第四十九頁 講義 壱——研究所・能力者——
一七三二三年十二月十九日(日)
大米合衆国・ボリビア州 コーユー市
アスファルトの道が見えるところまで出て、タクシーを拾った。
アダンの荷物を入れるのにも苦労しない大きなタクシーだった。
三十分ほど車に揺られ、目的地に着いた。
建物の外観からは宿のようには見えなかった。
まるで多目的施設のような装いである。
建物の内部に入っても印象は大きく変わらなかった。
五人がアダンの宿泊しているという部屋の中に入ると、先ほど休暇を与えられた男性が気まずい顔をして部屋にいた。
言葉は発さず会釈だけする。
荷物を取りに来ていたのだろう。
身支度を済ませると一礼して出ていった。
改めて部屋を見渡す。
宿と聞いていた四人だが、実際見てみると宿という言葉を考え直してしまった。
まるで合宿部屋である。
窓は四面ある壁のうち一面にのみ、出入り口の反対側に張られていた。
比較的大きな窓で、壁中段辺りに一列に配置されている。
自然光が割と入ってくるので閉塞感はない。
一台につき二人——無理をすれば三人——横並びで座れそうなキャスター付きの机と、座り心地の悪そうなパイプ椅子が部屋の後方にまとめて置いてある。
部屋のドアが完全に閉まったのをガッチャンという音で確認するとアダンは四人に指示した。
「後ろにある机と椅子を並べてくれ。机は二台出せば四人座れるだろう。準備が出来次第、着席しろ。お前たちが知りたいことを教えてやる。フィッシャー人間科学研究所のこと。それから……魔人のことだ」
机と椅子の準備が完了した。
陽はほぼ落ちかかっていた。
部屋の明かりを点ける。
アダンはカラカラとキャスターが付いたホワイトボードを転がし、四人が座る場所全てから見やすい位置で停止させた。
席順はアダンの方から見て、左からクウヤ、ビゼー、ロッド、ミクリの順である。
ようやくアダンは説明を開始した。
「では始めよう。まずはその名刺に書かれているフィッシャー人間科学研究所の説明からだ。フィッシャー人間科学研究所は……まあ、欧州にある研究施設だ。俺はそこの所長代理も務めている。そこで俺たちが日夜研究している内容。それこそが魔人についてだ」
「え〜!」
クウヤだけが声を上げた。
自分だけ大声をあげたクウヤは恥ずかしくなった。
残り三人はなんとなく察していたのだ。
アダンは魔人についてどう思うかを聞いていたし、魔人について教えると彼の口から聞いている。魔人に対して否定的な想いも感じなかったことから魔人と何かしらの結びつきがあることは予想がついていた。
しかし三人が驚いていないわけではない。
この世に公的に魔人を研究している施設があることは彼らを最も驚かせた事実である。
大米合衆国をこれだけ歩いても見つけることはできなかった。
魔人の専門家に出会えたことが既に奇跡なのである。
この機会を逃したらもう二度と魔人に関する情報を聞くことができなくなるかもしれない。
四人はアダンの話に大いに耳を傾けた。
アダンは説明を続ける。
「俺たちは長年の研究の末、魔人に関する様々な事実を解明した。しかし依然として不可解な謎も豊富に存在している。魔人の全てを解明するには人員と時間がまるで足りなくてな。だが、依然として魔力に関しては未だ手付かずの部分が多い。専門の研究員でも詳しく語れるものはいない。明らかになったことは氷山の一角だと認識してもらって構わない。しかしいつまでも氷山を放っておくのは研究者としての矜持が許さない。俺は必ず氷山を調べ尽くしてその全容を解明してみせる!そして魔人不遇の時代を終わらせる!少しでも多くの魔人に俺の研究の成果を知ってもらい希望を抱かせたい。地球上のすべての魔人を救うのが俺の目標だ。それを叶えるためにお前たちに情報を提供する。しかし全てを理解する必要はない。それは学者の仕事だからだ。ただ魔人であることに劣等感を抱かなければならない理由など微塵もないことを覚えて帰ってほしい。いいか?」
「はい!」
四人は返事をする。
まだ何も聞いていないが心が軽くなっていた。
そして皆が待ち望んだ瞬間がついにやってきたのだ。
「まずは魔人に関して教える。だがその前に言っておきたいことがある」
「えっ?」
果たしていつまで焦らされるのだろうか。
四人はもどかしい気持ちでいっぱいになった。
そんなこととは露知らずアダンは語る。
「俺は今までお前たちに合わせ『魔人』という言葉を使っていたが、俺はこの言葉が嫌いだ。聞けば聞くほど、言えば言うほど
「お〜……」
(思ったより普通!)
