キカイのひと

葉山弘士

SESSION 1

 ぼくのいえにはキカイのひとがいます。

 キカイのひとはごはんをたべません。

 キカイのひとはウンチをしません。

 キカイのひとはおしっこをしません。

 キカイのひとはずっとじっとしていて、

 パパやママがめいれいをしたときだけうごきます。

 でも、ぼくがめいれいをしてもうごきません。

 そういうふうにできてるんだって。

 こどもはキカイのひとをうごかせないんだって。

 なんでかな?

 ぼくもはやくキカイのひとをうごかせるようになりたいな。



       ◇



「キカイのひと。ちょっと手伝って」

 そう言ったぼくの声に、キカイのひとの右手がほんの少しだけピクリと動いた。

 本当なんだ。指先がほんの少しだけ……。

 本当は動いちゃいけないのに……。



 夏の日差しに焼かれた葉っぱの匂いが青くて、その匂いに酔ってしまうような日だった。

 その日は朝からぼくとキカイのひとの他は家に誰もいなくて、ぼくは朝からずっと、明日までに仕上げてしまわないといけない夏休みの宿題の工作と格闘していた。

 作るのは木工の椅子だ。頭の中にはもう設計図はできていて、必要な材料は昨日パパが会社の帰りに買ってきてくれた。あとは頭の中の設計図通りに作るだけだ。


 キッチンが見える庭で、ぼくはあと数時間後には椅子になるはずの材料と取っ組み合っていた。

 角材を二本づつ、長さ違いで切って、背もたれと、座る部分用に木の板を揃えた。ささくれ立ったところにはヤスリをかけ、表面はすべすべになっていた。ここまでは自分でもびっくりするぐらい完璧だった。

 でも、いざ組み付けていく段階になって、ぼくはちょっと困ってしまった。

 釘を打とうとしても、ぐらぐらしてうまく打てない。下の角材をしっかり持っていれば大丈夫なんだろうけれども、そうすると金槌をうまく使えない。足で挟んだり、ブロックで抑えたりするんだけれど、肝心のところでグラッとしてしまう。

 どうしようかな? そう思ったとき、視界の端に誰かの足が見えた。すらっと白い肌が目に痛い。見上げると、キカイのひとだった。


 ぼくとの距離は三メートルぐらい。手を伸ばせば届いてしまうような距離だ。

 キカイのひとはキッチンにいるはずだった。なのにキッチンから庭に出たところに立っていたから、ぼくはちょっとドキッとした。ドキッとはしたけれども、さっきからそこでずっと見ていたんだ、ということに気付いて、ぼくはなんだかすごく腹が立った。

 だからぼくは不機嫌な声で言った。


「キカイのひと。ちょっと手伝って」


 もちろん、キカイのひとは何もしてくれるわけがない。それはぼくもわかっていたんだけどね。



       ◇



 だいたい、ぼくはキカイのひとが大嫌い。

 大人の言うことはなんでも聞くくせに、ぼくの言うことはまるで知らんぷり。

「それってずるくない?」

 いつだったかママにそう言ったら、「それでいいのよ」とママ。

「あなたは余計なこと考えなくていいの」

 そう言って、ママはぼくの頭をくしゃくしゃっと撫でてくれたんだけど、ぼくは納得いかない。


「あいつ、いつもぼくのこと知らんぷりするんだよ」

 いつだったかパパにそう言ったら、「それでいいんだよ」とパパ。

「おまえは余計なことを考えなくていいんだよ」

 そう言って、パパはぼくの頭をくしゃくしゃっと撫でようとしたんだ。

「なんでさ? それってずるいよ」

 ぼくはパパの手を払ってそう言ったんだ。

 そしたらパパは、ちょっと困った顔をして、「あれは大人の命令だけを聞くようになってるんだよ」って、こっそり教えてくれたんだ。


 キカイのひとは子供の命令は聞かない。聞けないようになっているんだって。

「どうしてだかわかるかい?」

 パパは優しい目でぼくを見つめてそう訊いた。

「わかんないよ。フコウヘイだよ」

 ぼくは覚えたての言葉でそう言った。

 パパは「ふふふ」と笑って、やっぱりぼくの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「ロボットはね、もともとは人間の命令をなんでも聞くようになっていたんだ。人間が便利に暮らせるように……って造られたものだからね」

