SESSION 3
夕方にもなっていないのに、パパが大慌てで会社から帰ってきた。
いつもは暗くなってからでないと帰ってこないパパが、まだ明るいうちに帰ってきたから、ぼくはちょっと嬉しかった。
パパは「困ったことになった」って怒っていた。
ママは「これからどうしましょう」って泣いてた。
パパがどこかに電話して、しばらくすると白い服を着た人達がいっぱいやって来て、キカイのひとを調べ始めた。その頃にはもうママは泣き止んでいて、パパと二人で怖い顔をして話をしていた。
「ジュンがこんなことになるとは思わなかった」
ぼくは、パパやママがキカイのひとのことを名前で呼ぶのが嫌いだった。
「故障なら修理できないものなの?」
「IDセンサーが故障しているんだろう。しかし、それだけでもないらしい。一度この症状が出た場合、IDセンサーを交換しても再発する確率が高いという話だ。あれは当然、ここから連れて行かれるだろうな」
パパの言っていることはよくわからないけれど、キカイのひとがどこかに連れて行かれるんだろうな、ということは何となく理解できた。
「あれがいなくなると、私、困るわ……」
「わかってるさ。あれがいなくなると僕も困る」
ぼくはちっとも困らない。口に出さずにそう呟いていた。
「あなた、研究所に顔が利くんでしょう? 何とかしてもらえないものなの?」
「無理を言うなよ。各地で同じような反応が出て、当局も神経質になってるらしいんだ。ウチだけ特別扱いは流石にできないだろ」
パパが溜め息をついた。ママも溜め息をついた。
「では、一時間後に引き取りに参ります」
そう言って、白い服の人達が一斉に家から出て行った。
さっきまで賑やかだった家が、一瞬で静かになった。
パパとママは相変わらずリビングで溜め息をついたり、腕組みをしたりしながら話し合っていた。
ぼくは、パパとママに内緒で、こっそりとキカイのひとを見に行った。
キカイのひとは、お客様用の部屋にいた。
薄明かりの部屋の中で、黒い椅子にぐったりと座っていた。
黒い椅子には何だか見たことのない機械がいっぱいついていて、その中から出ている何本かのケーブルがキカイのひとのお腹の辺りにつながっていた。ぐったりしているのはきっとそのせいだろうと思った。
「キカイのひと……」
どうせ答えるわけがない。わかっていたけれども、ぼくは、ちょっと小さな声でそう呼んでみた。
やっぱり、キカイのひとは何も答えない。ただ、黒い椅子に深く沈み込み、首を傾げるようにして正面を見ていた。作り物の目はいつも何を見ているのかわからなかったけれども、いつも以上に何を見ているのかわからない感じがした。
ひょっとしたら電池が切れてしまっているんだろうか。静かなときならいつも近くで微かに聞こえる「ジーッ」というモーターの音も、今は聞こえない。
「死んじゃったのかな、こいつ?」
ぼくは、ふと思う。
パパはセンサーがどうとか言ってたけど、どこかおかしくなってしまったから、白い服の人達に殺されてしまったのかな?
ぼくは、おまえのこと嫌いだからね。ママは泣いてたけど、ぼくか悲しくなんかないんだよ。口にはしないけど、ぼくは心の中でそう言ってた。
「いつもぼくのこと、知らん顔するからバチが当たったんだぜ」
ぼくは、キカイのひとの顔を見ながらそう言った。
キカイのひとは、やっぱり正面を向いて、壁の辺りを見つめているだけ。何も言わない。電池も切れてるみたいだから、怖くも何ともない。ただの人形みたいだ。
「だいたい、おまえはね」
ぼくは、いつもパパに叱られてるときみたいに、ちょっとふんぞり返って言った。
「パパやママの言うことばっか聞いて、ぼくの言うことはちっとも聞いてくれない。センサーだか何だか知らないけど、何だかいい子ぶってるみたいなんだよ」
ぼくは、パパがいつもするみたいに、腕組みしながら、右手でキカイのひとを指差しながら、そう言う。
「そういうずるいとこが嫌い。だいきらい」
静かな部屋にぼくの「だいきらい」が響く。
キカイのひとは何も言わない。怒られてるときのぼくと一緒だ。何も言えない。ただ、じっと正面だけを見てる。
ぼくは、どんどん得意になって、お説教する。
「だいたい、おまえは、何を見てるかわからない。そういうとこが嫌い」
「だいたい、おまえは、何もしゃべらない。そういうとこが嫌い」
