冴えない俺(35)が婚活予備校に入ったら、偏差値38(E判定)を叩き出した件

雨光

プロローグ:偏差値38の現実

くたびれた革靴が、アパートの共用廊下に湿った音を立てる。

金曜の夜。


一週間の労働で搾りかすになった俺、佐藤健太(さとうけんた)、35歳。独身。

彼女いない歴は、社会人歴とほぼイコールだ。


郵便受けのダイヤルを回し、冷たい鉄の扉を開ける。

通販のカタログ、公共料金の請求書。

その間に挟まっていた、一枚のけばけばしいチラシに、思わず手が止まった。


「第一志望、成婚へ。 婚活予備校『ブライダル・パス』」


予備校、だと? 大学受験じゃあるまいし。


馬鹿馬鹿しい。


普段なら、丸めてゴミ箱へ直行だ。


だが、その日は何故か、そのチラシをくしゃくしゃにできず、安物のスーツのポケットに突っ込んでいた。


部屋の明かりもつけず、コンビニ弁当をテーブルに放り、深くソファに沈み込む。


とりあえずつけたテレビが、やけに明るいスタジオを映していた。


『さあ、今週もカップル成立なるか! 婚活リアリティショー!』


ぎこちない笑顔の男女が、自分の「スペック」を読み上げている。


年収600万、趣味はキャンプ、結婚観は「お互いを高め合える関係」まるで、自分という商品を並べたカタログだ。


それを見ながら、俺はふと、どうにも拭えない違和感に襲われる。

なんで、みんな「結婚」に対してだけ、そんなに淡白なんだ?


これから何十年も、同じ家で暮らし、同じ墓に入るかもしれない相手を決める、人生の一大イベントのはずだ。

それなのに、テレビの中の彼らも、そして世間の風潮も、どうだ。


「いい人がいれば」

「自然な出会いが理想です」


まるで、道端に落ちている四つ葉のクローバーを探すような、悠長なテンションで。 おかしいだろ。


俺だって、そうだ。


いつかは結婚するんだろうと、おぼろげに考えていた。


だが、35歳になった今、現実はどうだ。出会いなんて、ない。


大学生の頃は、彼女がいた。


サークルの同期だった。


だが、就職と同時に、お互い忙しくなって、なんとなく疎遠になった。


それきりだ。


流行りのマッチングアプリも試した。


何人かとメッセージを交わし、一度だけランチにも行った。


だが、どうにもピンとこない。


画面越しの「いいね」は、手応えがなさすぎた。


何かがおかしい。何かが、根本的に間違っている気がする。

だが、その「何か」が分からないまま、時間だけが過ぎていく焦燥感。


その時、ポケットの中のチラシの感触を思い出した。


ごわごわした紙を取り出す。


「婚活予備校」 その正体不明の違和感に引きずられるように、そこに印刷された小さなQRコードを、スマホで読み込んだ。


画面に表示されたのは、キラキラした男女の笑顔ではなかった。

無機質なゴシック体で、こう書かれていた。


『「いい人がいれば」? その「いい人」は、なぜあなたを選ぶのですか?』

『「自然な出会い」? 奇跡を待つのは、努力を放棄した者の言い訳です』


心臓を掴まれたようだった。


俺が抱えていた、あの漠然とした違和感の正体が、目の前に突きつけられた気がした。


『思い出してください。あなたが第一志望校に合格した時のことを。 あなたは、ただ「合格できたらいいな」と願っていましたか? 違うはずだ。あなたはまず、徹底的な自己分析(得意科目・苦手科目の把握)から始めた。 次に、過去問(過去の恋愛パターン)を解き直し、自分の失敗(失点の原因)を洗い出した。 そして、模擬試験(お見合い・パーティー)に挑み、一喜一憂せず、淡々と反省と改善を繰り返したはずだ。なぜ、人生最大の選択である「結婚」において、その努力を怠るのですか?』


……ああ、そうか。 頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。


そうだ、受験。


俺たちは、あの血眼だった日々を忘れてしまっていた。


「偏差値」に一喜一憂し、「合格」という二文字のために、あれだけの熱量を注ぎ込んだじゃないか。


それなのに、結婚となると途端に「運命」だの「自然な出会い」だの、寝ぼけたことを言っていた。


俺に足りなかったのは、あの頃のような、がむしゃらな「努力」と「戦略」だったんだ。


画面の中では、一組のカップルが成立し、照れくさそうに笑い合っていた。


その笑顔の裏に、どれだけの戦略が隠されているのか、俺には知る由もない。


だが、一つだけ確かなことがある。


俺は、今まで「自然な出会い」という名の奇跡を待ち、なんの努力もしてこなかった。


「いつか結婚するだろう」という根拠のない希望的観測に、しがみついていただけだ。


スマホの画面をスクロールする。


そこには、「入塾説明会 お申し込みはこちら」という、無愛想なボタンがあった。


俺は、深夜ラジオの受験講座に申し込む時のように、あの頃の必死さを思い出しながら、そのボタンを、強くタップした。


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