ねころの未墾(みこん)

九兆

未墾:土地がまだ切り開かれていないこと。


 『ねころの未墾』


 001


実近さねちかねころを誘うのは、今しかないと思った。


 アイツを一言で表現するならば『本の虫』みてぇな奴だった。って感じに、よくある慣用句を用いて表現すると、そのヤバさが伝わらない感じがする。本の虫ってのは紙魚目シミモクのことを指し、紙を食べちまう虫ぐらい本好きだという表現ではあるのだが、その程度の言い方だと、まだまだ実近の本質に迫っていない。そういえば物語という名の紙をムシャムシャと食べる文学少女が出るライトノベルがあったな。あれはとても面白かった。

 それはさておき。

 実近ねころはいっつも本を読んでいる奴だった。いっつもというより四六時中と言っても言ってもいいかもしれないし、二十四時間と表現した方が正しいかもしれない。いや、まあアイツのことを一日中観察したことァないから、これは誇張しすぎかもしれねえけど。でもアタシから見たアイツは、そんな感じの奴だった。先ほどの紙魚目だって、お腹一杯になったら食うのをやめるだろう。だが、アイツはその程度で収まらないんだ。

 あくまで"噂"である、という前提として、実近ねころは、

 授業中、教科書を読む。まあ普通だな。

 食事中、文庫本を読みながらご飯を食べる。ちょっと行儀が悪いな。

 歩行中、実用書を読みながら歩く。それは危ないな、歩き読書はよくねえ。

 他人と会話する時、ライトノベルを読みながら返答する。顔を合わせて話すのが礼儀だって教わらなかったのか?

 全校朝礼の際、ハードカバー本を読みながら校長先生の話を聞く。流石に度が過ぎている。

 体育の時、豆本を読みながらハンドボールをする。おかしいだろ!

 とまあ、どこまで本当のお話だかは知らないが(ちなみに朝礼の時に本を読んでいたのは見たことあるのでマジだ。先生がガチ切れしてて笑った)そんな風評が流れる辺り、異常な程にまでの読書家であることは間違いないだろう。

 ただ、まあそんな奇人ではあるが、本を読んで自分の世界に閉じこもり、他人を排斥するような奴ではない、らしい。アイツの周りに友人がいて、何か親しげに会話している姿を見たこともあった。

 世間(特に大人の方々)からの評判は悪いが、悪い奴ではねェ、らしい。

 ちなみにあだ名は『不動少女ストライキ・ガール』。何じゃそりゃ。

 とまあ、ここまで詳しく語りすぎた内容を見直すと、まるでアタシが実近のファンみたいに誤解されそうだが、そうではない。友人から、アイツの噂を散々聞かされたから詳しそうに見えるだけだ。

 なぜ実近の話をよく聞かされたかって?

 それはアタシこと久遠くどう流布るふのあだ名が、『不良少女ストライク・ガール』だったからだ。やんなるぜ。

 いや別にヤンキーじゃねえよ。単に許せねえ奴を見かけたらうっかり手を出しちまうだけの、善良な一般淑女だよ。……ィや、淑女は言い過ぎた。普通の女だよ。

 だがまあ何故か周りはアタシを"姐さん"だなんて呼ぶような奴が居たり、時代錯誤にも程があるスケバンという称号で言う奴がいたり、何かとトラブルが絶えない人生(但し自ら突っ込んでいく事が多いのは否定しない、許せねえ存在ってのはなかなか多いもんでな)だったもんで、その汚名に近い忌名を受けるのは気分は良しとしないがギリ許容でるものだった。スケバンと呼ばれるよりか遙かに良い。

 中学時代、実近ねころという『何もしでかさない問題児』と、久遠流布という『やたらとしでかす問題児』が同じ学校にいたものだからアウトロー同士のニコイチセットで語られることが多かった訳だ。