「だいたい、おまえは、ただじっと命令を待ってるだけ。そういうとこが嫌い」
「顔が嫌い。名前が嫌い。髪の毛も嫌い。全部嫌い」
ぼくは、もう思いつくことがなくなってきて、何だかもういいや、って気分になってきた。
「明日っから、おまえの顔見なくていいって思ったら、何だかちょっと嬉しいよ」
そんなふうに言ってみる。
キカイのひとはぴくりとも動かない。ぼくの声は聞こえていないんだろうか。
キカイのひとは電池切れ。ただの人形。ただの人形相手に、ぼくは一人でずっとしゃべってたんだな。
なんだか、すごく寂しくなって、少し怖くなって、ぼくはドアノブに手をかける。
「バイバイ。キカイのひと……」
ドアをそっと閉める。ドアの向こうに耳を澄ますと、「ジーッ」という音が聞こえた気がした。
◇
道路の向こうから車の明かりが近付いて来て、家の前に止まる。呼び鈴が「ピン、ポーン」と軽い音で響く。
パパが玄関を開けると、白い服の人が二、三人、大きなケースのようなものを引っ張って入ってきた。
ぼくはキカイのひとが連れて行かれるのが見たくて、キカイのひとがいる部屋にこっそり先回りしようとしたんだけれど、そのぼくの腕をママが後ろから掴んだ。
いつもより強い力で、ぼくは腕が痛かった。
「いたいっ!」
ぼくが叫んでも、ママは手の力を緩めない。
「行っちゃダメ。あなたはここにいなさい」
ママが叫んだ。
ママって、こんなに力強かったっけ?
不思議に思って、ママの顔を見る。ママの眼はいつもより吊り上がっていて、怖い顔をしていた。ぼくを叱るときよりももっともっと怖い顔。いつものママと違う。
ぼくは、何かおかしい、って思った。
「パパ、たすけて!」
ぼくはパパに助けを求める。
「どうした?」
玄関のほうからパパの声が近付いてくる。そうしている間にも、ママの手はギュウギュウとぼくの腕を締め付ける。
パパが怖い顔で「何をしてるんだ?」とママに向かって叫んだ。
「助かった」と思った。そう思った次の瞬間、パパがぼくのもう片方の腕を強い力で掴んだ。
「早くするんだ」
パパがママに言う。
「だって、この子がジュンのところに行こうとして……」
ママが眼を吊り上げたまま言う。
白い服の人がひとり近付いてきて、ぼくの頭に白い布を被せる。
ぼくは怖くて、「たすけて……」と小さく言う。
首のところに何だか冷たいものが触れる。瞬間、ピリッとした感触が全身に走って、ぼくは記憶を失くす……。
◇
「これは?」父親が尋ねた。
「人間でいう神経系を麻痺させました。外部からある一定周波数の電磁波を中枢に与えることで、活動が停止します」
白い服の男が注射器のようなものを見せながら、機械的に説明する。
「殺した?」
父親は怪訝な顔で訊く。
白い服の男は、その言葉に片方の眉を上げ、口元を歪める。嫌悪感を露にした、というのではない。その表情もまた、いつもの業務の一環といった冷静さで、だ。
「これは、人聞きの悪い。相手はロボットですよ。殺す、という表現は生命のあるものに対して使う言葉です」
「しかし、この子には感情があった……」
父親は相手の冷静さに戸惑いながらも、口を震わせ、辛うじてそう言う。
白い服の男は呆れた顔を見せる。これもいつも通り、という仕草だ。
「あなたが仰る、感情、というものは、どんなロボットにも存在しません。幻想、ですよ」
「しかし……」
「真似事なんですよ」
白い服の男は詰まらなそうに言った。
「まねごと?」
「ええ。感情をシミュレートしているだけなんです」
「感情をシミュレート?」
父親は、馬鹿な
「感情を持っているように見せればいいんです。喜怒哀楽にいくつかのパターンを作り、状況に応じてそれを実行すればいい。それだけなら、そんなに難しいプログラムじゃない」
男は哀れな者を見下すような物言いをし、「付け加えると」と、勿体ぶって男は続けた。
「この手のニーズに向けたロボットには、ロボット自身に対しても、さも自分が感情を持っているかのように認識させるようなプログラムも組まれているんですよ」
「それは……」
どういうことだ? と、父親が続けようとするのを男の声が遮る。
「ロボット自身に、シミュレートしていることを認識させないんですよ。実際にはあらゆるセンサーからのインプット信号に基づいた論理分岐の結果で、予め決められた感情を表すルーチン処理をするんですがね。その処理過程で、例えば今のは怒りの感情だ、と定義してやる。四則演算の結果で何らかの処理をしたのではなく、感情で行動した、と錯覚させるのです」
