シノダの杜のハルカなり!

鷹森涼

遥香と狐

(よし、これで六十回達成! あと四十回だ)


 うす暗い神社の境内。中学一年生の安倍遥香あべはるかは、ひとり心の内でつぶやいた。

 真夜中に神社に来たことなんて、生まれてこのかた一度もない。もっと真っ暗で、もっと静かで、もっとすごく怖いんじゃないかと思っていたけれど、街灯やお月さまのおかげで思ったよりも明るいし、ウシガエルや夏の虫の鳴き声が結構にぎやかで、あまり怖さを感じない。


 ふと、時間が気になってスマホを取り出した。画面に並ぶ『二二一四』の数字。


(うげ、いつの間に! 早く終わらせないと!)


 こんな夜遅くに黙って外出したことが、お母さんにばれたらどうなるか。考えただけでも恐ろしい。けれど、遥香には今晩中にどうしてもやらなければいけないことがある。ここで帰るわけにはいかない。


 六月の終わりともなると、この時間でもすごく蒸し暑い。ふきだしてくる汗を袖で拭い取りながら、遥香はひたすら、小さな鳥居が七つ並んでいる石畳の参道を行ったり来たりしている。声を出さないようにするのは骨が折れるけれど、そうしろと本に書いてあったので何とかこらえている。


 遥香が何をしているかといえば、いわゆるお百度参りというやつだ。

 神社の入り口から進み、本殿や拝殿でお参りしてまた入り口に戻る。これを百回繰り返す。神社関係の本を調べて発見した、とても効果の高そうなお参り方法だ。


(百回できれば、ヤマが当たるはず。テストでいい点が取れるはず。そうすれば……)


 顔がほころびそうになるのをこらえて、キリリと表情を引きしめる。ニヤニヤしながらお参りしても、神さまは願いを聞いてくれないような気がする。

 すでに半分はこえた。あともうひと踏ん張り。

 遥香は気合を入れなおすため、ほっぺたをパシッと叩いた。




「じゃあ、次の期末テストでクラスの平均点以上が取れたら、買ってあげる」

「ほんと⁉」


 何度も何度もお願いして、ついにお母さんが折れた。はじける気持ちもそのままに、遥香は喜びのステップを披露する。リビングの床がドタバタと音を立てた。


 ソフトボール部に所属している遥香は、どうしても新しいバットが欲しかった。

 最近のバットはいい素材でできていて、芯を食えばものすごくボールが飛んでいく。ホームランを打ちたい遥香にとって、喉から手が出るほど欲しい一品だった。


 ただ、一つだけ避けられない関門がある。お値段、なんと五万円。高すぎるのだ。貯金できない遥香に、手が届く代物ではない。そこで、お母さんに買ってもらえるよう、ずいぶん前から頼み込んでいたのだった。お願いを続けた甲斐があったというものだ。


「ただし!」


 叩きつけるようなお母さんの厳しい声。浮かれていた遥香は、「ほえ?」と間抜けな反応をした。


「もしクラス平均をこえられなかった時には、三か月お小遣い抜きね」




(クソ! あの鬼ババめ! 弱みにつけこんで、とんでもない条件を出しやがって!)


 ムカムカするけれど、逆らったら買ってもらえる約束そのものをなしにされかねない。無駄遣いをやめてお小遣いを貯金すればいずれは買えるだろうけれど、夏の大会はもうすぐだし、貯まるころには中学校を卒業してしまう。


 遥香はグッとこらえて条件を飲み、苦手な勉強に取り組んだ、のだけれど――。


(あれ? わたしって、こんなアホやったかな?)


 どの教科書を開いても、さっぱり意味がわからない。どこがわからないかもわからない。

 授業にはついていけているつもりだった。宿題だって毎日ちゃんとしていた。なのになんで? 


 確かに、中学校に入ってはじめて受けた中間テストの点数はひどいものだった。


(でもほら、あれはテストの形式に慣れてなかったし、ちゃんとテスト勉強しなかったからで……あれ?)


 混乱しながらボーッとしていた遥香は、一時間後にハッと我に返った。


 このまま勉強を続けても、平均点以上の成績を取るなんて夢のまた夢だ。だからといってバットをあきらめたくもない。ウンウンうなって無い知恵をしぼり出そうとして、ひらめいた。


(困ったときは、神さまや!)


 すぐにお父さんの書斎に駆けこんで、勉強そっちのけで神社関係の本を読みあさった。


 そうして発見した、とんでもないお参り方法。


(こんなん、絶対願いがかなうやん!)


 心をウキウキはずませながら、自宅近くにある聖の森ひじりのもり神社へ向かうため、遥香は部屋の窓から飛び降りた。




 遥香はお参りの回数を重ねていく。この往復でついに七十回に到達した。あと三十回。終わりが見えてきた。

 決意を新たに次のお参りを開始しようとした、その時――。


 ビュンという空気を切り裂く音がした。突風が直撃し、バランスを崩す。


「うわ、あっぶな……あ~! しまった!」


 転びそうになるのをこらえてホッとしたのも束の間。思わず声を出してしまった。遥香はダンダンと地団太を踏む。ここまで順調にきていたのに。


「あほ風め! 邪魔するなよ! ……ま、まあ、ここは鳥居の外だから、お参りの時に声を出したわけじゃないし。うん、ギリギリセーフだね」


 もう七十回もお参りしたのだ。無駄にしてなるものか。遥香はマイルールを適用し、作法やぶりをなかったことにしようとする。


 そんな遥香の能天気さを、あざ笑うかのように――。


 さっきまで穏やかな夜だった。空にも雲一つなく、お月さまもお星さまも、気ままに宇宙飛行を楽しんでいるかのように、ご機嫌で光をふり注いでいた。その空がいつの間にか真っ暗になっている。お月さまもお星さまも、分厚い雲に隠れてしまっている。


 風も強くなってきた。神社を取り囲んでいる大きな木々が、風を飲み込んでザワザワと暴れだし、鳥居や建物に垂れ下がっているギザギザの紙や提灯、鈴なんかが、バサバサガラガラと音を立てて激しく揺れている。


 突然変わった夜の様子に、心臓がバクバク鳴り出した。もともと怖がりの遥香には、にわかに騒がしくなった夜の神社が、なにか不吉なもののように見えてしまう。


 そして――。


『失せろ! こわっぱ!』


 どこから聞こえたかもわからない、誰のものともわからない声がした。どんなと聞かれても説明できない、地の底から鳴り響くような、鋭く恐ろしい声が、遥香のおなかにズドンと響く。とどめの一撃だった。


「ひっ! ご、ごめんなさい!」


 遥香はその場で飛び跳ねる。そのまま体を反転させると、家に向かって一目散に駆け出した。




 ※

 遥香が逃げ帰った後の神社に、影が一つ。

「まずいな、封印がぼろぼろではないか。修復は……無理か。鍵ごと持っていきおった。あの小娘、いったい何者だ? あの気配……、いや、まさかな」


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