第五十頁  講義 弐——能力者・生気——

 ビゼーはロッドの質問を踏まえ、内容を理解した。

 ビゼー、ロッドの二人はそれぞれクウヤ、ミクリにアダンの話の内容を伝えた。

 二人はそれをなんとか理解した。全員の足並みが揃った。

 それを確認してアダンは言う。


「能力者の総論的な事柄に関して俺から言わなければならないことは以上だ。能力者について質問があれば受け付ける。挙手制だ」


 ビゼーとロッドが挙手をした。

 気持ちロッドの方が早かった。

 アダンは先に彼を指名した。


「さっき魔人……能力者、は遺伝だって言ってましたけど俺の両親は魔人……能力者。じゃないですよ?」


「両親が能力者じゃなくとも能力遺伝子が二つ揃えばその子供は能力者として産まれる。不思議なことではない」


「どういうことですか?」


 ロッドは尋ねたものの一回の説明では理解できなかった。

 このやりとりを正確に描写しているとページ数がいくらあっても足りないので、重要な部分を切り取り簡潔に記すことにする。


 健常者の両親から能力者の子が産まれる理屈は次のとおりである。

 能力遺伝子をa、能力遺伝子ではない遺伝子をAと表すこととする。

 人間は二本で一対の染色体を持っている。しかし生殖細胞だけは染色体が一本しかない。所謂「分離の法則」である。父由来の染色体と母由来の染色体。それらを一本ずつ持ち寄って、合わせて二本一対となるのだ。


 ここで能力者は必ずaaという組み合わせの染色体を持つ。

 もし仮にAAという組み合わせ——能力遺伝子を全く持っていない——を持った人間がいるとする。その人間が生殖に関わった時点で能力者が生まれてくる可能性はゼロになる。分離の法則によってこの人間の生殖細胞には必ずAが含まれてしまうからだ。つまり生まれてくる子の細胞にAの染色体が含まれることでaaという組み合わせを保有することが理論的に不可能になるのだ。


 反対に両親が能力者でなくとも、両親が共にaを一つでも持っている——両親が潜在能力者あるいは能力者——場合二割五分以上の確率でその子が能力者になる可能性があるのだ。

 特に両親が共に能力者であった場合は必ず能力者の子が生まれてくる。aaの組み合わせ以外は保有することがないからである。

 ロッドの場合、両親は共に能力者ではない。

 しかしロッドは能力者である。

 これは両親が共にAaの染色体を保有しており、確率の壁を超えてロッドは能力者として生を授かったのだ。


 これを理解した時、ロッドはようやく腑に落ちた。


「そういうことだったんだ」


 こう言ったロッドの顔は清々しく晴れていた。

 ビゼーはロッドの質問に対する回答を聞いて自分が能力者であることを確信した。

 両親が能力者であればその子は確実に能力者である。

 自分の直感は正しかったことをようやく確信できた。


 ビゼーも遺伝の詳細が気になっていたがロッドの質問により解決したので、自身は別の質問をした。

 能力者の判断法はあるのかを尋ねた。


 両親に能力者の自覚があれば自分が能力者だと確信できる。しかしそれがなかったり、クウヤのように両親のことを詳しく知らない人たちは自分が能力者かどうか判断するのが難しい。