 対極の、真反対の、デコボココンビみたいな扱いをされていた──だが、アイツと会話をしたことは一度もなかった。

 そう、アイツとアタシは何一つ、言葉を交わしたことも、目を合わせることも無かった。

 だってクラス違うし。

 同じ学校だろうと同学年だろうと、クラスが違ってたらそりゃ交流が産まれる訳がないだろう。

 アタシがアイツを噂程度に知っているだけであり、アイツはアタシの事を知っているかどうかは知らない。なんだったら一瞥すらしてないんじゃねえかと思っている。

 けどまあ、それはそれで別に構わなかった。

 呉越同舟ではなく平行線。

 人類皆兄弟みたいな感じで輪を広げようと思わないし、こっちはこっちで友達付き合いやら趣味やなんやらで忙しいし、アイツもアイツで本を読むのに忙しいだろう。

 だのに何の因果か、アタシはアイツと同じ高校に進学した──アイツがアタシが行く学校に進学したのかどうかは分からない。

 ただ、それでもやはりクラスは違っていたし、アタシは中学生時代を反省して比較的大人しく過ごしていたのでアイツの噂を耳することはなかった。ただ時々聞く分には、アイツは相変わらずらしい。

 そんな訳で今高校二年生というそろそろ未来の事を考えなければならない時期にまで差し掛かった辺りまでアイツとは無縁のまま、平和な高校生ライフを謳歌していた。

 ちなみにアタシは文芸部に入ってる。

 似合わない? デコピンすっぞ(似合わないと言った奴は漏れなくデコピンしている)。

 実近ねころは異常なほどの本読みだが、アタシはアタシでそれなりに本を読むタイプだった。書くのも好きだ。特にライトノベルが良い。青春やら忌憚やら冒険やら色恋だの様々な物語が、手に程よいサイズに収まるってのが気持ちいい。電子書籍もまあ、悪くはないし便利だが、読書は本を持ってする方が好きだった。

 一番好きなラノベは『灼眼のシャナ』だったりする。マティルダ・サントメール良いよな、あんな女傑になりてェし、逸話を築きてェ。

 そんな訳で昔のスケバン伝説を捨てて、麗しき文学少女として生きている訳だ。

 おーッホッホッホ。

 で、ある日事件が起きた。

 いや、事件ではないんだが、これから事件になる出来事があった。

 その時、アタシは二年生になったばかりであり、そろそろ文芸部のトップになる為にどう部を掌握するか考えている時期だった。

 文芸部部長は言った。

 ――図書室のライトノベルコーナーを廃止し、新たに本を入れる、と。


 久遠流布は激怒した。

 は? 許せねえ。

 戦争だろ。


 その瞬間に思ったんだ。

 アイツは本をいっつも読んでいる。アタシはライトノベルを守ろうと決めた。

 だから。


実近さねちかねころを誘うのは、今しかないと想った。良い機会どころか、悪い機会だけどもよォ。


 002

「なァ、実近ねころ。ライトノベル同好会に入らねェか?」

 放課後、アタシは隣のクラスに入り勧誘した。

 隣のクラスの奴がいきなり押しかけて部活に誘ってくるなんて、相手にとっちゃ青天の霹靂と言ってもいいだろう。

 だが、天気がどうであろうと何であろうと、なんなら天変地異の地震があろうが読書するスタイルは崩さないことに定評のある実近ねころは、聞いているのか聞いてないのか分からない表情で本を読み続けていた。

 噂通り、手元から視線を外さない。胸中は何一つ分からない。

 ひょっとしたら『え? うちの学校にライトノベル同好会なんてあったの? 知らなかった!』と思っているのかもしれない。

 これから作るんだよ。

「文芸部のしでかそうとしている、例の『ライトノベル排斥計画』知ってるだろ? 知らない? いやまあどっちでもいいんだが。アタシはね──」

 ずいと、読んでいる本をのぞき込むかのように近づき。

と、思ってんだ。数合わせでもいい。協力してくんねーか?」

 アタシの凄みも空振りみたいで、ねころはページを捲り素知らぬ顔でページをめくっていた。読んでいる本は"クビキリサイクル"。微妙にライトノベルと言いがたい作品をチョイスしてやがる。

