がやられておるようだ。あの様子では、一気に取り込まれるかもしれん。あまり時間の猶予はないな」
「取り込まれたらどうなるの⁉」
不穏な話をする西華に、遥香は噛みついた。
「霊力を一気に吸収される。あの娘の霊力量を吸収すれば、もしかすると実体化に足る霊力を得るやもしれん。そうなれば……最悪、食われる」
「食われるって、そんな!」
「あくまで最悪だ。ワシの見立てでは、実体化まではまだ日がある。今のうちに手を打てば――」
西華の言葉は遥香の耳に届かない。大切な親友が、妖に食べられてしまう。しかも自分が犯した失敗のせいで。黙って見過ごすことなんか、絶対できない。
「は、早く助けないと。そうだ! 西華、西華がその妖を退治してよ! 西華ってめっちゃ強い妖なんでしょ? だったらすぐにでもそいつを退治できるんじゃ――」
「それはできん」
わずかな間も置かずに答える西華を、遥香は信じられない思いで見つめた。普段の穏やかで余裕のある笑みは影もない。強く鋭い視線を、じっと遥香に向けている。
「前にも言っただろう。ワシは顕界に手を出せん。守り人でない妖は、本来ならば顕界に存在することも許されん。今のところ、目こぼししてもらっているようだがな」
「で、でも、相手は妖なんだから――」
「相手がどうという話ではない。顕界で力をふるうことがご法度なのだ」
大結界と封印が生み出された際、幻界の者たちは自らに厳しい掟を課した。決して顕界に介入するべからず。これを破りし者には、永遠の責め苦を与えん、と。
神や仏のみならず、力のある大妖などが全て賛同して定められた決まりだ。神や仏はともかく、なぜ妖が自らを不利にする掟を定めたのかは、今となってはわからないらしい。
例外は鍵の守り人をはじめとする、特別な役割をもって顕界にとどまる妖のみ。守り人でなくなった西華は、顕界で力を使うことは許されない、ということだけど――。
「ひとまず落ち着け、遥香よ。まずは奏多に伝えて――」
「……そんなん、いつになるかわからへんやろ! 奏多スマホ持ってへんから連絡できへんし! さっき西華も言うたやろ! アヤちゃんは色々あって、心が弱ってるんよ! 今晩にでも取り込まれるかもしれへんやん!」
「さすがに今晩ということは――」
「そんなんわからんやろ! 絶対ないって言いきれる⁉」
まくし立てる遥香に、西華は黙って目を閉じた。言っても無駄かとあきらめているような顔だ。小さい子どもが駄々をこねているような、無茶苦茶な言い分だということは、自分でもわかっていた。でも、文乃に危機が迫っていると知って、落ち着いてなんかいられるか!
「ねえ、お願い! ばれなきゃいいでしょ? 今回だけ、助けてよ!」
必死に頼んでも、西華の首が縦に動く気配はない。
「……そしたらもうええわ! 西華には頼まへん! わたしがやる!」
「……なに?」
西華が眉を寄せて目を開けた。
「だから、わたしがアヤちゃんを助ける! わたしがその妖を退治する!」
「なにを馬鹿なことを。いろはのいを修めたばかりのひよっこが無謀を言うでない」
「うるさい! やるいうたらやるんや! ほっといて!」
遥香はその場を走り去る。西華の呼び止める声が聞こえていたけれど、止まる気にはなれなかった。
三組の友だちから文乃のアカウントを教えてもらい、午後六時に見晴らし台で待っていると連絡した。今は五時半ぐらい。文乃が来るまでの時間に、迎え撃つ準備を整える。
霊力操作の基本は
正直、複雑で難しすぎて、遥香はほとんど陰陽五行を理解できていない。
霊力というのが、大結界や封印なんかを維持するときとか、奏多のような修験者や陰陽師たちが妖退治をするときに使う不思議な力だということ。その霊力には大きく分けて、木、火、土、金、水の五種類の属性があるということ。それぞれの人にも生まれ持った属性があり、その人が持つ基本の霊力も同じ属性になるということ。それぞれの属性には
遥香が何とか理解できたのはこれぐらいで、西華の言う通り、初歩の初歩しか身についていない。
守り人という立場上、今後妖に狙われることがあるかもしれないということで、妖を退治する方法――
だからなんだというのか。無謀だろうと何だろうと、文乃の危機に指をくわえて見ているだけなんて、できるものか! 一刻でも早く、文乃を助けなくては――。
西華によると、遥香の霊力はものすごく多いらしい。それこそ、有名な昔話に出てくるようなおばけとか妖怪並みだそうだ。人をそんなのと一緒にしないでほしいとは思うけれど、その話が本当なら、文乃に取り憑いた妖ぐらい、一発で倒せるはずだ。
持ってきた霊符を見晴らし台の地面にペタペタと貼り付けていく。霊符というのはいろんな霊的効果を持つお札で、今回遥香が持ってきたのは『領域』という不思議な空間を展開するためのものだ。修行のときに何度か展開したのだけれど、この中だといつもよりもうまく霊力を使えるのだ。十枚ほどを地面に貼り付け、遥香が念じればいつでも領域が展開できるようにする。
さらに、ウェアやインナーのあちこちに、護符というお札を張り付ける。これは名前の通りお守りみたいなもので、霊的な防御力を高めてくれる効果がある。修行のときも、これを身に着けていれば、奏多の攻撃なんてへっちゃらだった。相手がどんな攻撃をしてくるかは知らないけれど、防御力は高いほうがいいに決まっている。
あとは霊視で相手の霊力を見極めて、弱点の霊力で殴れば、多分勝てる。西華も言っていた。相剋こそが調伏の基本だと。
(大丈夫。勝てる。勝てる。落ち着け……)
準備は整えた。文乃が来るのを待つだけだ。
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