 誰でも能力者か否かを容易に判定する方法があればそれも解決できる。

 アダンの回答は以下の通りだった。


 答えはかなり単純で体力測定をするのが最も簡単だという話だ。

 能力者は鍛えていなくても身体能力が健常者と比べて異常に高いのだという。短距離走など運動能力がそのまま結果に現れる種目を行うことで分かってしまうらしい。

 ただし健常者のアスリートと比べると数字の境界が曖昧になってしまうという欠点もある。

 そこで科学的に能力者を判断する機械を開発したのだそう。

 彼が背負っていた大きな機械。それが『能力者判別機』という装置だそうだ。「生気しょうき濃度」という指標を計測して判定するらしい。生気濃度は後に説明するという。

 この機械は持ち運びに大変不向きであり、設置するにも専有面積が大きすぎて実用化には改良が必須なのだそう。

 測定結果が出るまで五分待たなければいけないので手軽に使えるとも言えない。

 この装置の製作から月日が経っておらず、ほぼフィッシャー人間科学研究所の単独研究、単独開発であり流通までに問題が山積みである。

 この装置が市場に出回る頃には世紀を跨ぐ可能性もあり、現代に生きる能力者たちを九割九分九厘九もう救えないという概算が出ている。


 代わりに『能力遺伝子検査キッド』という物を流通させようとしている。

 能力者かどうかは判別できないが能力遺伝子を保有しているかどうかを判定することはできるのだそうだ。

 綿棒等で口の中の細胞を擦り取り、キッドに通す。能力遺伝子があると陽性反応が現れるという手軽な検査キッドである。

 しかしこれも急ぎで開発した物であるため精度がかなり悪いとのことだった。

 こちらも改良が余儀なくされているが、大型の機械を改良するよりは少ない時間で済みそうだ。


 アダンが能力者判別機で四人を調べたところもれなく全員に能力者判定が出た。

 クウヤはとても驚いていた。

 自分が能力者であるとは微塵も思っていなかったからである。

 判別機ではどんな能力を持っているのかまでは分からない。

 それ以前に能力者がどんな能力を持っているのかを診断する方法がまだないのだという。

 クウヤはもどかしい気持ちに侵された。


 質疑応答が終了するとアダンは言った。


「先ほど能力は病気のようなものと言ったが、悲観する必要はない。正しく能力が扱え、正しい知識があるならば能力の暴発は防げ、日常生活になんら支障をきたさなくなる。能力者は寿命が短いという統計があるが、それを除けば健康状態に関しては健常者と遜色ない。外観からは何も分からない点で健常者の理解を得るのは難しいだろうが、何百年かかってでも俺は現代いまを生きる全ての能力者とこれから産まれる全ての能力者を救いたい!まずは不当に根付いてしまった差別意識を排除する必要がある。そのために俺は活動している」


 四人は深く頷いた。


「長くなったな。一度休憩しよう。脳も酷使させてしまったようだから三十分とるか。時間になったら能力の話をしようと思う。いいか?」


 反対意見はなかった。

 講師は部屋を後にした。

 生徒たちは対照的にその場に残った。

 喋る気力すらなく、全員机に突っ伏した。


 定刻となった。

 クウヤとミクリは爆睡していた。

 クウヤはともかくとしてミクリには年齢的に内容が難しすぎたのかもしれない。

 ビゼーとロッドはアダンにも相談し、二人をそっとしておくことにした。

 アダンは講義を再開した。


「では能力について教えよう。その前に『生気しょうき』について解説しなくてはならない。能力を語る上では欠かせない要素だ」


 こう前置くと説明を始めた。

 この話もビゼーとロッドが理解するのにかなり時間がかかってしまった。

 従って簡潔にまとめることにする。


 ——生気しょうき——

 「生きる気」

 字の通り、生き物であれば動植物関係なく全ての個体が放っている所謂オーラのようなもののことを言う。

 ここでは特に人間の生気しょうきについて言及する。

 人間には体内から体外に放出される物質が多々ある。

 尿や汗といった可視物質だけでなく皮膚ガスやフェロモンといった不可視物質もある。

 生気しょうきも不可視物質のうちの一つである。

 体内で生成され、臓器や筋肉といった体内の器官を動かすのに必要不可欠な物質であるらしいが、フィッシャー人間科学研究所による研究で発見されるまで、その存在すら考えられていなかった物質である。

 研究しているのはフィッシャー人間科学研究所だけであるため、未知の物質と言っても差し支えないだろう。


 余剰分の生気しょうきは体外に放出され、体内の『生気量しょうきりょう』は常に一定になるように保たれている(生気の恒常性)。

 生気量しょうきりょうというのは単純に生気しょうきの量のことである。普段語られることが少ないため量とはいっても単位は定められてはいない。

 余剰分の生気しょうきは汗に微量に溶け込んで放出される。


 もちろん人体の話であるのでもれなく個人差がついて回る。

 つまり一概に生気しょうきは汗に溶け込むと言うことはできない。

 よく芸能人のオーラがどうのこうのという話を聞く。

 これは観測者が対象者の生気しょうきを感じとっていることで起こる。

 この時の生気しょうきはもちろん汗に溶け込んでいるわけではなく、皮膚から直接放出されているのだ。

 生気しょうきは生きている限り常に生成されている。生きている間は生気しょうきが尽きることはない。

 しかし万が一生気しょうきが体内から消失すると人は死に至る。脳に異常がなくても心臓が鼓動を続けていても全く関係がない。

 稀に死んだはずの人間が蘇ったというニュースを聞くことがある。

 それは、わずかに生気しょうきが残っていたために生命活動が完全には停止しておらず、生気量しょうきりょうが生命維持に必要な最低限に達することで心肺機能が再生したことが原因である。

 つまり心停止は生気しょうきさえ十分にあればどうにでもなる。しかし反対に解釈すると、完全に消失してしまった生気は二度と元に戻らないのだ。


 人の死に密接に関わる物質であるのに発見されなかった要因はただ一つ。

 生きているか死んでいるかは目で見て判断ができるからである。

 たとえ死が目に見えない物質によって支配されていたとしても誰も気に留めない。気に留める理由がないのだ。

 前述の例も「不思議だね」で済まされてきたのである。

 こうして生気しょうきは人間の好奇心と科学技術の発展から逃れ続けてきたのだ。


 ロッドとビゼーはこのようなことを理解した。

 講義は「生気しょうきと能力の関係」へと内容を移していく。

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