 ねころは『戦争って、私は本で読むのは好むけれけど、自身で行おうとは思わないわ』と言ってそうな雰囲気だったので、アタシは釈明した。

「いや、別にアンタに先陣切って戦ってもらおうとはァ思ってねぇ。っていうかそういうのはアタシの仕事だ。ようするに、だ。んだよ。箔を付ける為にも。協力してくれよ」

 なんなら今のライトノベル同好会の会員は独りである。アタシオンリー! そりゃそうだ、だって今から立ち上げるんだから。だが文芸部に居た友人(だとこちらが一方的に思っている奴ら)が誰も賛同してくれず、付いてきてくれなかったのはショックだった。そんなにハードカバーの新書が入庫して欲しいか!? ……欲しいんだろうな。許せねえ。

 事を動かすにしても単騎では流石に戦うには不利が過ぎると思った。いやまあいざとなればやれなくもないが? せめて一人ぐらいはと誘うことにしたわけだ。

 今アタシは頭の中で十三通りぐらい考えていた勧誘ルートのどれを使うかを考えている。

 と、ねころは話しかけた時と全く変わらない様子で「いいわよ」と、言った。

 その言葉の意味を図りかねて

「いいわよって、部活に入って何かしら活動するのも学生の本業でさァ」

「だから、良いって」

 ねころはこちらを一瞥することもなく

「ライトノベル同好会、入っても良い。というのが私の所感」

 と、快諾しやがった。

「…………へェ」

 一筋縄ではいかないと予想していたけれども、まさかこんな簡単に承諾してもらるとは思ってもいなかった。事前に予測していた内容全崩れ。事実は小説よりも奇なりとはいうが、机上の空論はやはり現実には敵わないということだろうか。

 だが、だからと言ってアタシは油断したりしない。

「ただし」

 ほらきた、当然、何か条件を持ち掛けてくるよなァ!?

 実近が提案したのは、奇妙なお願いだった。

 謎解き?

 ……やべえな。苦手ジャンルだ。

「謎ォ? アタシぁ自慢じゃないけどミステリー系は不得意でなぁ」

 好きなラノベはバトルと恋愛! なんなら両方合ったら最高だ! ってタイプであり、頭を使わされる小説は得意ではない。嫌いではないし、むしろ読む方ではあるが、不得意と言っても過言ではない。なんせ探偵が示した答えを読んですら理解出来なかったぐらいだしな!

「探偵が謎を解いてる時、周りで成る程流石です! と持ち上げてるモブに共感するタイプがアタシだぜ」

「それはとても良い読書体験、だというのが私の所感だよ」

 まあ読書論はさておいて。

「で、どの小説を問題に出すんだ? 西尾維新作品からの引用?」

「違う。作品じゃない」

 ねころは本を閉じて、まるでアタシを射貫くような視線を送りながら言った。

。その謎を解いて」

 へえ、そいつは、面白そうな導入だな。


 003

 魚酒肴うおつまみいにち。誰それ? 美味そうな名前だな。料理部の奴か?

「ううん。私と同じ部活に入っていない子。隣のクラスに居るのだけれども、その子が白いライトノベルを持っているの」

 つまりアタシのクラスの隣の隣って訳だ。そりゃ知らねえ筈だ。

 そして言われた白いライトノベルってのを想像してみた。

 ……うん、それってさ。

「単なる無地のノートじゃねえの?」

 真っ先に思いついた。なんかそういうアイテムなかったっけ?

