OUTSIDERS
ハイエスター黒音
プロローグ:その者、影を連れて
空が、泣いている。
それが、今は無き都市の喧騒を懐かしむものなのか――或いは、無慈悲に散ったあらゆる命を哀れむものか。
こんな絶望の渦中に、そんなことを考えている者など、いる筈もない。いなくて当然だ。それこそ、『奴ら』からして見れば「それは異常な思考だ」と嘲笑うことだろう。
……奇しくも、こればかりは、俺も同意見だ。
…また、『奴ら』の咆哮が聞こえた。それも、今度は近くから。
「終わったな…俺も、黒奈も、この人たちも」
一歩、また一歩と、ひび割れた地面を踏み鳴らし、トンネルの外の『奴ら』が姿を現す。
改めて間近で捉えた『奴ら』の顔は、まるで小物でも眺めるかのような眼で、口が微かに嗤っているかのように感じた。
「……怖い」
黒奈のその言葉に反応したかのように、目の前の『奴ら』が一斉に飛び掛かってくる。
咄嗟に黒奈を強く抱き、目を閉じる。
―――どれほど経ったのだろうか。目が覚めると、薄暗い一室のベッドにいた。
「何なんだ、ここは……っ!黒奈!」
慌ててベッドから跳ね起き、周りを見回す。
「…すぅ…すぅ」
見ると、隣のベッドで、小さな寝息を立てて眠っている黒奈の姿があった。
「何だ、寝てたのか…」
安堵の息を吐き、胸を撫で下ろしつつ、黒奈の愛らしい寝顔を見つめる。
ふと、カツン、カツンと扉の外から、甲高い音が聞こえてくる。
「足音…?いったい誰が…」
僅かに身構えながら、扉を見つめる。
やがて扉が開き、左目に隻眼をした、俺と黒奈と同じ"白髪"の男が現れる。
「起きたか。多少混乱しているようで悪いが、先に自己紹介をさせてくれ」
男はそう言いつつ、律儀に自分の胸に手を当てて、自己紹介を始めた。
「一応の名は、クロムだが――仕事柄、表向きでは『アウトサイダー』と名乗っている。無論、君らはどのように呼んでくれても構わない。」
『アウトサイダー』もとい、クロムと名乗る男は、さて…と言わんばかりに俺の顔を見つめてくる。
「次は、君らのことも聞かせてもらおう。何、緊張することはない」
それもそうだな…軽く深呼吸し、自己紹介をする。
「俺は黒華。隣で寝ているのが、妹の黒奈だ」
俺と黒奈の名を聞いたクロムが、僅かに目を見開き、すぐに表情を戻した。
「そうか――黒華、黒奈。覚えたぞ、実に良い響きだ」
クロムの言葉に違和感を感じるも、先ほどから気になっていたことを尋ねる。
「ここはどこなんだ?横になりながら、微かに振動を感じたんだが…」
俺の問いに、クロムが再び目を見開く。
…ついさっきもそうだが、何をそんなに驚くことがあるのか?
怪しんでいるのが表情で伝わったのか、クロムが僅かにたじろぐのが分かる。
「…察しが良いな。そうだ、君の言うようにこの施設は常に移動している。要は機動要塞――名を『侵域跋渉船:ペネトレートハウンド』だ」
なるほど…それなら今尚も続く振動には説明がつく。
ただ一つ、気になることがあるとしたら――こんなことをわざわざクロムに聞くのは野暮だろうが、俺は躊躇なく問う。
「その、『ペネトレートハウンド』?…って、あんたが命名したのか?」
俺の問いに今度は、本心から睨みを利かせるような目で見つめてくる。
…やはりか。どうやら、この船の名前には触れられたくなかったらしい。
何とも言い難い静寂の中、隣のベッドからギシッと音を鳴らし、黒奈が起き上がる。
寝起きのその瞼から、一筋の涙が溢れていた――
「どうした…黒奈?具合悪いのか?無理もないか、あんなことがあった後だもんな…まだゆっくり休んで――」
俺の憂慮を遮るように、黒奈は頸を左右に振った。
そして、震える声で言葉を絞り出す。
「みんな、死んでた…私たち以外、みんな…」
――は?
言葉を失った。
俺だけじゃない。クロムも、"困り果てたように"頭を抱えて、俺と黒奈から目を逸らし、伏せている。
――何か知っている。でなければそんな顔、普通しないだろ?
気付けば俺は、毛布を投げ飛ばし、クロムの服の胸倉を強く掴んでいた。
「なんで今まで隠していた…?なんでそんな、耐え難いことを黒奈の口から言わせた!」
背後で黒奈のすすり泣く声が、俺の耳を貫き、頭部の脈を激しく震わせる。
それは、一人の妹を持つ兄として、当然のことだと心底思う。
――黒奈がまだ小学生の頃、内気でクラスの誰とも話せなかったことから、当時のガキ大将と聞いていた男子と、その取り巻きから嫌がらせを受けていた。
無論、その話を聞いた俺は、母さんとそいつの家へ向かい、灸をすえてやろうと憤った。
それでも黒奈は俺の袖を掴み、その小さな頸を左右に振り、微笑んでから言った。
「だめだよ、おにいちゃん。そんなことしても、わたしはちっともうれしくないよ。だから…ね?」
そう。あの頃の黒奈は、家族の誰よりも幼く、それでいて大人だった。
そんな、余程のことがない限り泣き顔なんて見せない黒奈が、今こうして泣いているのだ。今は亡き『あの人たち』の為に――
「――っ!」
ふと、クロムの顔を見ると、俺の目を真っ直ぐに見つめていた。
どういう神経してるんだ、こいつ…!
今度は、胸倉を掴むだけでは足りず、利き手で目一杯殴ろうとして――止めた。
「だめだよ、おにいちゃん。そんなことしても、わたしはちっともうれしくないよ。だから…ね?」
黒奈のあの言葉が、俺の脳内で反芻される。
…ごめん、黒奈。それでも俺は、目の前の『こいつ』だけは、許せ――
「君のその行動は、正常だ」
――は?
一瞬、思考が停止した。
間髪入れずに、クロムが続ける。
「黒奈の言葉を思い出しているのだろう?俺もあの場で聞いていたゆえ、忘れる筈がない」
……思い出した、こいつは――
クロムの胸倉を掴んでいた腕が、脱力したかのように垂れ下がる。
その腕に微かな感触を感じ、振り返って見ると、あの頃と同じように――あの頃の笑顔のまま、黒奈が俺の袖を掴んでいた。
「…そろそろ頃合いだろう。ついて来い、君らに見せたいものがある」
クロムはそう言うと、先導するように前を歩き、部屋の扉を開け放ったまま出ていく。
あいつにしては珍しいな…と、思いながらついて行こうとして、今度は、黒奈に腕を引かれる。
突然のことに驚き、どうした?と聞く間もなく、黒奈が口を開く。
「ありがと、お兄ちゃん。私の言葉、ずっと覚えててくれて」
そう呟いて見せた黒奈の笑顔は、これまで見てきた、どんな表情よりも明るく、どんな時よりも誇らしげに見えた―――
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