第二頁   準備

 家に帰ったクウヤは旅の準備を始めた。


「さーて、じゅんびすっかーって、なにもってけばいいんだ?」


 旅の経験がある知人などいない。身内に旅のことを聞いても無意味なことくらい分かっている。

 嘆いているだけでは何も進まないので思いつくところから手をつけていくことにした。


「とりあえず金か。おこづかい……」


 クウヤは貯金箱と財布を漁り、持ち金を数えた。総額十万円と少々……。


「たりる……か?あ、あときがえももってかねーと。ほかにひつようなもの……くつか。ヤベッ、ボロボロだったよな」


 クウヤは自室がある二階から階段を駆け降り、玄関に向かった。靴の状態は予想通りだった。日中それを履いて外出したのだから当然である。

 せっかくの卒業式だというのに履き慣らしたぼろぼろの靴で参加していた。ガウンで足元が見えづらくなっていたので気にしていなかったのだ。

 自分の愚かな行為を憂いてため息をついた。

 「かいに行くか」と呟いたあと、リビングの方に向かって大声で呼びかけた。


「おばさーん!くつかってくるー!」


「うん?えぇっ、待って〜、クウヤ!クウヤ〜?待って〜!」


 伯母の声はどこか慌てているような様子だった。それを察知したクウヤは言葉を被せるようにして言った。


「なに⁈……まってる!まってるよ!」


 少し間があいて、伯母が姿を見せた。朝方クウヤを見送っていた女性である。


「珍しい〜。いつもす〜ぐ出掛けてっちゃうのに〜」


「なんだよ、ひきとめといて。で、なに?」


「まぁまぁ、これ見てみな〜」


 伯母は下駄箱から両手で持てる大きさの箱を取り出し、クウヤに手渡した。


「なにこれ?」


 クウヤが尋ねると、伯母は開けてみろと言いたげな表情とジェスチャーをした。

 箱を開けると、靴が入っていた。新品の、灰色を基調としたランニングシューズだ。


「へ?」


 「え」と「へ」の中間、中途半端な発音で間抜けな声が出る。クウヤは伯母の顔を見た。


「ボロボロだったでしょ。旅するって前から言ってたのに、靴、全然買い替えようとしないから、先に買っちゃった。まぁ、私からのプレゼントってところかな」


 伯母は少し呆れているようだった。


「あ、ありがとう」


 照れくさそうにクウヤは感謝した。


「あまりにも準備しないから口だけかと思ってたよー。そしたら今日、急に準備始めて。買っといて正解だったね」


 小馬鹿にするようにクウヤを見ながら言った。


「ところで、なんかあった?」


 一転して真剣な面持ちだった。


「へ?」


 先ほどと同じ発音で返事をした。

 気にせず再び伯母は話し始める。


「帰ってきてからいつもより元気ないから。卒業式でなんかあったのかなぁって。それとも旅するのに緊張してる?」


 やはり少し小馬鹿にした言い方である。


「きんちょうじゃねぇよ!まー、そう。そつぎょう式の後にいろいろあってさ……つーかなんでわかったんだよ?」


「十何年もあんたのこと育ててきたんだからね〜。当然でしょ?で、何があった?」


「あぁ……学校のやつらに旅のこといろいろ言われたんだよ。おばさんはどう思う?オレが旅したいって言ったこと」


 伯母はニヤリと笑っていた。


「な〜に〜?不安なの?」


「だから、ふ、不安とか、そんなんじゃ、ねぇよ」


「ふ〜ん?」


 クウヤの反応を見て楽しんでいた伯母だったがまた真剣な顔に戻って話し始めた。


「そうね〜。時代も時代だし、難しいとは思うけどね。まぁ、チャレンジすることはとても大事なことだからさ。やりたいって思ったなら一旦やってみればいいんじゃない?って私は思うよ。やっぱ違う〜とか、やっぱムリ〜とか思ったら帰ってくればいいんだし。私はクウヤのやりたいことを応援するだけだからね〜。そういえば、スカーレッドちゃんは何か言ってた?」