「うん。単なる文庫本風のノートというのが私の所感……なんだけど」

 何故か歯切れが悪いような言い方をして。

「でも、それを読んでいる、いにちさんは風に見えたの」

 どういうことだよ。

「私が図書室で本を読んでいた時のことなんだけど、偶々いにちさんが対角の席に座って本を読んでいて、クスクスと笑い声を挙げていたのを見掛けたんだよね。別に大声を出して笑っていた訳じゃなくて、読んでいる本が面白くてつい笑っちゃったみたいな感じで」

 ほう、そりゃァ良い読書だ。ついアタシもその読んでる本知りたくなるぜ。

「うん、私も知りたくなって、表紙には何も書かれてなかったからカバー付けてるんだと思って、本を取る振りをして、つい後ろから読んでる本を見たんだよね」

 まあ、そんな面白おかしく笑える本なら、アタシだってそういうことするか。

「そして、そのいちにさんが見ているページは」

 ――何も書かれてない、真っ白な紙だった。

「……ちょっとしたホラーすぎるだろ。作り話だったら傑作だぜ」

「ううん、本当の話。それで『何を読んでるの?』って話かけちゃって、そしたら彼女、こう言ったの。『ライトノベルを読んでいる』って」

 ? ライトノベルを読んだ振りをしている、ではなくて?

「違う。だって、私がその本の中身を見るまで、と思っていたんだもの」

「パントマイム、じゃあない訳だ」

「そうだね」

 実近は頭を傾げ、悩んでいる素振りをして。……こいつ普通にそんな可愛いポーズ出来る女なんだ。知らなかった。

「それで、私にも読ませえ欲しいと言ったら」

「言ったら?」

 ――アナタには、この白い小説ライトノベルが読める?

「って感じで読ませてきて。読んだら全ページ何も書かれてなかったの」

「はっはー、そりゃあウケるな。狐じゃなくて本に化かされている気分になるだろうな」

「化かしているのはいにちさん、というのが私の所感だけどね」

「その魚酒肴って奴、別に読んでいる本を隠そうとしている訳でもないし、なんなら読ませてくれるぐらいにはオープンにしている訳か」

「そう、だからその本が何なのか分からなくて、知りたいけど分からないの」

「ソイツに何なのか聞けば良くねえか?」

「そうなんだけど……『読み明かしたら教えてあげても良いわよ』って言うんだよね」

 なるほど、作者からの挑戦状ならぬ『読者からの挑戦状』ってな訳だ。面白ェ。

 なんなら先ほどの実近が入部する件を差し引いても、興味が惹かれる話である。

「分かったよ。アタシがその謎、解いてやんよ」

 そう格好付けて言ったものの、アタシとしては解ける自信は全く無かった。

「うん、頑張ってね。……ただ、それに辺り一つお願いがあるんだけど」

 まだあるのかよ、と思ったが妙に神妙な顔をして、何故かもう一度本を開きこちらを見ずに、実近は言った。

「乱暴なこと、しないでね」

 ……おい、アンタには、アタシがどう見えてんだよォ。


 004

 そんな訳で私は真っ先に魚酒肴いにちの所に──行くことなく、まずは周りの奴らからの評判集めをすることにした。

 猪突猛進みたいな性格だと人からよく思われるが、用意周到な女なの。この決め台詞いいな、あれは特撮だが。

 以下がその情報収集で得られた会話である。

「ヒィ!? 久遠さん!? すいません今日はお金持ってなくて……え? カツアゲじゃない? そういうムーヴやめろ? あ、はい

「何? いにちーの話? あの子ヤヴァいよね「良い子ではあるよね「いっつも変な本読んでる「何も書いてないよね「あれ何なんだろうね「めっちゃ笑っているの見たことある「なんか涙ぐんでいた時あったよね「あれ実は本を読んでる振りしてスマホ弄ってるんじゃないの?「実はスマホケースだったり?「私読ませて貰ったけど何も書かれてなかったよ、マジびっくりした「謎「不明「分からない「でもいにちーって別に人避けたりとかしないよね「フツーだよ、暇な時あの白本読んでるだけで「若干厨二入ってる「掃除とか真面目「愛嬌ある「可愛い「黒髪ボブヘア「有馬かな入ってる「髪アクセ付けたらポケのムクっぽい「ちっこい「守りたさある

 成る程、大体分かった。

「それでなんですけど……」

 と、話を聞き終えた辺りで皆が何故か不安そうな顔をして言った。

「「「「「あの子、ちょっと変わっているけど良い子なので酷いことしないであげてください!!」」」」」

 だから、アタシの印象はどうなってんだって話だ!!

