ココロ・ノート〜死にかけて、人の心の音が聴こえるようになりました。揉め事を【調律】して解決していたら、王国から頼られて困ってます。王子様を助けたりもしたけど、聖女なんて望んでいません〜

名雲

第1部 王都ハルモニア編

第1章 調律師の目覚め

第1話 心の音が聴こえた日

 ――――鳥が、飛んでいる。


 

 鳥たちのさえずりに耳を傾けると、軽やかな歌声が降り注いでくる。


 ヒバリのソプラノ。

 ツバメのアルト。

 カラスのバス。

 鳥たちのカンタービレ。


 春のやわらかな陽射しに目を細めて、あたたかな風に吹かれて揺れる草むらの音に耳を傾ける。

 うららかな春のひととき。


 

 耳を澄ますと聴こえてくる。



 


 ――――が。



 いつも笑顔が素敵なパン屋のおばさんから聞こえてくる、暗く重いコントラバス。絶望を抱えているような、悲しみの調べ。


 陽気な鼻歌を唄いながら肉を切っている肉屋の主人。ダン!ダン!ダン!と激しく太鼓を叩くような、憎しみの音。


 手を繋いで仲睦まじく歩く若い夫婦。夫は軽快で明るい音楽で幸せを刻んでいる。だけど妻は、高く細く震える音……深い深い不安の音色。


 広場で走り回っている少年からは、軽快で楽しそうな音。子供の心は裏表がなくてシンプルだ。

 


 あの日。

 濁流に飲まれて意識を失って、三日間も目が覚めなかった。

 意識が戻って、命を繋ぐことが出来たと安堵したあの日から――――。





 私は――――人の心の音が聴こえるようになった。




 


 数日前。


 目を開けた。

 ぼんやりとした視界に、見慣れた木の天井。

 鼻を突く薬草の臭い。乾燥したハーブと、何か苦い煎じ薬の香りが混ざり合っている。

 

 ……ここは……村の診療所?

 

 窓から差し込む柔らかな光。

 外では鳥がさえずっている。まるで楽器を奏でているみたいに聞こえるのは、まだ頭がぼんやりしているせいかな。



 私は…………生きてる…………。


 

 まだぼんやりとした頭のまま、体を起こそうとして、全身の痛みに顔をしかめた。

 身体のいたるところが悲鳴をあげている。

 うう、痛い……。どれだけ川に流されたんだろう……。



 「…………アリア…………?」


 低くて、震えてる声。


 わたしはゆっくりと顔を向けた。

 父が、そこにいた。

 

 父、リゾルート・カンタービレ。

 いつもは無口で、感情をあまり表に出さない人。

 大きな手、日焼けした顔、深く刻まれた皺。


 その父の顔が――今はぐしゃぐしゃに歪んでいる。



「お父さん……」


 私が声を出すと、父の目から大粒の涙が零れ落ちた。



「よかった……本当に…………よかった…………」


 父は私の手を握りしめている。

 その手は、震えていた。

 木こりの力強い手が、まるで幼子のように震えている。



 その時だった。



 父の心から――――――きた。



 いや、聴こえるっていうのは正確じゃない。

 

 



 深く響くチェロが、悲しそうな旋律を奏でている。

 震えるヴァイオリンが、恐怖を囁いている。

 でもその上に……あたたかなヴィオラが、安堵の響きを重ねている。


 悲しみ、恐怖、そして――深い安堵。

 3つの感情が、複雑に絡み合った音楽。

 

 でも、父の口は動いていない。

 食いしばった口元から嗚咽が漏れているだけで、彼はただ、私の手を握っているだけ。

 なのに、心の音が……父の心の音楽が、私の心に流れ込んでくる。

 


 …………これは、なに?

 わたし、今……何を感じているの……?



 理解できない現象に驚いたけど、涙を流し続ける父を放っておくわけにもいかなくて…………。



「お父さん……心配かけてごめんね……大丈夫。私、ここにいるから」


 私はそう言って、父の手を握り返した。



 すると――――不思議なことが起きた。



 父の心の音楽が、少しずつ変わっていく――――。



 …………悲痛なチェロの旋律が、静まっていく。

 …………震えるヴァイオリンが、落ち着いていく。



 代わりに、あたたかくて穏やかな音が響き始めた。


 それは――――安心と、愛情の調べ。



「よかった…………アリア…………お前が無事で…………本当に……」


 父は涙を流しながら、私をそっと抱きしめた。


 私は父の胸で、彼の心臓の音を聞いた――――――ドクン、ドクンと脈打つ鼓動。

 そして、その奥に流れる穏やかな心の音楽を感じていた。


 私は混乱していた。

 ただ、それと同時に、自分になにか大切なことが起きたような気がしていた。





 —————世界が、変わった。

 

 いや、変わったのは、私の方だった—————。


 




 父が荷物を取りに家へと向かった後、私は一人になった。

 

 ふと、窓の外を見る。

 空に浮かぶ2つの月。

 クレッシェンドとディミヌエンド――――。

 白銀と青の光が、寄り添うように浮かんでいる。


 私はベッドに横になりながら考える。



 ――――――あれは、何だったんだろう。

 

 父の心から聴こえた音楽。

 いや、聴こえたのは父だけじゃない。

 

 思い出す。川に流された時のこと――――――。







 それは、3日前のことだった。


 アンダンテ月の十二日。初夏の、爽やかな朝。


 私は村のはずれにある小川で洗濯をしていた。

 清らかな水の流れる音が、心地良く響いてくる。

 

 私は川のほとりに座り込んで、母の形見のショールを丁寧に洗っていた。


 母、カンタータ・カンタービレ。

 5年前に流行り病で亡くなった。

 温かくて、優しい人だった。


 母が歌ってくれた子守歌は、今でも色褪せずに私の心に響いている。


 このショールは母が大切にしていたものだ。

 淡い水色の、やわらかな布。

 私はそれを水ですすぎながら、母のことを思い出していた。



「――――――大変だ!!」


 突然、少年の悲鳴が聞こえた。


 振り返ると、村の子供たちが小川の上流へと走っていく。

 何かあったんだ――そう直感して、洗濯物を岸に置いて駆けだした。



 上流では小さな子供が川の中州に取り残されていた。

 トミーだ。村の鍛冶屋の息子。いつも元気に走り回っている子。


 山の方で雨が降ったんだ!いつもより川の流れが速い……!