男は勝ち誇ったように言ったが、その言葉は父親の理解を超えていた。
意味不明だ、という顔を見せる父親をちらりと見て、「そう、所詮、真似事の組み合わせなんですよ」と男が付け加えた。
「ロボットにどんな思い入れを持たれようが、それはお客様のご自由です。ですが、ロボットを人間と混同することは危険です」
言い慣れた言葉なのだろう。澱みがない。
「しかし……」
「本来ならば……」
男は、父親が言い返そうとするのを遮った。警告、とでも言いた気な物言いだった。
「当社は、二台以上のロボットを同時に保有されることをお薦めしておりません。原因はわかりませんが、過去何度となく、二台の一方が暴走するという事例が生じております」
「それは知っている……」
父親は憎々し気に言う。
「では」
男はまるで生徒に言い聞かせる講師のように大仰に言葉を区切り、ひと呼吸置いて続けた。
「過去の事例では、子供型と別の型の二台を保有されているケースで、この暴走が起こる可能性が高い……というのもご存知です、ね?」
「ああ……」
「子供型ロボットをまるで人間のように扱い、一方をロボット然としてお使いになられるご家庭で、この事例が頻発しています。お宅と全く同じケースです」
「何故? 嫉妬?」
父親の言葉に、男は鼻で笑う。
「馬鹿なことを仰る。ロボットです。感情はありません。そういう発言は人間性を疑われますよ」
「いや、しかし……」
「原因は不明です」
これ以上の会話をするつもりはなさそうだった。
「兎に角、ロボットを提供する弊社としては、原因がわからなくても、ユーザーに危険が及ぶ可能性があるならば、それを排除する責任があります。その可能性がユーザー側にあるかどうか、つまり、ユーザーとしての適正がお客様にあるかどうかを見極めるのも、我々の仕事なんですよ」
「あなたは適格者ではない」という言い方だ。
父親は何も言えない。
「ひとまず、こちらの子供型の方をラボに持ち帰って、調査させて頂きます」
白い服の男達が荷物を撤収している中で、リーダー格の男がそう言った。
「調査しても、どうせ報告などないくせに……」
父親がぽつりと言うが、男は聞こえない振りをする。
「引き続き子供型ロボットを所有されることを希望される場合は、初期化された別のロボットを提供致します」
「持つ事は許されるのか?」
男の意外な言葉に、父親は動揺する。その動揺を見て、男はほくそ笑む。まるで計算していたかのような、したたかで、いやらしい表情だ。
「我々も商売ですからね」
言い方もいやらしい。
「メイド型の方は単純リセットしておきましたから、こちらはこのままご使用を続けて頂いて問題ないでしょう」
そんなものだろうか? 異常な反応を示したのはメイド型の方だ。
本来、人体に埋め込まれているIDチップを検知し、識別した上で動作するようにプログラミングされている筈で、子供型ロボットの命令に対して僅かでも反応したことこそが異常なのだ。で、あれば、メイド型を回収すべきだろう。
なのに、子供の方を連れて行き、異常を生じたメイド型はそのまま放置というのは解せない。子供型との共存が原因だと言ったが、ろくに調べもせずに、また選択権も与えずに、一方的に処置を決定する傲慢さがわからない。
しかし。元より我々に選択の余地はない。ロボットに関しては、すべてが管理会社側の決定次第。それはずっと以前からの変え様のない事実だ。
「いつから……」と自分に問う。
「わからない。ただ、ずっと以前から……」
自分で答える。
この問いに対してはいつもこうだ。曖昧で、不明瞭。まったく答えが出てこない。
他のことにはそれなりに知識も知恵もあるつもりだが、ことロボットに関しての話になると、だんだんと霞がかかったようにぼんやりし始め、いつの間にか思考がはっきりしなくなる。何かに制御されているような感覚さえ覚える。しかし、それが何故なのかはわからない。
「それでは、失礼します」
白い服の男の声が思考に割り込んだ。
父親がはっとして振り返ると、リーダー格の男が感情なく笑っていた。
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