「『安土野高校の不良少女ストライク・ガール、というのが皆の所感だよ」

 と、実近は言った。

 え? その仇名今も続いているのヤダー!! まさか実近、オマエが広めてねえだろうな!?

津取つどりさんが久遠さんの伝説を広めている、らしいよ」

 かつての舎妹しゃていが原因だった。

 デコピンしちゃる。


 005

 そんな訳である程度情報集まり、ある程度推理したら実近の段取りの元(何故か直接会うのはNGであると全員から言われた。そんなアタシ狼藉者だと思われてる!?)会うことになった、が。はっきり言って全く予想も何も出来てない。

 話をまとめると、やはり周りは魚酒肴いにちがのは間違い無かった。しかしその実物が無という。

 不思議にも程がある、なんだったら全員がアタシを担ぎ上げて騙そうとしている説の方が有力じゃねえかとすら思えてきた。

 そんなことを考えつつ電車に乗って帰っていると、シートの端に座りながら妙な本を読んでいる、アタシと同じ制服を着た女の子を見つけた。直感でアタシはソイツが魚酒肴いにちだと分かった。聞いてた風貌と一致しているし。斜め対角の入り口前で立っていてこちらからは見えるが、あっちは熱心に本を読んでおり気づきはしなさそうだ。

 そして、その読んでいる本は、背表紙は茶色の無地、赤い栞紐、中ぐらいの文庫サイズの本だった。

 ――あ、あれ見た事あるわ。

 気付いてしまった。というか、恐らく誰も見たことが無かったから気付かなかったんだろうけど、その本の正体を知っていた。

 その謎の白本――無印で売ってる文庫本ノートだ!

 なんだよそれ。別に不思議でも何でもねえ、全国店舗で販売している本じゃねえか。あほくさ。

 ≪ヴォイニッチ手稿を寄贈、ただし重版出来じゅうはんしゅったい≫みたいなっ! って感じか。

 謎でも何でもないじゃねえか、と呆れつつアタシはどうアイツらに言うか考え、そしてもう一度魚酒肴いにちの方を見た。

 魚酒肴いにちは、ほんの少し頬を上げ、

 ────見る。

 笑ったことを少し恥じるような感じで、表情を取り直した。

 ────────見た。

 そして、着いたのか立ち上がり、そそくさと降りていった。


 アタシは、その様子をみて

 分かってしまった。

 解読わかってしまった。

 なるほど、そういうことか。

 他の奴らが分からなくても。

 実近ねころが分からなくても。

 アタシには分かった。

 そして、そのことに気づき、しばらくしてもう一つ、今更なことに気づいた。


 あ、電車乗り過ごしちまった。やべっ。


 006

 次の日。

「オイ、実近ねころ。魚酒肴いにちに今日会わせろ」

 朝のホームルームが始まる前、実近は相も変わらず本を(今度はサイコロジカルだった。なんで続き飛ばして読んでるんだ?)読みながら快諾した。

 そして放課後、図書室。

 実近と一緒に入ると、奥の席で昨日見た女子が座っていた。

 やはりあの時見た奴が魚酒肴らしい。

「初めまして、って言うのもなんだか変ね。でも初めまして久遠さん。お噂はかねがね聞いています」

「ケッ。ロクな噂じゃねェんだろうな」

 アタシはどっしりと対面に座った。実近は本を読みつつ隣に座った。何故か不安げな表情に見える。いきなり殴ったりしないよね? みたいな表情に見えもした。しねーよ。女子を殴ったりは一度もしてねえ。

 デコピンはあるが。

「それで、私の持つ白い小説ライトノベルが読みたいの? 別にいいわよ。誰が読んでも。誰もが読んでも」

 にっこりと笑顔ではあるが、眼が何か高を括っている感じがした。また無様に負ける為に挑んできたの? って感じだ。いいねェ。そういう表情をする女は好きだ。潰し甲斐がある。いや、別にバトるつもりはねえけど。

