第10話 ゲームにはない仕様

 ごおっと風が吹き荒れる。

 湯煙が振り払われ、視界が明瞭になった。


「おいおい、防御が消えてるぞ。魔力切れか?」

「っ……」


 声の方に視線を向ければ、嘲笑を浮かべたスリートが歩いて来るのが見えた。

 湯煙を吹き飛ばしたのも彼なのだろう。

 テールは顔を伝う汗を拭い、肩で呼吸をしながら彼を睨む。


(『星々の爆発』では、倒せなかったか……)


 これでスリートが倒れてくれれば一番良かったのだが、やはりそう簡単にはいかないらしい。

 周囲に視線を走らせれば、ラネージュは氷の防壁に包み込まれたまま佇んでいた。


「ラネージュ、そのまま防御を続けていろ」


 そう命じながら、スリートがラネージュを通り越して近付いて来る。

 パシャ、パシャ、と濡れた地面を一歩ずつ踏み締め、狩りを楽しむ肉食獣のように迫って来る。


(これもゲーム通り。スリートは自身が前に出るときは、ラネージュを防壁の中に留まらせる。一瞬たりとも隙を見せないために)


 ここまで全て予定通りに進んでいる。

 あと少しだ。テールは拳を握り締めて——最後の賭けに出た。


「——〈バリア〉」


 テールは長径二メートルほどの青白く光る半球に包み込まれた。

『バリア』は下級通常魔法である。

 しかし『星々の守護』と比較すれば格段に劣るものの、それでも今のテールが使えば規格外の防御力を誇る。


「まだ少しは魔力が残っていたか。だが、今さら『バリア』など使って何になる?」


 スリートが三メートルほど先で立ち止まる。

 彼は勝利を確信している顔で、口元を歪めている。


「お前は弱い。魔力が強いだけの素人だろう? ずっと心臓がバクバク鳴っているぞ?」

「っ……」


 ジュスティスのときと同じように、スリートにも心臓の音を聞かれていた。

 テールが最初から緊張していた事も、全てバレていたのだろう。

 ——だが、それも計算通りだ。

 テールは顔を伏せて、表情を隠す。


「どうやらお前は、本当に末裔八血ではないようだ。だとしたら、その力はどこで手に入れた?」

「俺に勝てたら教えて差し上げます」

「ははっ! お前、この状況でまだ勝つつもりなのか。現実が見えない可哀想な奴だな」


 あからさまな嘲笑をぶつけてくるスリート。

 そんな彼に向けて、テールは俯いたまま言葉を投げ返した。


「『バリア』という魔法の利点は、内側から一方的に攻撃できるところにあります」


 内から外には攻撃魔法を通し、外から内には阻む。

『バリア』は原作ゲームでも何度もお世話になった、汎用性の高い防御魔法である。


「俺は賭けに勝ちました。スリートさん、あなたは俺の『バリア』を早々に破壊するべきだった」

「あ?」


 未だ勝利を疑っていない様子のスリートに、テールは最後の一手を放った。




「——〈パラリシス〉」




 下級通常魔法——『パラリシス』。麻痺効果を持った電撃を放つ魔法。

 それは、普通であれば意味をなさない攻撃だった。

『パラリシス』は、ただ真っ直ぐに電撃を飛ばすだけの単発攻撃魔法。

 魔力が高まって威力が上がろうとも、巨大な雷弾になろうとも、前方攻撃という性質だけは変わらない。

 故に、そんな単純な魔法が当たるはずがなかった。

 一回の瞬きの合間に幾度も攻防を繰り広げる末裔八血には、当たらないはずだった。

 なのに今、


「ぐああああぁあぁぁああぁっ!?」


 スリートの絶叫が響き渡っていた。

 彼の身体は黄色い電撃に呑み込まれ、ガクガクと痙攣けいれんしていた。

 テールは『パラリシス』を解除する。

 スリートが地面に仰向けに倒れ、バシャリと泥水が飛び散った。


「が、あ……な、何、が……?」


 痙攣しているスリートが、苦痛と驚愕を混在させた表情で呻く。


「『パラリシス』程度、あなたは簡単に避けられたはずだった。本来ならばね」


『パラリシス』が自分目掛けて飛んできたのであれば、スリートは涼しい顔で受け流せただろう。

 だが、テールは『パラリシス』でスリートを狙わなかった。

 テールが狙ったのは、地面だった。


「濡れた地面に着弾した電撃は、避けようがないでしょう?」

「ッ……!」


 ラネージュの『シルバー・フィールド』が『星々の爆発』の熱波によって溶かされた事で、地面は水浸しになっていた。

 そこに『パラリシス』が放たれれば、電撃は水を通して一気に広がる。

 単発攻撃だったはずの『パラリシス』が、この辺り一帯を襲う超広範囲攻撃に変貌したのだ。

 これはゲームにはない仕様。

 現実世界だからこその、物理現象を利用したテールの策略だった。


(『星々の爆発』を連発しても倒せただろうけど、それだと威力が高すぎてラネージュの防壁も破壊してしまう恐れがあったからな……)


 ラネージュに防壁を張らせたうえで、生身のスリートに戦闘不能になるほどの攻撃を浴びせる——それが必須条件だった。

 そのために、魔力切れの演技までしてスリートを油断させたのだ。

『パラリシス』は受けた者の肉体を麻痺させるほか、魔力にも作用してかき乱す。

 そのため、スリートは一時的に魔法を使う事も、『支配の首輪』でラネージュを操る事もできなくなっている。

 ゆえに、もはや逆転は起こり得ない。

 テールは『バリア』を解除して、立ち上がってスリートに歩み寄った。


「あなたはオーバーキル・モードのラネージュに対して、『あいつ防御を破壊しろ』ではなく『あいつを殺せ』と命令するべきだったんだ」


 ラネージュは「防御を破壊しろ」と命じられていたがために、テールが『星々の守護』を解除した事で行動を停止していた。

 もしも「殺せ」と命じられていたら、テールは『バリア』を発動する前に彼女に殺されていただろう。


「だけど、俺の心臓の音を聞いたあなたは、俺の事を魔力が強いだけの素人だと判断した。だから俺を殺さずに捕らえ、ここまで強い魔力を得た理由を解明しようと考えた。今後の戦いに備え、ラネージュをさらに強化するために」


 テールの事を強者だと思っていれば、スリートも殺害による排除を第一に考えたはずだ。

 ところが、相手が強がっているだけの雑魚だと分かれば、彼は油断して付け入る隙を見せるとテールは読んでいた。

 だから敢えて暴れ回る心臓の音を聞かせて、スリートの思考を誘導した。

 これは、先のジュスティスとのやり取りのお陰で考え付いた罠だった。


「ラネージュは救わせてもらいます。あの子はこんな戦いなんて、少しも望んでいないのだから」


 犬歯を剥き出してこちらを睨んでいるスリートの脇腹に、テールは右手で触れる。


「しばらく眠っていて下さい。——〈ディープ・スリープ〉」


 テールは触れている相手を長時間眠らせる魔法——『ディープ・スリープ』を発動した。

 スリートがガクリと脱力し、目を閉じて動かなくなった。






☆—☆—☆




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