第四十五頁 再四

 アダンと別れてすぐ、ミクリは覚悟を決めた。


「あの!」


 クウヤ、ビゼー、ロッドの三人は目を丸めた。

 この二ヶ月弱、ミクリから話しかけてきたことがなかったからだ。


「どうしたの?」


 なるべく驚きを表情に出さないようにしてロッドはミクリに尋ねた。


「えっと……この前はごめんなさい!みんなに迷惑をかけないようにと思って、必死に追いつこうとしてて……でもやっぱり私にはキツくて……気づいてほしかったとかじゃないんだけど、気づいてもらうの待っちゃってた。できないって言うのがはずかしくて。でも何も言わないほうが迷惑かけてたんだって思いました。ほんとにごめんなさい!」


 ミクリは頭を下げた。

 三人は再び目を丸くしていた。

 ミクリがこんなにも長く喋っている姿を見たことがなかったからだ。


「ミクリちゃん!顔上げて!」


 ロッドが優しく言う。

 ミクリはゆっくりと姿勢を正した。

 ロッドとビゼーは笑っていた。


「もう過ぎたことだ。今更そんなこと言ったってしょうがねぇだろ!」


「ミクリちゃんが言うように自分で言ってくれても良かったのは確かだね。でも俺たちも反省してるんだよ。いつまでも謝られたら俺たちもずっと謝り続けなきゃいけないでしょ?だからこれで終わりにしよ!悪かったのはお互い様ってことで。これ以上この話はなし。ね?」


「迷惑……だった?」


 二人がほとんど気にしていないことを知って、ミクリは余計なことを言ってしまったんじゃないかと気を落とした。


「迷惑なんかじゃねぇよ。お前から意思表示してくれるならありがたいことだ。お前が気にし過ぎてるって分かったから、俺たちは気にするなって言っただけだ。深く考えすぎなんだよ」


「誰も迷惑なんて思わないよ!」


 二人の慈悲の心はミクリの涙腺を緩ませた。

 しかし涙を溢すのは必死に我慢した。

 目が潤まないように必死に堪えた。

 ここでクウヤが口を開いた。


「なんのはなし?」


 ミクリの長尺セリフに驚いたまま彼の思考は停止していたのだ。


「……」


「おいっ!」


 ビゼー、ロッド、ミクリは一斉に吹き出した。


「行こう!」


 ロッドが言った。

 ビゼーと共に進行方向を向いて歩き出した。


「あっ、待って!」


 二人が歩き出した直後、急停止した。


「もう一つ……」


 ミクリは右手の人差し指を胸の前で立てていた。


「勉強がしたいです……」


 ぼそっと言った。

 言いながら伸ばした人差し指をそっと引っ込めた。


「えっ?べんきょう?かわってんな」


「お前は黙ってろ!」


「勉強って、国語とか算数とかのことだよね?」


「うん。私、おしゃべりがヘタクソだから学校になじめなくて……お友達とかもいなかったし、学校行きづらくなっちゃって……お家でお母さんに教わったりもしてたんだけど、今お家にいないから」