。いいか?」

 アタシは言質を取るように、しっかりと問いた。

「良いわよ。全然構わないわ」

 そう言いながら魚酒肴はすいっ本を差し出してきた。

 茶色の背表紙、何も書かれていない、無地の本。

 あの時読んでいたのと全く同じだった。

 アタシはそれを手に取り、パラパラとページを捲ってみた。

 捲って、見た。

 確かに噂通り、何も書かれていなかった。

 しかし、その本はちゃんと使われているようで、どうも時々ページの端に折り目が付いていたりと、ファッションとして持っているのではなく、ちゃんと一ページ一ページ捲って使われている形跡があった。

「…………」

 アタシは、最後のページまで読んだ後、じっくりと値踏みするかのように、本を閉じて、目を閉じて、考えた。

「どう? 面白かった? 感想を聞かせて欲しいのだけれども」

 魚酒肴が煽ってきた。しかし、その言い方に含みは感じられなかった。いや、分かってる。分かっている。

 

「いや、読めなかった」

「そう、残念ねぇ。誰か読んでくれる人はいないのかしら」

 残念そうに魚酒肴は言った。そう、そうなんだな。

 読んで欲しいって、アンタ、言ったな?

「オイ、魚酒肴いにち。約束が違ェじゃねえか。読ませてくれるんじゃなかったのかよォ?」

 突き返すように本を返した。

 魚酒肴は心外のような表情を浮かべていた。

「何よ、読ませてあげたじゃない。この本」

「さっき言っただろ。って、言ったじゃねえかよ」

「だから――」

 はっ、と気付いたかのように、横に居た実近は視線をこちらを、そして魚酒肴の方を見た。

 魚酒肴は。

「――何で、分かったの?」

 それは、答えも同然だった。

 変に遠回りして、周りの評判なんざァ聞いたりしちまったが、最初から会えば全部分かる話だった。百聞は一見に如かずって全くその通りだ。顔を見りゃ分かる。

 なんせ、


 あの時に電車で見た、魚酒肴いにちの表情は、読書家をしていなかった。

 その顔は、その宿命を背負った奴なら必ず、する顔。

 そう魚酒肴いにちは読者じゃない。


 ──|物書きだ。


 007

 幼少期の魚酒肴いにちは、やたらと一人で空想している女の子だったらしい。

 いつからそうなのかは、分からない。

 保育園で本を読み聞かされた時か、図書館の読書会のコーナーで読んだ時か、紙芝居で作品というものを知ってからなのか、分からない。

 最初は、単なる組み合わせの、パッチワークだった。

『桃から生まれてきたのが、金太郎だったらどんなお話になるのだろうか』

 桃太郎だったら犬や猿や雉ではなく、熊を仲間にして鬼退治するんじゃないだろうか?

『もしシンデレラが舞踏会に行って、王子が野獣だったらどんなお話になるのだろうか』

 美女と野獣ではなく、シンデレラと野獣。果たして王子はシンデレラに求婚出来るのだろうか。

 魚酒肴いにちは、そんなくだらないと一笑されるかもしれない御伽噺を空想するのが大好きだった。

 しかし、あまりにもぼおっとしている姿が、周りを心配させた。

 周りの子供たちは公園で熱心に遊んでいるのに、魚酒肴いにちは一人ベンチで座って、何もせず、佇んでいるだけだった。

 本人としては一生懸命頭を働かせているのかもしれないけれども、周りは全くそんな風に思えなかった。

 なんなら、親はそんないにちを、おかしいのではと心配するぐらいだった。

 ある日。それはいつだったか、いくつの時だったかは忘れてしまったけれども。

 空想するのがダメなのか? そんな歩き回ったり走ったりしなきゃダメなのかと悩んでいた時、自分より年下の子が声をかけてきた。

 何をそんな困っているの? と心配そうに、ひょっとしたら興味本位で聞いてきた。

 空想していると何故か皆が心配してきて困る、と悩みを話したらその子は、どこかひょいと走って行き、その子の友達っぽい別の女の子と会話して、何かを受け取って、そしていにちの所に戻ってきて、手渡してきた。

 それは、何も書かれていない、無地の本だった。

 ──だったら本を読んでる振りをして想像すればいいんじゃない?