「さっきおばさんが言ったこととおんなじこと言ってた。」


「でしょ〜!あの子が大丈夫って言ってるんだから大丈夫だよ!」


「いや、だいじょうぶなんてぜんぜん言ってなかったけど?」


「あっ、そ〜お?私には大丈夫だって言ってくれたんだけどなー」


「へぇ〜……って、えっ、アイツ知ってたのかよ!」


「うん。靴選びに行った時にあの子と話したからね。靴も一緒に選んでくれたんだよ〜。びっくりしてたけど、『クウヤなら大丈夫ですよ。』って言ってくれた。ホント良い娘だよね」


 旅をすることは彼が同居している伯母と叔父にしか話していない。伯母がスカーレッドに話していたことも初耳だった。

 クウヤはスカーレッドが抱負発表の時に本気で怒った理由がようやくわかった気がした。


「そうだったのか。ってか、なんでアイツ、くつやにいたの?」


「卒業式のための靴買いに来てたみたい。アンタみたいにボロボロの靴で行く子なんて普通いないからね。みんな綺麗な靴履いてたでしょ」


「知らねーよ。くろいのが足まであってくつまで見えないって。つ〜か、みんなあたらしいくつはいていくってわかってるならよういしてくれてもよかったじゃん!」


「ガウンで隠れそうだったし、そもそもクウヤが何も言わなかったしね〜。まぁ、新しい靴は今あげたからいいでしょ?そんなことより女の子の変化に気づかないなんて最低ね!あれほど言ったのに。私は女の子の変化を平気で無視できるような男に育てた覚えないのに〜!」


 伯母は泣いてる風に両手を両目に当てる仕草をした。


「何言ってんだよ?オレ、見えなかったって言ったじゃん」


「見えるとか見えないとかじゃなくて感じなさいよ!」


「くつあたらしくしたのをどうかんじろっていうんだよ!ってか、おばさん、女子のへんかにきづけなんてオレに言ったことあったっけ?」


「ないよ。でも気付いてあげなさいよ」


 何事もなかったかのような表情で言った。

 クウヤはイラッとした。しかし早々に別のことを考えた。


「はっ?まぁ、とにかくアイツにちゃんと感謝しないとだな」


「えっ、な〜に〜?スカーレッドちゃんと何かあったの〜?聞〜か〜せ〜ろ〜。この〜」


 伯母はクウヤの発言から何かを感じたらしい。からかった口調でニヤニヤしながらクウヤの髪をワサワサした。

 あまりにしつこいのでクウヤは講堂での一部始終を詳細に話すこととなった。


 随分長い間伯母の詰問に遭い、ほとんど旅の準備ができないまま夜になった。

 二階の自室で持ち物に関して頭をひねっていた時、一階から伯母の呼ぶ声が聞こえてきた。


「クウヤー!明日何時に出るのー?」


「六じには出るよー!」


「夜のー?」


「んなわけねーだろ!あさだよ!あさ!」


「はいは〜い!晩御飯は食べるー?」


「食うにきまってんだろ!今日はまだいるんだからさ!」


「オッケー!」


「なんだよ、オッケーって」


 クウヤの最後の台詞は伯母に聞こえないように小声で愚痴っぽく言った。

 出発前日の夜でも伯母は通常運転だった。

 結局クウヤはリュックに、着替え、タオル、空の水筒、持ち金を全て入れた財布を詰めて、口を閉じた。


 少し経って、肉が焼ける匂いが漂ってきたので、クウヤは自室を出てダイニングへと向かった。彼の姿を視認するなり伯母が話しかけた。


「今日はステーキにしたよ〜。クウヤの最後の晩餐かもだからね〜」


「バンサンってなんだよ?」


「もう少し知性を磨いてからの方がいいんじゃない?旅するの」


 献立を伝えた時より、かなり声のトーンが低かった。クウヤは無視して椅子に座ろうとするとあることに気づいた。


「あれっ、おじさんは?」


「会食だって。帰るのも遅いみたい。明日の朝はいるっていうからそれで許してあげて」


 甥の出発前日に夕食を一緒に食べてくれない叔父にクウヤは少しばかり腹が立った。


「忙しいのは知ってるけどさ〜。いただきます!」


 クウヤはフォークを手に取った。

 勢いよくステーキにかじり付く。今までに食べたことのない柔らかさの肉だ。極上至高の肉に自然と笑みが溢れる。最高級の肉に夢中になり、気付けば叔父がいないことなどどうでもよくなっていた。


「ごちそうさまでした!」


 晩御飯を心ゆくまで堪能した。

 明日の朝は早い。

 夜更かしはせず、普段より早く眠ることにした。

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