 こういうときはいつも、パパって物知りだなって思う。ぼくがわからないことはちゃんと教えてくれる。


「だけど、誰の言うことでも、なんでも聞くロボットばかりだと、困ったことが起こるようになってきたんだ」

「なに? 何が起こったの?」

「ロボットを悪いことに使おうとする人が出てきたんだ」

 パパはちょっと困った顔をした。

「ふぅん」

 ぼくは、ちょっとつまらなそうに答える。悪い連中がロボットを使って悪いことをするなんてのは、昨日のテレビアニメでもやってたよ。

「イガイセイがないなぁ」

 やっぱり覚えたての言葉をぼくは頭で考える。

「ひとごろしさせたり、ドロボーさせたり?」

「それもある。だけど、もう少しややこしい話なんだ」

 もう少しややこしい話ってなんだろう。そう思いながら、ぼくはパパの話の続きを待つ。でも、パパはぼくの方を見ないで、ずっと前を見たまま何も言わなかった。

 パパの正面にはテレビがあったんだけど、テレビは点いていなかったから、パパが何を見てるのかわからない。


 しばらくしてから、パパがようやく「いろいろあったからね」と、さっきと同じような言葉を繰り返した。

 なんだか、テレビ番組の途中でテレビが故障してしまって、お終いの歌のところで急に直ったみたいな感じだった。

「大人になったら、おまえもちゃんとロボットに命令できるようになるよ。きっと……」

 パパはそう言った。



       ◇



 ぼくからほんの三メートル程のところにキカイのひとがいた。


「ピクリ」という感じで、キカイのひとの指先がほんの少し動いた。まるで、なんだかぼくの言葉に反応するように……。

 キカイのひとがぼくの命令なんか聞くわけがないと思っていたし、手伝いは欲しかったけど、キカイのひとに手伝ってもらいたいって本当に思ってたわけじゃなかったから、ぼくはどうしていいかわからなくなった。言葉が出なかった。


 ぼくは立ち上がって、キカイのひとをじっと見つめる。

 キカイのひとはぼくをじっと見つめてる。

 足下で「カラン」と音がした。組かけていた椅子が崩れた音だった。

 なんだか、もう今にもキカイのひとがぼくのほうに進んできそうな感じがして、ぼくはすごく怖くなった。

「ママ……」

 ぼくは小さく口を動かして、ママを呼んだ。

 ママは留守だ。それはわかってる。でも、ママを呼ばなけりゃいけないような気がした。

 キカイのひとは動かない。ぼくのほうを見ているけれども、本当にぼくを見ているかわからない。いつもそうだ。いつも何を見ているのかわからない、作り物の目だ。


「ジーッ」って音がキカイのひとから聞こえてきたように思えた。ギシギシと手足を動かして、ぼくに近付いてくるような気がした。すぐに逃げ出したかったけれども、躯が動かない。


「ママーっ!」ぼくは叫んだ。

 玄関のほうで車の音がした。ママだ。ママが帰ってきてくれたんだ。

 キカイのひとがゆっくりとキッチンのほうを向き、ぼくから離れ始めた。躯がふっと軽くなって、ぼくは急いで庭伝いに玄関のほうに走った。後ろは振り向かなかったけれど、キカイのひとがゆっくりとキッチンに入っていくのがわかった。


 玄関ではママが車を降りたところだった。

 ママは、裏庭から飛び出してきたぼくを見て、「どうしたの?」と少しびっくりしたみたいだった。

「あ、あのね。ぼく、庭で工作してたんだ。そしたら、動いたんだよ!」

 キチンと説明しようとするんだけれど、急いだせいか、話がうまくできない。

「待って! ちょっと落ち着こう」

 ママが笑って言った。

「ちがうよ!」

 何も違わないけれども、ぼくはママが笑ったのが悔しくて、そう叫んだ。

 ママは不思議そうにぼくを見て、また笑った。それから、「夏休みの宿題の工作してたのね。おりこうさん」そう言って、ぼくの頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「ちがうって!」

 やっぱり、ママの言ったことは間違いじゃないんだけれど、ぼくはママの手を払いながらそう言った。躯が震えているのがわかった。


「何を怒っているの?」

 ぼくが震えているのに気付いたみたいで、ママがやっと笑うのを止めた。ぼくの目をじっと覗き込んで、ぼくの言葉を待っている。

「ぼく、庭で工作してたんだ。うまく釘が打てなくて……」

 何から説明したらいいのかわからずに、とにかく話始める。

「うんうん」

 ママは真剣な顔で聞いてくれている。

 落ち着こう。落ち着いて話せばちゃんとうまく説明できるんだ。ぼくはそう思いながら、さっき裏庭で起きたことを辿ろうとする。

「切るのはね……。木を切るのは、ちゃんとひとりでできたんだ。パパの買ってきてくれた木はちょっと堅かったけど、ちゃんと切れたんだ」

 落ち着こうとしても、余計な話が出てしまう。

「うんうん」

 ママは頷く。

「釘がね……。釘がうまく打てなくて……」

 そう言いかけたとき、玄関のドアが「ガチャッ」と音を立てた。ママがそっちを振り向いて、「ただいま」と言った。

 玄関にはキカイのひとが立っていた。


「トランクの中の荷物をキッチンに運んでちょうだい」

 ママがキカイのひとに命令した。キカイのひとは何も言わずに車に近付き、トランクを開けた。開けた、というか、開いた、だ。キカイのひとが近付いたら、勝手にトランクが開く。そういう仕組みになっているらしい。


 ぼくは、ママに話をするのを諦めて、キカイのひとがトランクを覗き込んでいる間に玄関から家に入った。

 急いで階段を上がって、二階の自分の部屋に入る。ドアを「バタン」と閉めて、中から鍵を掛ける。ベッドに飛び乗って、シーツを頭から被る。


 キカイのひとなんて嫌いだ。

 あいつなんて、どこかへ行ってしまえばいいのに。

 あいつなんて、壊れてしまえばいいのに。


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