 その本を手に取り、ページをめくった。

 今までも自分で、他の本を読んで空想しようとしたけれども、その本に書かれている文字が邪魔で出来なかった。

 しかし、その本はページを開くと、何も書かれていなかった。

 めくる。

 何も書かれていない。

 でも、何か、頭の中で空想が、文字が、物語が読めるようになった。

 何も書かれていない本は、私だけの物語を産ませる、魔法のアイテムだった。

 そして、その本を持って頭の中で綴っていたら、気がつけばその男の子はどこかへ行っていた。

 返そうと思ったけれども、どこの誰かも分からなかったから、返せなかった。

 お礼を言おうにも、その男の子と再会することはなかった。

 それから、年を重ねて御伽噺を空想することから変貌し、ライトノベルの空想をすることになった。

 図書館で読んだ、ファンタジーの異国を冒険する少女の物語や、チグハグな時を巡る女の子の物語や、世界の敵と戦う左右非対称の笑顔を浮かべる女の子や、そんな主人公たちと、その周りを取り巻く世界を、バラして、くみ上げて、別のものを作り上げて、そして白い本を通して読む。

 それが、魚酒肴いにちの白い小説ライトノベルの正体だった。


 008

「ってこと。あーあ、まさか本当に私の『振り』がバレちゃうなんて、驚いちゃった」

 全てを明かした魚酒肴は、少し恥ずかし気に表情を赤らめていた。

「そうだったんだ。とっても素敵な思い出の本だったんだね。っていうのが私の所感だよ」

 うっとりするような表情で、実近は言った。

「やめてよ。あんま他の人に聞かせたくなかった記憶なんだからさ」

「うん。すっきりした。本当に謎が解けるなんて思ってもいなかった。ってのが実は私の所感だったんだけどね。久遠さん、約束通りライトノベル研究会に入るよ」

「何それ、そんな部が出来たの?」

「これから作るんだって」

 と、何故か二人は話が全部終わったみたいな雰囲気を出していた。

 待てよ。

「何? どうしたの?」

 二人は何が引っ掛かっているのか分からない、というような表情を浮かべていた。

 いやいやいや、おかしいだろ。全っ然成ってねえ。

「何が? ちゃんとこの本の正体を話したでしょ!」

「違ェよ! アタシが言ったこと、忘れてんじゃねえよ!!」

 魚酒肴の胸倉を掴みかからんというような勢いで、図書室では静かにというルールすら忘れて、言った。

「三度目だぜ! 言ったよな! アタシは!

 『

 って! 言ったんだぜ!」

 今語られたのは、あくまで魚酒肴の後書きのようなもので、そのものじゃない!

「何? 本を通して頭の中で作り上げた物語? そんなモン絶対ぜってェ面白ェじゃねえか! 何だよなんだよ! 何だよ! 何でアタシはオマエと出会ってなかったんだよ! 不覚にも程がある! 何が人類皆兄弟みたいな感じで輪を広げようと思わないだ?! そんなん逸材を取りこぼすだけの馬鹿の妄言じゃねえか! 今こそアタシはアタシをバカだと思ったことはないぜ! ダイヤの原石がこんな近くで眠っているのに何寝ぼけていたんだ!? 宝くじを鼻紙として捨てていた今までの人生は何だったんだ!? チクショウっ!」

 魚酒肴いにちの肩をガッシリと掴み、泣き叫ぶようにアタシは叫んだ。

「お前の頭の中にどれだけ物語が眠っているんだ!? 起こせ! 掻き出せ! 書き出せ! アタシは、物語が、魚酒肴いにちのライトノベルが読みてェんだよ!!!!」

 愛の告白よりも熱く、探偵が糾弾する言葉よりも強く、主人公が放つ名言よりも高らかに声を上げた。

 だが、魚酒肴いにちは、とんでもないことを言いやがった。

「そ、そんなこと出来る訳ないじゃない!」

 魚酒肴いにちは真赤な顔をして、言い返してきた。

「頭の中の物語を人に読ませるなんて、そんな恥ずかしいこと出来ない!!」


 久遠流布は激怒した。

 は? ふざけんな。

 それを、読みたいから、アタシみたいな、人間は、

 生きてるんだろうがよ!!!!!!!