「そういうことなら教材買おうか!ビゼーなんか良いのある?」


「今見てる!」


 携帯を見ながらビゼーは答えた。


「多すぎだろ……どれが良いのかさっぱり分かんねぇ……」


「ミクリちゃん、家で使ってた教材ってなんだったか覚えてる?」


 ミクリは首を横に振った。


「あっ!」


 ビゼーは大きな声を出した。


「いいの見つかった?」


 ロッドが明るめの表情でビゼーの方に顔を向けた。


「いや、そうじゃねぇ。信頼できる伝手つてがある」


 大手通販サイトのウェブページを開いていたビゼーはその画面を閉じ、どこかへと電話をかけた。


 電話を切ってから三分ほど待つと一人の男が四人の元へやってきた。


「待ってましたよ」


 まだビゼーと男との距離は遠かったが、ビゼーは男に話しかける。


「久しぶりですね!この前までラスベガスにいらっしゃったのに。もうこんなところまで進んでらっしゃったんですね」


 丁寧な口調で男はビゼーと話した。

 話している間に顔が見える距離になった。

 クウヤは男の顔を見て、ビゼーが誰を呼んだのか把握した。

 ビゼーは男と会話を続ける。


「途中、船を使ったんですよ。あまりに暑過ぎたんで」


「赤道も近いですしね。何やら小さな女の子も連れているようですし、懸命な判断ではありませんか?」


 船を使ったのはミクリが仲間になる前だ、とビゼーは言えなくなってしまった。

 ビゼーが黙り込んだのを見て、今度はクウヤが男と話した。


「すげーひさしぶりですね!ジャックさん!」


 クウヤは思わず笑みがこぼれるほどジャックとの再会を喜んだ。


「私の名前をお覚えになっていたのですね!光栄です!しかし申し訳ありません!私の方があなたのお名前を把握できておりませんでして。よろしければお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


「クウヤ・インディュラです!オレ名まえ言ってなかったでしたっけ?」


「——!え、えぇ。前回会った時は聞きそびれてしまいました。以後、記憶しておきます。クウヤ・インディュラ様ですね?」


「は、はい、でも『さま』とかやめてください!」


「失礼致しました。インディュラさんでよろしいですか?」


「えぇ?名字?」


「それではクウヤさんがよろしいでしょうか?」


「はい、それでよろしくおねがいします!ほんとはさんもいらないけど……」


「流石に敬称を省略してしまうとビジネスに差し支えてしまいますから。クウヤさんでお許しいただけないでしょうか?」


「わかりました……」


 分かりましたと言いながらクウヤは意味を理解していなかった。


「ありがとうございます!そちらのお二人はお初にお目にかかりますね。私、便利屋ジャッキー代表のジャック・スミスと申します。以前アンダーウッド様のご依頼を承った経験がございます。お二人におきましてもご贔屓に。気軽にお問い合わせください」


「は、はい。俺、ロッド・アーロンソンです」


「石澤美玖莉です」


 全員が全員の名前を把握したところでビゼーが切り出した。


「本題の前にジャックさんにお願いがあります」


「なんでしょう?」


「その胡散臭いビジネススマイルとビジネス口調辞めませんか?」


「胡散臭い、ですか?」


 ビジネススマイルが崩壊した。

 真剣な表情である。


「完全に俺の勘ですけど、何か隠して俺たちに接近してませんか?」


「なるほど……」


(やっぱビゼーコイツは敵に回しちゃいけねぇな)


「素のあんたと話したいんですよ、俺は」


 ジャックは開き直った顔をして言った。


「フッ……分かった!乗ってやる!俺に鎌をかけるやつなんて滅多にいないからな。ちょうど俺もお前らと良好な関係を築きたいと思っていたところだ。お互い本音で話せる環境を作ってくれたことに感謝する。んで本題ってのは何だ?クソ暑いとこに呼び出しやがって!普通室内だろ!こういう時は!」


「あっ、すみません……」


 こうなることが分かっていたような、分からなかったような。ビゼーは、ジャックにはまだ隠し事があると感じた。


「謝んのはいいから早くしてくれ」


 ジャックが急かす。


「あ、はい。ミクリが勉強したいって言ったんです。でも俺たちにはどういう教材を選んだらいいか全く分かんないのでジャックさんに聞きたいんです」


 ジャックは顎の下に手を添えて呟いた。


「なるほどな〜。嬢ちゃんのテキスト選びね〜」


 数秒の沈黙の後ジャックは四人に言った。


「おし!その件は俺に任せろ!こういうのは慣れてる!よくあんだよ、孫に勉強させたいんだけどどうしたらいいかしら、って相談が。文句あったら都度、俺に言ってくれ!どんなのが嬢ちゃんに合うのか分かんねぇから最初テキストは複数買っていいか?」