四人は思った。
うっすら拍手をしながら「能力者」と言う言葉を反芻した。
アダンは続ける。
「後で言うのも面倒だから先に言う。能力者が持っている力のことを世間では『魔力』と呼ぶが、俺は『能力』と呼ぶ。用語は都度解説していくが、まずは二つ。共通言語として認識しておいてもらいたい」
四人は頷いた。
しかしクウヤはどうにも我慢できなくなってしまった。
「あのさー、なんかすげーふつうじゃね?」
「文句か?」
声のトーンがほとんど変わらないので分からないが、若干怒っているのかもしれない。
「いやそうじゃないけどもうちょっとカッコイイ名まえとかあったんじゃないかな〜って……」
「名付けは科学者のすることじゃない。俺の名前を冠してもよかったんだぞ。科学の用語はそういったものが多いからな。『能力者』というのは万国共通で平易な名称を使用した方が良いと考えての命名だ。文句があるなら代替案を募集する。何がいい?」
「ナ、ナンデモナイデス」
もちろん代替案はない。
もしアダンの名を冠した名称が生み出されたとしたら「エストレ人」とでもなるのだろうか。
それならば断然「能力者」の方がいい。
クウヤは大人しくした。
「話を続けてもいいか?」
四人は大きく頷いた。
「この世には二種類の人間がいる。能力者と能力者でない者。俺は後者を『健常者』と呼ぶ。由来は話を聞いていれば分かるので割愛する。研究を開始するにあたって、俺の師は能力者と健常者は何が違うのかをまず調べた。結果、能力者は染色体異常を引き起こした個体だ、ということが分かった。能力者の染色体の遺伝子を観察すると、健常者には見られない特定の配列が見られた。然もその配列は観察した全ての能力者で同一の染色体に存在し、完全に一致していた。師はその配列を簡単に『能力遺伝子』と呼んだ。『能力者とは能力遺伝子を保有する人間である』一度はそう定義した。しかし例外を見つけてしまった。能力遺伝子を有するのにも関わらず、能力を持たない人間だ。これを一時的に『潜在能力者』と呼ぶことにする。師は能力の自覚症状がないだけではないかと疑った。だが、後に師は能力者の身体能力が健常者と比べはるかに高いことを発見した。それに例外はなかった。そこで、もう一度潜在能力者問題に向き合った。と言っても単純に体力測定を実施しただけだが。結果、身体能力の観点から論ずると潜在能力者は健常者と同等だということが分かった。能力遺伝子を保有するからといって能力者ではないということが判明した。従って、今度は潜在能力者と能力者の違いを調べなくてはならない。そして見つけた。潜在能力者は一対の染色体のうち片方しか能力遺伝子が存在していなかった。染色体は対になっていると思い込んで最初には調べていなかった。それが一度迷宮入りしてしまった理由だ。このことから反対に能力者は一対の染色体両方に能力遺伝子があったことを意味するが、ここから考察できること。能力とは潜性の形質だった。つまり潜性遺伝子疾患だったということだ。師は能力のことを医学用語で『先天性個体別超常能保有症』と制定した。俺は師の意志を継ぎ、病院等で診断してもらえるよう医師に周知を促しているところだが、どこの医者も堅物が多くて人の話を聞きやしない。自分が一番偉いと勘違いしてやがる。話にならない!奴らに命は預けられないな」
一通り喋り終えたところで講師は生徒を見た。
そこには悲惨な状況が広がっていた。
左から爆睡、頭を抱える、俯き深く悩む、放心状態。
「どうした?」
アダンは状況を問うた。
ロッドが答えた。
「すみません。あの、ほとんど何も分からなかったです。なんか難しい言葉がたくさん出てきてそれでグチャ〜ってなっちゃって……ミクリちゃんもこんなだし、クウヤも死んでるし……ビゼーは分かった?」
「いや……」
ビゼーは首を何度も振って答えた。
「これが難しいか……だが、これ以上どう説明すれば良い?かなり分かりやすく噛み砕いたはずだが」
ロッドは思った。
(エストレさんって説明がへt……苦手なのかな?)
「色々気になることはあるんですけどお話を一つずつ確認しても良いですか?」
「あぁ、構わない」
「人間を二種類に分けると、能力者と健常者のどちらかに分かれるんですよね?」
「そうだ」
「そしたら、さっきのお話の中で出てきた潜在……なんでしたっけ?」
「潜在能力者か?」
「はい。それはどっちになるんですか?」
「健常者だ。能力は潜性遺伝子疾患だからな。能力者と言うには能力遺伝子を二つ保有している必要がある。一つしか持っていない潜在能力者は健常者だ。この単語はあくまで便宜上使っているだけであって、分類上ではあってもなくても同じだ。むしろあった方が厄介になる」
「あぁ〜。潜在能力者はなんとなく分かりました。ただ『せんせーいでんししっかん?』って何ですか?」
「ある因子が二つ揃って初めて発生する病気のことだ。フェニルケトン尿症やガラクトース血症のようなものがある」
もはや例えが分からない。
「……え〜っと……さっき話してもらったことを整理すると『能力者と健常者っていう二種類の人間がいて、能力者っていうのは遺伝の病気だった』あと『能力者は健常者よりも圧倒的に身体能力が高くなる』ってことですか?」
「そうだ。厳密には能力者が病気なのではなく、能力を持っていることが病気だ。概ね理解できているじゃないか」
長々と喋っておいて、伝えていた情報がこれだけだったのが信じられない。
それに最後の訂正は正直、どうでもいい。
この説明が長らく続くのかと思うと、ロッドは先が思いやられた。
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