 009

 図書室出禁になった。

 は? アタシは悪くないんだが?

 世界を揺るがす未元物質を抱えている女が悪いんだが?

 世界を切り開く勇者の剣を封印している女が悪いんだが?

 世界を轟かせる物語を抱え落ちする女が悪いんだが?

 結局、あの後アタシは魚酒肴いにちをひたすら追い詰めて泣かせてしまい、誰も読まれていない神秘の物語は仕舞い込まれてしまった。残念だ。

「ったくもう。今回のことで分かったけれど、久遠さんを抑える人が周りにいないとダメなんだね。ってことが私の所感かな」

 呆れたかのように本を読みつつ述べる実近。

 コイツがあの時本の背表紙でアタシを殴らないでさえいれば、とっちめられたものの。

 というかコイツ、なんかやたらと変な口癖言うし(何だよ所感所感って、書簡とかけてんのか?)躊躇無く暴力振るうし、なんならちゃんと顔を突き合わせて会話するし、噂と全然違ェじゃねえか。

 はっ。これだから、物語じんせいってのは読んでみなきゃ分かんねえもんだ。なんてな。

「それで、どうするの?」

「どうするったって、ありゃもう説得出来るような関係になれなくなっちまったというか……」

「違うって」

 実近は、本を閉じて、読んでいた本は『灼眼のシャナ』だった。アタシが好きなラノベ。

「ライトノベル同好会、やるんでしょ」

「あ、ああ」

「会誌はどれくらいのペースで出すの? 執筆者はどれくらい集めてる? これから誰を誘おうとしているの? 発行の為の協力は? 同好会の立ち上げの申請は? それと図書室のライトノベル排斥計画を止めないとね。やることいっぱいありすぎてどどこから手をつけたらいいか分からなくて困っちゃうね」

 全く考えていなかった同好会の活動を、何故か考え始めていた。

「えっと、小説書けないから編集やるね。実は私、物語を紡げない制限リミット筆折り損ペインペン』がるからコラムとか目次すら書けないの。これ秘密ね。でも執筆催促するのはやれるから。あとアドバイスとか。そうだ魚酒肴さんは私が誘っておくね。今度はあんな乱暴なことしないこと。いいね?」

 訳の分からない発言含め、怒濤の宣言に戸惑うしかなかった。

「おいおい待て待て! 実近、オマエ。なんでそんなやる気出してるんだよ?!」

 実近は、なんか陽気な顔で、赤い髪を揺らしながら、まるでこれから楽しい物語を読めるかのような期待に満ちた表情で

「私、実は久遠さんと、ずっと前からいっぱい小説の話しをしたかった。ってのが前からの、私の所望だったんだよね」

 と、笑った。

 はっ。なんだよそれ。

 アタシは全然そんなことなかったしーと言おうかと思って、やめた。

 もっと早くやればよかっただなんて思うことも、することなかった。

 とりあえず、今まで知らなかった実近ねころを知る為に、ずっと尋ねたかったことを聞くことにした。

「お前、灼眼のシャナで誰が好き?」

「まだ読んだことがない」


 アタシは激怒した。

 やはりライトノベルは、無くさせられねェ!


 010

 こうして、のちに『安土野高校書籍戦争』を引き起こす、大問題児たる二人が共に歩み出した。

 物語の終わりは、次の始まり──


《NEKORO story》 has finally begun.

             →『ねころの未完』に、続く。

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