「はい。お好きなように……」


 ビゼーは答えた。


「で、嬢ちゃん!得意・苦手科目はあるか?」


「ない……です……」


 ミクリは答えた。


「その歳で好き嫌いがねーのは大したもんだ!流石だな。教材の代金は預かってる現金から引いとくぞ!じゃあな!」


 ジャックは四人に背を向けた。


「はい。お願いします!って金は?」


 ビゼーは慌てて聞いた。


「なんの?」


 わざとではない。本当に知らないという顔をしていた。


「いや、今回の!」


「あ〜。いらねっ!」


 キッパリ言った。


「えっ?」


 四人で驚いた。


「代わりにお前らの成長を見せろ!俺の期待を下回ったり、俺を失望させた時にゃお前らから手を引かせてもらう!」


 ジャックは意味不明なことを言い出した。

 何一つ理解できることがないのに勝手に手を引かれては困る。


「成長?ってか、そんな勝手な!」


 ビゼーはジャックの背中に怒声をぶつけた。

 するとジャックは首だけ振り返ってビゼーに行った。


「素の俺と話してーって言ったのはどこのどいつだ⁈俺はこういう人間だよ。嫌なら切ってもいいんだぞ!どうする?」


「……繋がったままで」


 納得できないがこう言うしかなかった。


「お前ならそう言うとと思ったよ。これ渡しとく!」


 ジャックがポケットから何かを取り出しそれを放り投げた。

 その何かは綺麗な放物線アーチを描き、頂点に達したところでビゼーの方に向かって落ちていった。

 自分の方に向かってきて初めて分かった。意外と大きい。


「お、おぉぉぉぉ……っと」


 風に流されつつもビゼーの手中に納まった。

 それは機械だった。ボタンが一つだけ付いている。

 用途は分からない。

 その謎は瞬時に解決した。


「それは通信機だ。俺に直接繋がるようになってる。GPSも付いてっから失くすなよ!じゃあな〜」


 再びジャックは顔をつま先と同じ方に向けた。


「待ってください!あなたは俺たちに何をさせようとしてるんですか?」


 謎の通信機を貰い、成長しろと注文をつけてきた。

 ビゼーの勘がわめいている。


 ——何か裏があるに違いない——


 ジャックはビゼーはおろか、他三人の誰の方も見ずに言い放った。


「まだ教える段階じゃねえ!俺から言わせりゃお前らはまだ受験資格を得ただけだ。受験勉強しねーと大学には行けねーだろ?そもそもそこの二人のことなんて俺は全く知らねーしな。お前らが俺の求める成果を出した時。そん時にゃ教えてやるよ。期限は未定だが、まだ時間はある。そこまではモラトリアムだ!俺の話が聞きたきゃ必死に喰らい付いて来い!」


 言い終わるとジャックは来た方へと帰っていった。


(ビゼー、済まないがお前だけは俺の求める人材になれるとは一ミリも思ってねぇ。俺のこの目がよっぽど節穴じゃない限りな)


 心の中でジャックは呟いた。


 ジャックの姿が見えなくなるまで四人は茫然としていた。

 クウヤとビゼーは思った。

 何を考えているのか結局分からなかった、と。

 さらにビゼーは思った。


(具体的なことは何も話さなかった。容易には口外できない内容ってことだ。何をどうすればあの人が認めるのかそれすらも自分で考えろってことだよな?あぁ、駄目だ。ヒントがなさすぎる。あの人に振り回されてるだけだ!これは俺の、俺たちの旅だ!意味分かんねぇことに時間割いてもしょうがねぇ!)


 ビゼーは一度深呼吸し、頭の中の雑念を振り払った。

 ロッドとミクリは思った。

 さっきの人は何者なのか、と。


「なー行こうぜ!」


 クウヤが声をかける。

 三人はチョコンと頷いて歩き出した。

 その日一日、ビゼーはロッドとミクリからジャックについての質問攻めにあうことになった。



一七三二三年十二月十九日(日)

大米合衆国・ボリビア州 某所


 ——この州では比較的平和に旅を進めることができた。しかしまったく何も起きなかったわけではない。——


 オリエンテと呼ばれる州東部の平原地帯を歩いていた時だった。


「やっぱここだよな」


 低く深みがあるが、信用できない声。

 聞き覚えのある不快な声。

 耳を通して脳みそを掻き回す声。

 四人の目の前にそいつはいた。

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