 中州への道は川に沈んでいて、トミーは怯えた表情で立ち尽くしている。



「大丈夫よ! 今助けるから!!」


 私はトミーに声を掛けて川に入る。

 冷たい水が腰まで届く。

 流れが思ったより強くて、足元の石が滑る。


 それでも、トミーの恐怖に震える瞳を見て、立ち止まることはできなかった。


 中州に辿り着いて、トミーを抱きかかえる。



「もう怖くないよ。一緒に帰ろうね」


 ぎゅっとしがみ付くトミーに優しく声をかけて、岸へと向かおうとした—————その時。



 ゴオオオォォォォォォォ!


 上流から――何かが来る。


 土砂交じりの濁流が、猛烈な勢いでこちらに向かってくる!



「えっ――」


 山の斜面が崩れたんだ。

 あの茶色い壁が、中州に取り残された私たちを飲み込もうと迫ってくる。


「危ない!」「逃げて!」


 岸にいた子供たちの悲鳴が聞こえる。



 いやだ……怖い――!


 頭が真っ白になる。



 でも、腕の中のトミーが震えているのを感じて、我に返った。


 逃げなきゃ――この子を守らなきゃ!

 

 私はトミーを強く抱きしめて、必死に岸を目指した。


 足が動かない――水が……重い――!

 ――――――間に合わない!



 濁流に呑まれた。

 

 全身を包む水が、私たちを引きずり込む。

 視界が暗くなる。口に水が入る――。

 

 ――――――息が、出来ない――!


 怖い!怖い怖い――!!

 

 トミーを離しちゃいけない……!


 頭ではわかってるのに、腕の力が抜けていく……意識が遠のいていく――――――。



 …………お母さん…………。



 暗闇の中で母を思い出す。

 母の優しい笑顔。

 母の暖かい腕。

 母が歌ってくれた子守歌。



 もう少し……生きていたかったな…………。

 


 ――――――その時。


 暗闇の中で、光がみえた。


 ――いや、光じゃない。これは――――音?



 音楽が聴こえてくる。世界の奏でる音楽が――――。

 

 そして、



 岸にいる子供たちの心の音。恐怖と祈りの調べ。

 駆け付けた大人たちの音。焦りと必死の思い。


 そして——腕の中のトミーの心の音。

 震える、か細い、消え入りそうな音。


 生きたい…………お母さん…………お父さん…………。

 助けて――――!


 トミーの心が、泣いている!?


 

 その瞬間――私の中で、何かが弾けた。


 胸の奥から、熱いものが溢れ出す。



 この子を助けなきゃ!!


 必死の想いが、音になって響く。


 私の心が、歌い出す。


 そして――不思議なことが起きた。


 力が、湧いてくる。



 必死の想いに応えるように力が湧いてくる。

 腕に力を籠めて、トミーを抱きしめる。

 足を動かして、必死の想いで水を蹴る。蹴り続ける。


 そして――――――なんとか岸に近づけた私は、腕を伸ばしてトミーを引き上げてもらおうとする。



「よく頑張った! 今引き上げる!!」


 岸にいた大人たちが集まって、こちらに必死に腕を伸ばしてくれる。



 ――――――もう少し……!


 朦朧としてきた意識の中でも、必死で腕を伸ばして、水を蹴る。



「――――引き上げた! 次はアリア、お前だ!」


 トミーは無事に引き上げられた。

 岸辺にいる大人たちの音が、焦りと絶望の激しいティンパニから、安堵のファンファーレに変わる。



 …………よかった……………。


 その瞬間、視界が暗くなった。


 限界を超えて、必死に足掻いたからだろう。


 周囲から――――世界から聴こえる音楽を聴きながら、トミーだけでも助かった事に安堵した。



 …………でも、私も生きていたかったな……。


 そう思った瞬間、私は意識を失った――――――。








 診療所のベッドで、私は思い出していた。


 あの時から――――――世界が変わったみたい。

 

 いや、私が変わったんだ。

 


 他人の心の音が、聴こえるようになってしまった。

 これは、何だろう……?なぜ、私にこんなチカラが…………?


 窓の外では犬が吠えている。彼らの心の音も聴こえる気がする。

 

 私は、これからどうなるんだろう?

 このチカラは、なんのためにあるんだろう?


 ――――考えても答えは見えない。


 でも、ひとつだけ、わかる事がある。

 トミーを助けられた。それだけは確かだった。


 このチカラの事は考えてもわからない。

 なら、助かった事を素直に喜ぼう。



 私は、ゆっくりと目を閉じた。



 ――――――心の音が聴こえる。



 それは、これからの私の人生を、大きく変えていくことになる。


 まだ、そのことを知らない私は、ただ静かに目を閉じていた。



 ———————————————————————————————


 新作を開始しました。

 以前に書いた小説の構想や世界観を一から練り直した物語となっており、全プロットを書き上げると、結構長めの内容となる予定です。

 最後まで書ききれるように、マイペースに進めていきます。


 執筆の励みになりますので、フォローや評価などの応援をよろしくお願いします。

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