第3話

 開け放たれたバルコニーに出ると、ひんやりとした風が抜けて夜会の熱気を冷ましてくれる。フレディに渡されたグラスを受け取り、口をつけた。度数の低いアルコールの爽やかな甘さと、ピリッとした刺激が舌先から喉に向かう。


 手すりにグラスを置くと、その手すりに寄りかかっていたフレディが盛大なため息を吐いた。


「……こうなるから連れてきたくなかったんだ」

「さっきの男性のこと? 名前も知らないけど」

「知らなくていいよ。セラ」


 呼ばれて首を傾げる。彼は自分の腕の中に来るように促した。「寒いから」って言われて確かに、と思う。素直に腕の中に収まりバルコニーから外を眺める。すると、頭にフレディが顎を乗せてくる。


「重いよ」

「うん……ごめん」

「やめる気はないのね?」

「そうだね。重くてごめん、とは思ってるけど」

「? フレディ?」


 私の言ってると、彼の言ってるそれが同じように思えなくて、振り返る。向き合う形になると今度は肩口に頭を乗せてきた。


「あんまり言いたくないんだけどさ……」

「何を?」

「黙ったままじゃ公平じゃないし……」


 私の言葉が聞こえていない様子で続ける。しばらく待つと、彼は顔を上げた。


「セラはね、結構人気なんだよ」

「なんの話?」

「求婚状、どれだけ届いてるか見た?」

「見てないわ。興味ないもの」

「だろうね。僕は見たけど」

「人の求婚状を?」

「そう。で、焦った結果がこれ」


 そう言いつつ、腰を抱き寄せられる。さらに密着して、さすがに焦ってしまう。


「フ、フレディ…!?」

「さっきの男もそうだけど、他にも侯爵家とか、有名な商家とか……選べるんだよ、君は」

「……選べるって言われても」


 フレディ以外の人と結婚だなんて……考えたこともなかった。そもそも結婚自体、するつもりがなかったのだから。


 それを彼も知っているはずなのに、わずかに沸き起こる不満から彼の胸を押して見上げた。


「あのね、フレディ。あなた、私が結婚するつもりないって知ってたはずでしょう? その私が結婚するなら、相手はあなた以外いないの。……あなただけじゃない、本当の私を知るのは」


 どれだけ人気があろうとも、それは私の繕った姿しか見ていない証拠。私が夜な夜な、おかしな薬を作るのを知っているのは彼しかいないのだから。


「他の相手なんていらないのよ、フレディ。あなただけが隣にいて欲しい」

「僕、だけ……?」

「ええ、もちろん」


 半ば呆然とした様子で私を見る。だけどすぐ、フッと顔を綻ばせた。それがまるで、月明かりが差し込んだ花のようで、目を惹かれる。フレディは嬉しそうに私の額に、自身の額をつけた。


「そっか。それは光栄だな」

「そうでしょう?」

「なら、どこまでもお供しましょう」

「どこまで来られるか見物ね」

「……これ、結婚の話だよね? どこかに戦いに行くわけじゃないよね?」


 急に物騒な雰囲気が漂って、フレディが眉根を寄せる。それがどこか面白くて、ふっと吹き出した。クスクス笑うと、つられた様子で彼も笑い出す。


 一通り笑い終えたら、フレディが耳元で「好きだよ」と囁いた。


「……」


 今まで軽口で可愛い、とか綺麗だ、なんて言われたことはあるけど、直接的な言葉は初めてで戸惑う。そっと視線を上げたら、フレディと目が合う。


 彼は一瞬、悲しそうな顔をした。胸がズキッと痛む。今まで見ない表情に動揺して、思わず彼の腕を掴んだ。


「セラ?」

「あの…….えっと」


 けれど何を言っていいか悩んで、視線を漂わせる。フレディは不思議そうにしていたけど、少しして私の頭をポンポンと叩いた。


「今はそれだけで十分だよ。さあ、もう帰ろう。ずいぶん遅くなったみたいだ」


 フレディが空を見上げる。浮かぶ月がずいぶん高い位置にあった。彼は私の手を取って、歩き出す。途中で給仕に声をかけて、そのまま会場を離れた。

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